父に会いに行く
先の長くない父。2年前、痩せてしぼんだのを見て、もう長くないんだなと思いました。さらに、コロナで故郷が遠くなりました。その後も気掛かりながらきっと大丈夫、と騙し騙しここまで来ました。大丈夫なわけはないのですが‥‥。
今回、母からは帰って来るなと言われました。徹底した自粛生活を送っている母ですから、どんなに会いたくてもリスクを考えてしまうのでした。社会生活を送っているわたしは気にしていないほう。気にし過ぎると仕事になりません。
母の止めるのを押し切り、今回は帰ります。父はおそらく人生最後の退院をします。もちろん透析があり、足指がなく、視力もない父ですから、自立生活はできません。でも、病状が安定しているようなので、会いに行きます。母には帰らなければ一生取り返しがつかないから、と話しました。納得してくれました。そして、母は最初はコロナ感染を恐れて躊躇していましたが、わたしがせっかく2年ぶりに帰って来るのに会わないのは無理、と言って、合流することになりました。
父のことは、ひたすら悲しいです。父とは同居期間が短く、身近でなかったけれど、仲が悪いわけでもありませんでした。必要ないかもしれない最終学歴を支援してくれたのは父でした。北の最果てから身一つで出てきた父は不器用ながら、一企業人としてよく頑張りました。自分が付けられなかった学歴を、わたしがつけることには応援してくれました。わたしの結婚も誰よりも喜んでくれました。父とお別れが近いなんて信じられませんが、医療的理由で老人福祉施設の入所も出来ないとのこと。施設のお世話になっている95歳の祖母よりも老いてしまったと感じます。
1日でも穏やかな日が送れるといい、と思います。今回帰るのも、楽しいことをひとつでも味わって欲しいから。本当は、父が一番の味方だと思っている弟に帰って来てほしいですが、今回はとにかく動けるわたしが動きます。
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父に会いました。忘れないうちに書きとどめます。
今回は退院後の方針について相談するために帰ったのでした。父は自宅に帰りたい、医師は自宅ではなく、リハビリのための病院へ転院させたい、母は慣れた今の病院に置いてもらいたい、とそれぞれ向いているところが違いました。そのため、話を整理して納得ずくで動きたいのですが、電話では難しいし、仕事中にそれぞれから連絡がたくさん来るのも困っていました。わたしが行かないと話がまとまりそうもなく、コロナで面会出来ない父と特別に顔を合わせて話せるということなので、日帰りで帰省したのでした。
父は2年前よりさらにしぼんでいましたが、思ったよりは元気そうでした。1時間以上座って話せたんだから、元気なんだと思います。でも、終始俯いていました。前を向ける状況になく、心も弱っているのがわかりました。
出来ないことを約束出来ないけれど、せめて転院先が決まったら帰って来て、母と様子を見て安心してお世話になれるようにするよ、と話しました。転院することで話がまとまったところで帰路につきました。
笑顔は出なかったけれど、父は今日会えるのをすごく楽しみにしていたようでした。良かったと思います。喜んでもらえることをできたことが心底良かったです。そして、また会える楽しみを父に残せたことが良かったと思います。