18トリソミー
「羊水検査の結果が本日分かり
18トリソミー確定でした。
本当に辛いですがお別れすることを
選びました。」
と、いう記事を見つけた。
書かずにはいられなかった
と、言うのが本音である。
そして、言ってあげたい…
諦めるも1つの選択肢。責められないよ…
18っ子
(18トリソミー児に愛をこめて以下そう記載する)を亡くしてる身からすると
今は確かに昔と比べ物にならないほどに
生きることができる時間も伸び
「本人」や「家族」の「時間」を
大切にしているご家庭も多く
羨ましくもある。
ただ、仕事柄…
13.18.21トリソミーをはじめ
染色体起因障害やその他
難病や脳性麻痺などなど
様々な理由で所謂「医ケア」さん
(医療的ケアを必要とする在宅患者の介護)に
関わることもあり様々な風景も見えてくる…
先に書いた、このご家庭が
どんな背景で
検査を受け、羊水検査まで進んだのかは
しらない。
なので、そこは問わずに
私の視点の読み物として読んで欲しい。
上の子や娘氏を授かった頃は
「スクリーニング検査」「羊水検査」
と、言えば
ハイリスク妊婦の人が専門医の指導のもと
「勧められて」はじめて
「受けることのできる検査。」であった。
昨今、近い検査を比較的簡単に
お金で受けることができる時代になり
色々と考えさせられる。
因みに、良いとか悪いとかではなく…
その検査代金と何かがわかった時の代償は
私は決して安くないと思う…
安易に受けられるようになり
生命の選別に繋がっていないか?
とも、感じる。
娘氏の妊娠時、私は産婦人科専門医の
勧めにより遺伝子科も受診するよう
指導された。
上の子が「18トリソミー、新生児期死亡」
との紹介状の記載によるものなのだが
私自身、18っ子同胞児の
18トリソミー及び近類の障害発生率を
知っていたこともあり
「検査そのもの」を断っている。
その他、上記の発生率以外の理由として
①パートナーが違う
②保険適応でありながら検査そのものが高額
③染色体起因はある程度分かってもそれ以外の疾患や発達障害まではわからない。
そんなことよりも、なによりも
④「受けたところでどんな結果が出ても
産むんでしょ?」
と、言う
現在の旦那でパパの言葉が
何よりも大きかった気がする。
そう、考えると私は恵まれた
環境での出産だったと今更ながら
思い返される。
そんな経験をしている私の考えは
「わかってしまい育てられない!」
と「考えた.感じてしまった」のならば
残念ですが諦めることは
適切な判断なのかもしれません。
と、思ってしまう…
18っ子をはじめ医ケアや
肢体不自由児・者の家族の多くは
社会の在り方そのものを変えるべく
活動に繋がっていったり
家族で楽しく過ごされている姿だったりを
よく、お見かけします。
しかし、一方で
家族の誰かが日々の24h体制の介護疲れや
社会の目、
何故、自分が?
などとネガティブな気持ち側に傾いてしまい
耐えることができず心や身体を
壊してしまったり
家族そのものが崩壊してしまい
児・者、本人が保護に至るケースも
全くないわけではありません…
私の娘は20ン年の話であり
社会的(時代的)にも本人の状態的にも
在宅に戻ることはあり得ない
相当に難しい状態で娘は所謂、
「死亡退院」です。
ただ娘は現在の医療であっても在宅移行が
難しいケースであったと考えます。
それほどに状態が重かったのです。
今の私は支援者として「在宅生活を支える側」
の立場にいることも手伝ってか
娘が在宅に戻れていたら…
ふと、考えてしまうことが
ないわけではありません。
ただ…
なんとか、楽しく暮らす側にいるのか?
崩壊側にいるのか?
と、聞かれると、正直言って
どんな形かは問わず
崩壊側な気がするのです…
実際、死亡後に娘の父親とは
離婚していますしね…
現在、障害種別はちがえど
手がかかりまくる娘氏とパパは
再婚後の話なので。
なんとかできて?る?のかと…
(いや、できてはいないかな?)
(ま、生きてるからよし!としよう…)
まとまりがなくなってしまっていますが…
初めの話に戻ります
所詮、ヒトンチの話なんで
当然「クチ」なんて出せるわけでもないし
そもそも、友達でも知人でもないので。
ただ、それでも思う…
自分の経験とケースを見てきている
視点から言うと
「検査結果みたから中絶…ダメ」
とは、言えないよね…。
むしろ…
「責めないで心と身体のケアをして欲しい」
そもそも、検査が受けられるように
なった社会なわけなので
検査を受けること
受けないこと
そのものを人がトヤカク
言うこと自体できない。
私に至っては勧められてるのに断った側で
寧ろ、大学病院だったということも
あった思うが病院側から「受けてくれ」
と言われていた。
今思えば、データ欲しかったよね。
(だったら金出せw)
でも、私はその時は
どんな子でも!
って言う思いはあったけど
確かに自分の気持ち、意思を優先させた。
結局のところなのだが
なんで簡単に検査が受けられるように
なっちゃったかなー….
って思いと
もし、何かわかって
産むにせよ産まないにせよ
心の準備と環境の準備必要よね…
そういう側面もあるしね…
って思いも湧き上がり
心が掻き乱されるわけなのだ…
生きてると色んなことを
目にしてしまい
気に留めてしまう。
特に見知ったワードや
馴染みのあるワードに至っては
特に気に留めてしまうだろう。
でも、正直いって疲れちゃうのだ。
ちゃんと社会を地域を
見て生きるって大変なことなんだよ…
娘もそう
今回、諦めるに至ったおこさん
病気や障害を抱えながら生き抜いた人
元気に全うした人
みんな、生命がおわるとき
何を感じて逝ったのだろうか…
合掌