見出し画像

民主主義をブーストしたい

昨日、安倍元首相が襲撃され、亡くなりました。
ご冥福をお祈りします。

昨日は、昼休み直前の打合せの最後に、参加者の一人が「安倍さん撃たれて重体だって」って言い残してWeb会議が終わりました。
びっくりして検索してみたら、本当にそうでした。
それからは、仕事していても全く落ち着かず、なんだかとてもショックで、ずっとふわふわしていました。
夕方には懸命の処置にも関わらず訃報が…。

安倍さんの政治的思想や、やってきたことの数々、全く賛同できないところは多々ありました。好きか嫌いかと言われたら、どちらかといえば嫌いでした。
でも、それとこれとは話が別。助かってほしかった。

だって民主主義は
「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」
だから。意見が反対だから、相いれないからといって、口をふさいではダメだし、命を奪うことは許されない。

今日は、昨日あれこれ考えたことを少し書いてみたい。
参院選を前にして。

嫌いという感情はきちんと認めよう。でも発露の仕方は気をつけたい。

SNSを見ていると

「安倍さん無事でいてほしかったってことは、みんな安倍さんのこと嫌いじゃなかったんだよね」

のようなことを書いている人が少なからずいるようですが、嫌いな人は死んでいい、わけじゃないよね?

「嫌い=その存在がなくなればいい」では決してない。

嫌いという感情は持っていい。好き、嫌いは自分の価値観なので、自分のなかではちゃんと認めてあげるべき。でも発露の仕方は考える。

そして、できれば「嫌いなところだけ嫌う」ということをしてほしい。
この人のこういうところが苦手、嫌い、というのを分析していくと、「こことこことここが嫌いだけど、それ以外はそうでもない」ってことがあると思います。

発信をやめたくない、対話を諦めたくない

民主主義は多数決だと思ってる人もいるかもしれないですが、そうじゃないと私は思っています。
民主主義は、みんなで話し合って決めること。
暴力ではなく、対話をして、つくっていくこと。

昨年の衆院選から、みらい子育て全国ネットワーク(miraco)のキャンペーンで
#GoTo候補者 をやっています。
これは、「子育て世代の困りごとを政治に届けよう」ということで、アンケートを行い、その結果用紙を素材として提供するので、それをもって候補者のところに行き、対話しよう! というキャンペーンです。
つまり、物理的に候補者に近づいて話しかける、というものなんです。

今回の事件が起きて
「#GoTo候補者 を発信していいのだろうか?」「対話ができなくなってしまうのでは?」
という迷いがなかったかといえば、嘘になります。
でも、そこで対話を諦めてしまったら、暴力が勝ったことになってしまう。
対話なしには民主主義はなりたたない。

私がこう思うのは理由があります。
3年前、私が住む江戸川区の学童保育は、9~18時開所で補食も持込でした。働く共働き親にとって、その預かり時間では、出勤も退勤も間に合わない。
また、時を同じくして国会では、学童保育の基準変更についての法改正ついて、大きな問題になっていました。
そのとき、miracoとして学童の基準変更反対の署名を国に出し、江戸川区の署名も行い、また、ちょうど統一地方選挙のときだったので、#子育て政策聞いてみた で学童の質問をできるだけ多くの区長候補、区議候補に持って行って話し、結果をまとめ…として、発信および対話をしてきました。
その結果、それまで江戸川区の学童保育が、8時~19時の延長可能となり、補食も区から提供されるようになりました。
こうやって、困りごとは、発信すること、対話することで解消されるんだ、という成功体験を得た瞬間でした。

だから、これからもあきらめずに、発信と対話の道をさらに模索したいのです。
時代によって少しずつ変わるかもしれないけれど、それぞれのやり方で。

あと実は

暴力は許されない、というのは真実だけれど…民主主義が機能してないと対話に限界を感じる人もいるかもしれない。

というのも書きたかったけど、今日はもう日付が変わってしまうのでここまでにします。

最後に、一票は見舞や香典じゃないので、いつも通り投票する人を決めてほしいなと思います。

一票の力を、行使しよう。
そしてみんなで民主主義をブーストしよう。



何か少しでも心に響くものや役に立つものがありましたら、サポートいただけると嬉しいです。サポートいただいたお金はクリエイター活動に使用します。