画面の向こう側に感じること
ダイエットによる変化を感じながら、MEETで子どもの受験勉強を見張り、スタサプで高校生の気分になって勉強する毎日。
文明の利器に全て支えられています。わたしが高校生の頃は、映像教材を見るには月数万円払って塾に行くしかなかったのでした。必然的に学校や塾の先生に頼ることが多くなったし、あまりいい授業じゃないと思っていても選択肢は限られていました。最後のほうはもう誰にも頼らず、自分の稚拙な判断と理解で推し進めるしかなかったなぁ。
MEETで子どもの見張りなんていうのも、想像もつかなかったです。中学受験と共働きは両立しなかったかもしれません。レコーディングダイエットは全て紙に書き、カロリーを計算して、手書きのグラフを作る。今はアプリで簡単に正確に出来ますし、AIで栄養を計算してくれます。アドバイスまでしてくれます。
全部Ipad、Iphoneのおかげ。さらにアップルウォッチを取り入れようと考えたりしています。どんどん機械に依存し、快適になる。快適なものはどんどん増えてくる。そんな中で変わらないものはやはり自分が生身の人間であるということ。無機質なものに支えられているけれど、心身は変わらない。だから、そこにたくさんの心を配る、意味を見出すことが必要。仕事も家庭も機械の向こう側にある心身を思う。想う。
机に向かう子どもの背中。ずっと勉強していても、要領悪くて予定まで全く終わらずやる気あるの?と叱ってしまった。サボっていたわけじゃないことは知っていたのに、この夏の頑張りを知っていたから反対に、進まなかったテスト対策に焦りを感じて責めてしまった。けれども、本当は長い時間がんばったことを褒めてやりたかった。机に向かい過ぎ、疲れで不調が出始めていることに心配もあった。これ以上のプレッシャーを与えたくもなかった。四角い無機的な画面を見ながら、赤ちゃんの頃は常に肌から熱が伝わってきたな、今はそれが遠くなったと感じます。
画面を通して、必要なのは熱を感じる想像力。便利な世の中になって問われるのは、優しさや思いやりや予測する力や、そういった目に見えないものだと感じるのでした。
いよいよ2学期。イマジネーションをパワーアップして臨みたいと思います。