受験伴走で仕事セーブしなきゃダメ?
今日から仕事再開。お盆で6連休となった。
若い頃は、長いお休みが嫌だった。結婚しない、就職しない状況を気兼ねしながら帰省するのは辛かった。帰省しない時もあったけれど、行き先もなかった。映画を見に行ったり、あてもなくブラっと近場のホテルに泊まったりして、気分転換をした。あまり楽しくはなかった。
今は長いお休みが貴重になる。子どもも戦っている。戦っている子どもに付き合うことはお休みの時にしかできない。たまには気分転換もさせてやらなくては、子どもだってつまらない。勉強に差し支えのない範囲で、ご飯を食べに行ったり、プラネタリウムやお風呂に行ったり。また、テスト後の日程をチェックして、小旅行の予定を立てた。子どもは日本の半分の県に行ったことがない。コロナもあって、遠慮せざるを得なかった。去年から旅を再開し、九州、関西、四国とまわっている。コロナ前は保育園の行事や、民間のキャンプなどで体験重視の学びを大切にしていた。受験生活に足を踏み入れた今は、時間の制約を気にしながらになる。4年の今は、まだ少し余裕がある。来年の今頃は、多分もう無理になる。今度の旅行は土日にするけれど、予定は時間のある時にしか立てられない。
そんなわけで、長いお休みは大切。だけど、長いお休みが大切になるのは、仕事をしているから。仕事はしんどかったり、面倒だったりすることのほうが多いけれど、仕事があるから成り立っていることが多い。先日、訳あって休職中の方と会う機会があったのだけれど、自分にとっては、改めて仕事をしていて良かったと思うところがあった。健康、精神、経済とさまざま考えるにつけ、仕事があって何とかバランスを保てているとわかる。コロナで在宅した期間には、自分を律することも出来なかったし、そして、そんな自分に嫌気がさした。仕事のありがたさが身に沁みた。
受験生の伴走をしながらの「来年以降、担任を持つなんて無理なんじゃないですか?」と尋ねられた。確かにこれまた理由があって、今は担任をしていない。でも、それが当然になってしまっている今のわたしの状況に嫌気がさしている。また、それを助長するような問いにも不快に感じた。親にできることが限られているから、子どもは自分で考える。どうしたいのか、どうなりたいのか。全て親が関わる必要があるなら、仕事はセーブするしかない。でも、成長に伴って自分のできることは確実に増えているし、自分でできないことだけを助けるなら、仕事をセーブするほどではないと思う。そして、仕事は経済的にも大事。自分を律するためにも、子どもが自立するためにも大事。子どもの塾の送りはできない、全ての教科の質問には応じられない、自習をいつも見つめることはできない、塾のサポートをしていたら、学校のサポートはかなり手薄。そんなわけで、できないことはたくさんあるけれど、できないから子どもが自分でやれている。できなくても、受験はしたいと子どもは言っているし、文化祭や説明会に参加して行きたい学校のレベル感も子どもなりにつかみ始めている。
受験伴走も仕事も家事も100点満点を取る、なんてことは流石にできない。というか、できる人もいるかもしれないけれど、わたしにはできない。勉強している子どもの傍でお昼寝もするし、仕事中でも子どもの受験情報が気になることもあるし、家事もいい加減。でも、そのぎりぎり及第点か否かのレベルで何とかバランスを保ち続ける。仕事は続けば成功。子どもが納得のいく受験ができれば結果がどうあれ成功。家庭もみんなの休息の場になり得たらそれで成功。