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618g*超未熟児出産体験記(1)

こちらは2009年に著した日記です。
あれから11年、さらに娘は成長し15歳になりました。
娘の今を著すこと、娘の生まれた頃のこと。
整理してみます。
2005年4月・私は618gの小さな赤ちゃんを出産しました。
あれから4年、長かったようなあっという間だったような。
家族+たくさんのひとたちに助けられてここまでやってきました。これから紹介する記録日記は2006年秋、娘が1歳半となりやっと気持ちに余裕ができた頃、書き留めたものです。娘はゆっくりだったけれど、しっかり成長しました。そして、たくさんの事を私に教えてくれたように思います。

妊娠発覚

2004年12月《妊娠発覚》

さーて今日の晩は何を呑むかな~と考えていた私。
いつも何を呑むかで晩ごはんの内容を決めます。
でも。何だかひょっとして?
そういえばこないなぁ。まさか???
って感じで妊娠発覚。2~3日前に買い込んだ
クリスマス用のシャンパン・お正月用のお酒。
全てダメになりました。年明けには
グアムに行く予定もあったのに~~~
でも、欲しかった赤ちゃん。
うれしくてとびあがりたい気持ちでした。


同 12月《産婦人科へ》

ウキウキしながら町の小さな病院へ。
ドラマで見たイメージできっと先生に
「おめでとうございます」な~んて
言われちゃうんだろうな~なんて頭の中はバラ色。
でも、妊娠発覚と同時にわりと大きい子宮筋腫も発覚。
筋腫の知識がなかったため、嬉しさよりもショックだった。
要経過観察ってことで普通よりも
検診をこまめに受けるよう指導された。


2005年2月《妊娠4ヶ月》

筋腫が大きくなってきていた。
筋腫の場所があまり良くないため帝王切開かもといわれる。
その他、早産の可能性を指摘。散歩等、禁止される。
この時、もっと詳しく聞いていれば良かったのだが、
どうやらこの頃から頚管が短くなってきていたらしい。
里帰り出産するならかなり早めに帰るよう言われた。


2005年3月《妊娠5ヶ月》

調べてもらったら女の子?かも?
女の子が欲しかったので嬉しかった。
でも、まだ確定ではないので次回検診でまたみてもらお~っと
くらいの呑気な気分。


緊急搬送

2005年4月2日《6ヶ月検診・20週》

いつものようにバスを乗り継ぎ病院へ。
先週母親学級で一緒だったママたちがちょうどいて盛り上がる。
いざ診察へ。「先生、女の子ですか~?」と呑気に聞いた。
先生「それどころじゃない!!!」
へ?何が?
診察台からそのまま座ることも禁じられベットへ運ばれる。
先生「足がでかかっている。このままダメになる可能性が高い。
覚悟してください。」
状況はしばらくわからなかった。
救急車到着。対応できる病院が近くにないということで
遠くの病院へ母体搬送された。
結婚して来たばかりの土地で地名を聞いても
どこへ搬送されるのかわからなかった。

搬送先でそのまま診察へ。
とりあえず点滴でおさえられいるとのこと。
今日の流産はなくなった。
現在20週。現在の医学では22週から早産になるという。
先生にまずは2週間お腹の中にいれてあげる事を
目標にがんばりましょう、と言われる。
そこまでもてば生存の可能性があるということ。
もはや、予定日までもつような状況ではなかった。

旦那が急遽かけつけてきてくれた。
どうやら車で1時間。電車だと2時間半かかる所らしい。
仕事で忙しい身なので面会にもあまりこれなさそう。
とにかく不安でこころぼそかった。


#超低出生体重児
#出産成長の記録
#まめ天日記

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