光る藤原氏宇治陵へ5
宇治陵聖地巡礼の続きです。
JR木幡駅前からの坂道を東にあがっていくと松殿山荘という敷地にたどりつきます。
ここは平安時代末期の関白藤原(松殿)基房の別荘地跡で現在は松殿山荘茶道会さんの敷地となっています。この敷地内に宇治陵30号と31号があります。
特別公開時以外は松殿山荘は会員以外は非公開なので今回はここでUターン。おそらく松殿基房本人か近い人の墓所ではないでしょうか。
ちなみに松殿基房は平資盛(平清盛の孫、平重盛の息子)の牛車と殿下乗り合い事件を起こして平清盛や重盛から報復されます。事件の様子は平家物語に書かれています。松殿基房の異母兄弟には日記「玉葉」を記した関白の九条兼実や、「愚管抄」を記した天台座主の慈円らがいます。
続いては木幡の北、宇治市と京都市の境に近い御蔵山(おぐらやま)にある宇治陵34号です。平安時代初期に活躍した冬嗣の墓所といわれています。JR六地蔵駅近くの茶畑から続く坂道から宇治陵は面していて木々はみえるのですが参道を見つけるのに苦労しました。34号陵の周りをぐるぐると何周かまわりました。
宇治陵35号は34号の北、奈良街道のすぐ裏手の住宅地にあります。ここも宇治市のほぼ北限になります。
京阪木幡駅から北に少し行ったところにある許波多(こわた)神社の境内に宇治陵36号があります。基経の墓所といわれています。
次回は道長の墓といわれている宇治陵32号を紹介します。
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