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光る藤原氏宇治陵へ1
大河ドラマ便乗ネタです。
平安時代に摂政、関白をはじめ左大臣など重要ポストを席巻してかつ娘を入内させ摂関政治の全盛期を築いた藤原氏の方々、実はお墓が宇治市の木幡一帯にあります。
明治になって藤原氏のお墓とされるものが1号から37号まで番号がふられて指定されます。まとめて宇治陵と呼ばれてます。
でも道長の時代には既にあるお墓も荒れてたくらいて、どのお墓に誰が眠っているかは今も判っていません。かつ同じ所にある古墳時代のものも一緒に藤原氏のお墓扱いで明治に指定されたので、古墳と藤原氏のお墓が混ざってます。
地元の伝承では⚪︎号墳は誰々のものという言い伝えもありますが正確なところはわかりません。
ほな発掘調査して調べたら?としたいところですが、実は宮中に入内した藤原氏の女性のお墓もあるので宮内庁が管理する陵墓になってて学術調査ができんことになってます。たとえば道長のお姉さんの詮子様や道長の娘の彰子様のお墓もあります。
詳しいことがわからんのならせっかく地元にいるので現地へ行ってこの目で見て調べてみようと聖地巡礼してみました。十津川ミステリーでいうところの「亀さん、われわれも現地へ行ってみようじゃないか!」というやつです。
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では早速JR木幡駅の南にある宇治陵1号を訪ねてみます。個別の陵墓は特定できんので宇治陵1号を総遥拝所として、ここに来たら全部の藤原氏のお墓参りしたことにしますね、ということになってます。道長さんも兼家さんも頼通さんも彰子さんもここに来たらお会いしたことになります。一瞬お得やんと不謹慎なこと思ったのは内緒です。
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続いて宇治陵1号から奈良街道の交差点のお向かいにある宇治陵2号と3号です。ここは2つが隣同士ならんでいます。
1号以外の宇治陵はほとんどこんな感じで小さな石碑と門扉があって植栽があります。住宅地の中にあって敷地もこじんまりとした陵墓が多いです。宇治陵ができたころには藤原氏の別荘くらいしかなくて周りは何にもなかったんでしょうけど。
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宇治陵4号です。ここは2号、3号のすぐ近くにありますが、ガチの住宅地の中にあります。奥まで行っくのはあきらめて入り口からお参りしました。
5号から後はここから少し離れるので次の記事にします。