わかっちゃいるけどやめられない? 論理の言葉・実際編(仮) (T3:Pt1:Ch04)
「論理の言葉」は、実際にはさまざまな語句・言い回しの形で現れるよ、というお話です。
論理の言葉は、難しい?
論理スキル[入門編][実践編](別サイトの記事)で取り上げている「論理の言葉」ですが、「かつ」だの「および」だの「または」だのの語句が「教科書的」に感じる人、実際にはどんな言葉が該当するんだ? と思っている人もいると思います。
実際の文章や発言から論理を読み取ろうとする時に「論理の言葉」を探して迷う人もいるかも知れません。
実際の言語活動では、さまざまな語句や言い回しが論理の言葉として解釈できます(「かつ」や「または」などはそうした語句の代表選手として召集されている)。
(中には「え? こういうのも?」「これってそういう意味になるの?」と感じるものも少なくありません)
その一部を見ていきましょう。
そもそも的な話
論理の言葉は、言語活動(における表現)のすべてに適用できるわけではありません。
論理の言葉を当てはめるのに適しているのは、事実の提示、判断の表明を行なう平叙文と呼ばれる類の主張/文(真偽を問える)
感情や意思の表出を主とする次のような種類の主張(文)には適さない(真偽を問えない)
疑問文「ソクラテスは電気羊の夢を見るか?」
命令文「ソクラテスよ、電気羊の夢を見ろ」
感嘆文「あの電気羊の毛並みはなんと見事なのだろう」
論理の言葉に該当する日常語は、意味や働きが多義的であったりする
読む際の解釈が重要
否定「~で(は)ない」を表す語句・言い回し
否定を表す語句・言い回しとして、否定したい主張(文)の後に「~、ということはない」をつけ加えるというのがあります。
英語だと"it is not the case that …"といった言い回しです([1])。
落ち着きはあまりよくありませんが(む。否定表現だ💦)、日常語に入り込みやすいニュアンスを避けるには確実な言い回しでしょう。
「私はラーメンが好きです」の否定 ⇒「私はラーメンが好き、ということはありません」
(日常語では、「好きではない」にはしばしば「反・好き」、「嫌い寄りの否定」というニュアンスがつくが、論理の否定にはそのような含みはない)
連言「かつ/および」を表す語句・言い回し
ふたつ以上のものごと(できごと、人の言動、事物の性質や傾向、概念、etc.)を列挙したり、連立させたりする時、
それぞれのものごとの間の関係性を捨象して論理的な側面に着目すると、
さまざまな言葉や言い回しが「かつ(連言)」の関係を表すと解せます。
「 わかっちゃいるけどやめられない 」と「 わかっているからやめられない 」では、「わかっている」と「やめられない」の関係性は真逆です(前者は逆接。後者は順接)。
が、この関係性(発話者の主観)を捨象すれば、「それぞれ真であるふたつの状態が連立している」という事実の認識「わかっている、かつ、やめられない 」は同じです。
連言を表す語句・言い回しでよく見られるものとしては:
そして
「A、そしてBが、この出来事に関係している」
論理の言葉としての「そして」は、時間的な順序や前後関係は含みません。
「不審者が出没し、そして、火災が発生した」も、「火災が発生し、そして、不審者が出没した」も、どちらも「AかつB」と解されます
列挙の読点/カンマ
「重要なのはA, B, Cだ」=「Aが重要、かつ、Bが重要、かつ、Cが重要」
列挙、順接、逆接を表す助詞。
「~が」や「~て」「~たり」(並列)、「ので」「から」(順接)、
「のに」「けれども」(逆接)など「カレーライスもあるが、オムライスもある」=「カレーライスもある、かつ、オムライスもある」
「雨が降ってきたので外出をやめた」=「雨が降ってきた、かつ、外出をやめた」
「雨が降っていたのに衣類が乾いていた」=「雨が降っていた、かつ、衣類が乾いていた」
語句や文をつなぐ接続語、接続詞
および、ともに、並びに
一方、さらに
しかし、だが、にもかかわらず
など
選言「または」を表す語句・言い回し
包含的選言を表す語句・言い回しでよく見られるものとしては:
あるいは、もしくは
並列を表す助詞。「~か」「~なり」
包含的な選言であることを明言するのもありです
少なくとも一方は(が)、etc.
など
日本語には排他的選言を意味する特別な語句はありませんから、
排他的選言を表すには、「または」に別の語句を添えるか、なんらかの形で排他的な選言であることを示す、という方法が取られます([2])。後者の場合、言語外の伝達に頼るのは誤解を招くおそれもありますね。
「または」を強調する。「Aか、または、B」など
「どちらか一方」である旨、「両方ではない」旨を明言する
「この処理を行なうのは、AかB、どちらか一方の条件を満たした場合である」
「原因はAかBかどちらかだが、その両方ではない」
など
条件法「ならば」の仲間と意味
「ならば」と同じ言い方(順序)で、同じ解釈ができるもの
以下の語句・言い回しは、「ならば」と同じ言い方(前件と後件が並ぶ順序)で、「ならば」と同じ意味を表すと解せます([5])。
~(する)と、~の場合、~(する/の)時
「P(する)と、Q」「Pの場合、Q」「Pの時、Q」=「PならばQ」
「そのボタンを押すと、基地が自爆します」
「そのボタンを押した場合、基地が(以下同文)」
「そのボタンを押した時、(以下同文)」
「限り」には注意
「Aの時(場合)に限り、B」という言い回しも条件を表しますが、この言い回しには注意が必要です。
双条件法(等値(同値)の“ならば”)の説明で「「Aであるならば(Aである時)、そしてその場合に限って、Bである」という言い回しがよく使われる」と説明していますが、
「Aである場合に限って、B」の部分が「BならばA」に該当します。
つまり、「Aの時に限りB」は「BならばA」を表します([1])。
「彼女は自宅にいる時に限ってカラオケをする」=「自宅にいないなら、カラオケはしない」=「カラオケをするならば、自宅にいる」
「だけ(のみ)」にも注意
「Aの時だけ(のみ)B」も、「~(の時)に限り」と同じく、「BならばA(その語句の後(B)が前件で、前(A)が後件)」と解釈されます([5], Fig.01上)。
「彼女は自宅にいる時だけカラオケをする」=「自宅にいないなら、カラオケはしない」=「カラオケをするならば、自宅にいる」
ところが、「だけ(のみ)」の前後の言い方が変わって「AであるのはBだけ(のみ)」となると、「AならばB」になりますΣ(・ω・ノ)ノ!([5], Fig.01下)。
「彼女が自宅にいるのはカラオケをする時だけだ」=「カラオケをしないなら、自宅にはいない」=「自宅にいるならば、カラオケをする」
他に、条件法を表す表現の例
「A(であるため)の条件はB」「A(である)にはBが必要」といった言い回しも「ならば」を表します。どちらも「AならばB」と解されます。
「Aさんが歌を歌う条件は、Bさんが伴奏することだ」=
「Aさんが歌うには、Bさんの伴奏が必要」
=Bさんの伴奏がなければAさんは歌わない
(だが、Bさんの伴奏があれば必ず歌うとも言っていない)
=「Aさんが歌うなら、Bさんが伴奏している」=「AならばB」
むすび(←論理の言葉ではありません)
文面を読み流したり、発言を聞き流したりしていると見逃してしまうようなことが、「論理の言葉に目を光らせて」接すると引っかかったりします。
それで「この語句や表現は、論理の言葉的にはどういう意味になるんだ?」「どう解釈すると、論理的に意味が通ると言えるんだ?」と考え込んでみたり――
「論理的に考える」の第一歩はそんなところから始まるのかも知れません。
参考文献
[1] John Nolt, Dennis Rohatyn(著), 加地大介(訳) 『現代論理学 (Ⅰ)』 オーム社 1995
[2] リチャード・ジェフリー (著), 戸田山和久(訳) 『形式論理学 その展望と限界』 産業図書 1995
[3] 弓削隆一, 佐々木昭則 『例解・論理学入門』 ミネルヴァ書房 2009
[4] レイモンド・スマリヤン(著), 高橋昌一郎(監訳), 川辺治之(訳) 『記号論理学 一般化と記号化』 丸善出版 2013
[5] 鈴木美佐子 『論理的思考の技法Ⅰ〔第2版〕』法学書院 2013
[6] 飯田賢一, 中才敏郎, 中谷隆雄 『論理学の基礎』 昭和堂 1994
(2024-11-12 R001)