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母の後悔

我が家には足の悪い犬がいる。
保健所から迎えた犬で、1歳の時に急に歩けなくなり
生まれつき膝蓋骨が脱臼しているとわかった。
これは小型犬が抱えがちな先天性の病気だが、
我が家の犬は少し小さめの大型犬だ。
手術して歩けるようになったが、無理に靱帯を引っ張って付け直す
骨切術の手術だったため、踵に負担がかかり
浅趾屈筋腱脱臼になってしまった。
だましだまし歩いて、今年で10年になる。
さて、これは犬の話ではない。
その我が家の犬が、庭に下りるコンクリートの土間のところで
ごろりと寝転がって庭や道を眺めているのが
つめたかろうということで、
一念発起
ウッドデッキを作ることにした。
この犬が来たおかげで、我が家は時々こういう普請を必要としてきた。
ボロボロだったシステムキッチンも、すべて取り換えざるを得なかった。
が、過去のことは置いておいて、とりあえず、ウッドデッキである。
結構時間がかかったが、昨年の12月、ちょうど一年前くらいに
完成を見た。
我が家の愛犬は喜んで、
まったりとウッドデッキの上で日向ぼっこをし、
その様子を私の老齢の両親が目を細めてみている。

ところが、である。
今年の夏、なんだか庭に蜂がよく来るなぁと思っていた。
ごくごく一般的なあしながバチだ。
しかし、多い……
ある日、庭仕事をしていた母が声を上げた。
「ハチの巣がある!」
何とウッドデッキの下、端近の、簡単に人から見えるところに
大人のこぶしよりも一回り大きい巣を作っていた。

我が家の犬は黒い。
蜂は黒いものを攻撃するという。
一大事である。
しかし、生き物大好きの我が家。
蜂を殺すに忍びなく、何とか出て行ってもらえないかと悩みに悩んだ。
が、有効な解決策はなく、
父が思い付きで蚊取り線香を連日もうもうと焚き上げ
煙攻めにする。
が、煙? なんのその。
最初こそ嫌がっていたが、
なれたのか、普通に日常を営んでいる。
「これは犬がさされる前に、心を鬼にして殺すしかない」
父にそういわれ、Amazonで泡ジェットでハチの巣を殺すというスプレーを買い込む。
も、覚悟が出てこない。
殺すか、殺さないか。
さんざん悩んでいるうちに、ある晩ひどい雨が降った。
朝にはすっかり上がっていたが、庭木の様子を見に下りてみると、
ウッドデッキの下に、
ごろん
と、ハチの巣が落ちているではないか!
しかも、蜂たちは非常に困った様子で
落ちた巣の上にのって右往左往している。
これはいよいよ、イラついて犬を指すのではないか?
そう考えた母が、夜、真っ暗になって
蜂の活動がおさまる23時ごろに
ウッドデッキの上からバケツ一杯の水を
バシャー!!
とかける作戦に出た。
真っ暗なのでわからないとはいえ
蜂は特に飛び立つでもなくおとなしいものだ。
翌朝恐る恐る見てみる。
相変わらず蜂は巣の上に乗っかって、
地面に接した部分にいる卵の心配をしているようす。
なんせびしょぬれである。
卵が水没するほどではないが……
「ここは住みにくいからみんなで引っ越そう!」
て思ってくれないかな
といいながら、
母は翌日も、その翌日も
ウッドデッキの上から水をかけ続ける。
水はウッドデッキの隙間から巣の上に降り注がれる
しかし、蜂は引っ越す様子はない。
「なかなか勝負がつかない。
 そもそも巣が落ちるなんて!
 場所の選定もおかしいわよね。
 普通ハチの巣って高い所にあるはずなのに、
 なんであんな低いところに、
 それも雨がかかるような場所になんか作ったんだろう。
 もっと奥に作ればよかったのに。ふしぎだわ。
 調べてみよう」
母は、不意に思い立ったように
googleであしながバチの生態について調べ始めた。

おとなしく穏やかな性格。
女王バチが一匹いて、巣で働いているのはみんな女王バチの子供
女王バチが産んだ多くの卵を育てるべく、
働きバチは働くだけ働いて、ひと月ほどで寿命を迎える。
冬になるとみんな死に絶え、
女王バチだけが巣を捨てて
木の皮の裏などに身を潜めて越冬し春を待つ

その説明を読み上げた母は急に落ち込んだような顔になった。

かわいそうなことをした
というのである。
遅かれ早かれ今年中に死んでしまう蜂。
働きづめでいい目を見ることもなく(それはしらんが)
卵(自分の兄弟)を孵化させるために一生を費やす。
そんな必死に頑張っている蜂に、
私は毎晩水をかけるなんて!
なんて非道なことをしたんだろう。

ずいぶん深く後悔している様子だ。
さらに母の言葉は続く。

しかし許せないのは女王バチよ。
自分が子供をポコポコ産んで
みんなに働かせて食べ物も持ってこさせて巣を作らせて
死ぬまでよ?
で、みんな死んだら、
自分だけぬくぬくと木の皮の間で越冬するなんて!
何のために働きバチは生まれてきたわけ?!
ひどくない?!

うん、確かにひどい。
が、こちらとて、愛するワンコがさされないために必死だったわけだが、
もうそんなことは、母はすっかり忘れたようで
「本当にかわいそうなことをした。
 女王バチは好きにすればいいけど
 働きバチはもうすぐ死んでしまうというのに
 毎晩水攻めにするなんて。
 今日からはもうしない。
 あとは命ある限り頑張って生きて行ってもらうわ!」

確固たる意思表明である。

なので私も何もせず、
父にも
殺さず脅かさず、まったりと過ごしてもらおう
と共通認識で見守ることにしたのだ。
犬は暢気なもので、
巣のすぐ横でオシッコをする(女の子なので巣にはかからない)し
巣の近くで寝そべったりしていた。

今年は夏が長く、秋はなかなか訪れなかったが、
それでも自然のサイクルにのっとって、
巣の上で右往左往する蜂の動きは次第に鈍くなる
地面に接している白い卵も孵ったのか次第に数を減らし、
庭の端っこなどで
時折あしながバチがうずくまって動けなくなるのを見かけるようになった。
ある時はひっくり返ってカサカサと音を立てて
風に揺られていたり、あるいは蟻に引かれていった。
そしてすっかり秋が深まったころ、
最後の一匹らしい蜂が
巣の上でじっとうずくまっているのを目撃する
母曰く
「あれが女王バチよ」
にしては大きくない(女王バチは大きいイメージがあるのだが)。
とにかく一匹、寂しく巣にしがみついているのだ。

数日後、巣の上には誰もいなくなり、
父がハチの巣を箒でデッキの下から掻き出して
ひっくり返すと、あれだけたくさんあった白い卵は一つも見当たらない。

一つの仕事を終えた干からびた巣だけが残った。

年末を迎える今になっても、
母は時々思い出したように
「あの蜂たちに悪いことをした」
という。

まあ、みんな無事(?)に天寿を全うしたようだし
そんなに後悔しなくてもいいんじゃないかと思うが。

それにしてもあの落ちた巣で
よく最後まで乗り切ったな
などと思う。
巣が落ちたのは
まだ夏の盛りだったし
いくらでも新しい巣を、
今度は雨のかからないデッキの奥のほうにでも
作り直せばよかったのに
あ、でも卵か
せっかく産んだ卵を放っておくわけにはいかなかったんだな

蜂には蜂の愛情があったんだろう。
働き蜂のことを思うと
理不尽だなぁ
何のために生まれてきたのか
と確かに思うが、
実はそれは、私たちにだって言えることだ。
そういえば中島敦の『山月記』に
「全く何事も我々には判わからぬ。理由(わけ)も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。」というくだりがあったなぁ

などと思う次第である。
ちなみに私も一時期水攻めに加担したが、
別段後悔はしていない。

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