後編|「アイデンティティ」と「クリエイティビティ」
前回に引き続き、随分と空いてしまいました。
5/1に書いてからなので、4ヶ月も。(驚)
いやはや、コンスタントに書くことでできず、今回も反省。
でも、「続ける」こと、そのものが目標でもあるので、ひとつずつ。
前回の続き
今回のテーマでもある「アイデンティティ」と「クリエイティビティ」。その発端に触れた小学生での原体験について。
繰り返しになりますが、何か自分のアイデアがカタチになって、それが評価されることにひとつの喜び感じるんだ、という実感を持てたこと。それは今になればこそ、すごく大切だったんだなと。
コンプレックスと付き合う
私に会ったことのある方は誰しも知っていると思うのですが、
そう。昔からすんごい太ってるんです。
思い返せば、幼稚園の制服は規格外でオーダーだったし、多分小学校1年生の入学時には成人女性の標準体重以上はあったのではないかと、、、
っとまぁ、太っていることでイジられることはもちろんだし、足も遅いし、汗っかきだし、服も似合わないし、と結構自己肯定感低めな感じ。
特に小学生とかってスポーツできるかどうかってある意味、人気基準で言えば死活問題ですよね。笑
ちょっと話が横道に逸れるけど、その当時から「モノ(プロダクト)」への強いこだわりやストーリーなどへの共感を抱くようになったのは、このコンプレックスが大きいのではないかな、なんて思ったりしています。
この話はまた別途、根岸のコンプレックス編で語っていこうとも思うのですが、ここでの強い思いや今回テーマの両軸が結構今の自分を構成する要素になっているとも思っています。
さて、話を戻しましょう。
中学生になる
そんなちょっと自己肯定感の低いまま、根岸少年は無事に中学生に。
だいたいどの学校でもあると思うんだけど、私が一番嫌いなのは、そう長距離走。
もうね、これが辛くて辛くて。
今思い出すだけでも嫌だ。笑
そもそも体重が人の倍以上あるんだから、距離半分にしてくれるとかしても良いよね。笑
令和の次の元号あたりは「みんな平等」に通信料のように従量課金生になって、走る距離とかもそれぞれに最適化されないかしらw(未来のぽっちゃりさんが幸せになりますように笑)
まぁ、冗談はこの辺に、とにかく苦手なワケですよ。
もちろん、長距離走とかで養われる体力とか忍耐力とかはもちろん肯定していて、素晴らしいことだと思います。
一方で短距離走とか様々な球技やダンスなど、その人の得意なものを見つけることができるようなプログラムでもあったし、いわゆる体育云々ではなくは、カリキュラムそのものには物申すつもりはなく、ただね、どうやっても体育の中で戦っても「勝てない」のよね。
なのでもちろん5段階評価は常連のように「2」以下。
恐怖のマラソン大会がやってくる
ここまで読んでくれた方はお分かりかと思いますが、走るのがとにかく嫌な私は毎年やって来るこの季節が本当に憂鬱。
そしてそのマラソン大会までの練習がもうものすごく辛い。本番のために練習するのは分かるけど、本番を想定した辛さを数日ごとに味わうこの辛さたるや。笑
そして、毎度下位を独走する私は授業時間の関係によるタイムアップの常連さん。あの先に走り終えた仲間たちが体育座りで、遅い人たちのゴールを待たされているあの独特な感じと、急がなきゃという焦り。
あ、ちなみに、そのことに悔しさがあるというより、申し訳なさがあるだけで、得意不得意の話だからそれ以上の感情はなし。
むしろ、遅い自分が悪い。くらいな感じ。
ただ、毎回この時間が来るのが憂鬱だったことは確か。
大会目前のラストスパート!
ってなことで、だんだんと本番に向けて熱を帯びてくる授業と体育教師。いやはや厄介。笑
体育教師からの頑張れ!という眼差しと仲間たちのまたこれかよといった表情(若干被害妄想もあるかも知れず、応援してくれていた人もいるはず多分)を横目に今日もビリ争いは白熱しています。
しかし、今日は何かが違う。
実際のところもう20年以上前の出来事で正直ちょっとうる覚えなので、詳細は違うかもしれないけど、確か大会の最終練習日だったはず。
さらにそこに4時間目(または6時間目?)というお昼休みまたは放課後などの、要するに次の授業が迫っていない環境だったはず。
だったからか、体育教師から今日は最下位の生徒も走り切るように授業の開始時に発破をかけられたことを思い出す。
いつもならなるべく省エネで走り続けて、タイムアップを目指すのが常套手段だったのに今日は必ず走り切らないといけないという絶望に気づく。
あぁ、終わった。
いつもですら皆の視線を気にしながら、タイムアップまで耐え続けるのに、今回はそれを走り切るまでなんて、耐えられない。泣
絶望の中、ふと周りを見ると、最下位争い常連の同級生と私だけの2名がトラックに残される。
今、何を求められているのか?
そんな思いが頭を過ぎる。
もちろん「走り切ること」ではあるが、得意なことが少ない自分にこれだけ多くの注目を浴びることも少ない。
そしてみんなが見たいのは、完走する「結果」よりも走り切る「エンタメ」なんじゃないか?
逆さまの舞台は揃った。
全注目が集まる中、今日に限っては制限時間がない。
本来興味が集まるのは誰が優勝なのか。
あ、今反転している。
そんな気づきを息が切れる中、ふと頭を掠める。
そうとなったら、試してみよう。
ビリを独走していた自分だったが、最後の力を振り絞って、もう一人を抜いてみる。
そこで起こった歓声。
あ、正解はこれっぽい。
みんなが見たいのはただのビリ争いじゃなくて、ワクワクするビリ争いなんじゃないか?
感動をデザインする。
結果、死闘(という名のただの遅い人同士のビリ争い笑)に制した私は見事最下位。
でもね、
当時の先生はとても喜んでゴールで迎え入れてくれた。
友人たちも笑顔で拍手をしてくれた。
そうか、そういうことなんだ。
勝ち負けだけじゃなく、人の心が動く瞬間にこそ意味や価値があるのかも知れない。
その後のマラソン大会は散々な結果だったし、そこに何も感動は生まれず、よく走り切ったね。という程度。
やっぱり色々な要素や条件が揃うことが重要なんだなってのも、気づきとして獲得。
ちなみにオマケの話だけど、その時の体育の成績は人生初めての5段階中の「4」。
わぉ。
なんでもやってみるもんだ!
終わりに
さて、今回のお話しを振り返って、改めて実感することは、自分自身のアイデアひとつで何かが変わるってこと。
これがすごく大切なんじゃないかななって、アラフォー(気がつけば38歳になりました)になって、事業をや子育てなどに重ねたりして、強く実感していることです。
誰しもが、
自分の可能性を信じることで世界(自分の身の周り)がちょっとでも変わることもある。
そんな想いを抱いていけたら、素敵なことなんじゃないかなって思っています。
さて、今回もお付き合いいただいてありがとうございました。
よろしければ、ぜひまたご覧ください。
またね。