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繊細さと自意識(後)

今回はこちらの投稿の続きになります。前回は書評のような内容でしたが、ここからは自分語りと持論がメインになります。結論を先に書いておくと、他の人が何を考えているかを察してそれを気にしすぎる人は「繊細さ」ではなく自意識が過剰かもしれないということです。

2. 当たらない推測

前回取り上げた『「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる 「繊細さん」の本』の第3章「人間関係をラクにする技術」にこんな話があります。

「繊細さん」は、周りの人がイライラしているとすぐ分かるというように相手の感情を察するのが得意で、しかも負い目がある場合に相手が怒っていたり不機嫌だったりする理由を自分のせいだと考えがちであると。例えば自分の仕事が遅いと感じているときにイライラしている上司を見たときに「自分の仕事が遅いせいだ」と思ってしまうということです。
しかし筆者がカウンセリングを行なっていると、相談者である「繊細さん」は察したことが本当に合っているか確かめないまま「きっとこうだろう」と思い続けるケースが多く、本人は相手の感情が「分かる」と思っていても実際には意外と外れているそうです。
上司に面と向かって「私の仕事が遅いからイライラされているのですか」とストレートに聞くことはなかなかできませんが、例えば友人と食事などしているときに料理の味付けが濃いか薄いかとか、お茶が熱いかぬるいか聞いてみるといいそうです。もちろん相手がどう答えるか予想した上で質問するわけですが、何度か繰り返してみると案外当たらないもので、「人の考えなんてそう簡単に分からない」、「予想しても外れる」と実感できます。それが分かると周りの人の不機嫌さに惑わされなくなり気疲れしにくくなるとのことでした。

3. 自意識

ここからは私個人の問題です。この本を読み終えて3日くらい経って私はふとこんなふうに思いました。

(他の人にどう思われているか推測しても実は案外当たらない、だったよな。。。じゃあさ、自分はあの人にこう思われていると思ったことが外れてた場合に、実際にそう思っているのって、、、自分自身だけじゃない?)
(結局これって繊細さというより過剰な自意識の問題だな。)

例えば私が仕事で、やっておくように言われたタスクに普段と少し違うところがあるのに気付き「これでいいかな?」と自分で判断して進めたら、実は間違ったことをして半日以上の作業時間が無駄になったとします。そのような場面ではいつもこのように考えます。

(自分はちょっと状況が変わっただけで正しい判断ができなくなるんだ。それだけ能力、知識が足りないんだ。)

そして報告に行ったら上司が不機嫌になったか、あるいは失笑したとしましょう。すると私はそれを自分の能力・知識不足のせいだと思ってしまいます。

しかし、実際のところどうでしょうか。確かに私一人で仕事を進めるには能力というか個人スキルが足りなかったのでしょう。しかし、それと上司にどう思われているかは別なのです。これを個人スキルの問題と捉えたのは上司ではなく私自身でした。上司の方は「普段と違うところがあるなら相談に来て確認してくれればよかったのに」と思ったかもしれません。そもそもこのような場合にはかなりの確率で上司も「だったら最初に聞きに来てよ」などと言いますが、自分で能力・知識が足りないと認識してバイアスにかかってしまうと言われたことを素直に受け止められなくなります。

この傾向は就職するよりもずっと前からあったように思います。
私は少年野球から始めて中学校でも野球部にいたのですが、年齢・身長に比して体が弱くスポーツ全般が不得意でした。そのため野球も下手だと認識していて、それゆえ劣等感を持っていました。それ自体もあまり良いことではないけれど、何でもそのせいにしてしまうのは明らかに間違っていました。
今思うと変な話ですが、10代の頃に好きだった女の子に嫌われたり避けられたりした(ように感じた)とき、自分の言動を省みることなく「野球が下手だからそうなったのだ」というように内心では捉えていました。当時はそれで頭が一杯だったわけです。冷静になってみると彼女らがそう考えたといえる根拠は何一つなく、そしてこの時もスキルや知識がないからカッコ悪いと思っていたのは私自身でした。

自分がこんな人間だと思われたと感じたとき、実際にそう思っていたのは私自身でした。それは他の人にどう思われるかの不安や恐怖に自己象を重ねてしまっている、言い方を変えると自己嫌悪の言葉を脳内で他者に代弁させているに過ぎないということです。その自己像と同じイメージを他人が持っているとは限りません。この点では繊細というより、ある種の自意識が強すぎたのだと思います。

このことに気づいて驚愕しました。私個人に向けられたこれまでの全ての言葉の意味とか、色々な前提が覆ったように感じられました。それと同時に自分はなんて無意味なことに悩み、そして本来大いに悩んで考えるべきことをなんて安直に決めてしまったのかと思いました。筆者の方が考えたであろう趣旨とはかなり異なる方向になりましたが、あの本を読んだことがきっかけで私の考え方はこんなにも変わり視界がパーっと開ける感覚を覚えました。

この体験をしてふと、このような苦しみ方をしていたのは私だけなのか気になってこの投稿文を書くことにしました。

繊細すぎる自覚のある方、特に他人にどう思われるか気にしすぎる傾向のある方、いかがでしょうか。自分はこんな人間だと思われているに違いないと感じて苦しくなることはありますか。その時、あなた自身が自分のことをそんな人間だと思っているに過ぎないなんて可能性はありませんか。

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