環境が変わっただとか、縁がないからとか、自分から勝手に手綱を離してるだけなのに無いとか言うな。 もっとダサく生きろ。 綺麗に生きようとしてる時点でもう手遅れなんだから。
最古なる友は片手で握手をするのではなく、肩を組む仲だった。今日は腹割る超えて切腹してたな。 これからも考える前に行動して行こう。良いことしかなかった。
友、という字は人の右手が重なってできた漢字らしい。 だから私は貴方をいつも助けることができないのかもしれない。 いつも、苦しそうに生きている友人がいる。 夢のために努力しているのに、いつも結果が見合ってなくて口惜しく感じる。 彼女が苦しさを世に吐き出している時、愚痴でも聞こうかと打とうとして何度その手を止めたことか。 知り合ってもう何年も経つというのに、私は彼女について遠くから見ていることしかできずにいる。 別に友人であるならば、話を聞くだけでも良いはずである。それで楽
この間、Peatix で募集していた哲学カフェに行ったのだがこれが大変面白かった。 それ以降またもや自分について考えている。 「まだ一つ前の話題について考えている途中なのにな、と思うことがあるので、話を振られることは自分は嬉しくない」 というのはなかなか強烈だった。 確かに、人は自らが話す時に一番楽しさを感じるため、その機会を平等に与えなければならないという信念が今まであったように思う。 沈黙に耐えられないのだ。 熟考してから口に出すということは非常に苦手だ。 人に問
よく言ってる言葉の一つに「わかる」があるんですが、これを辞めたい。 共感を人間関係を円滑にする為の道具として使いすぎている。 実際は自分の経験と照らし合わせて私も同じ!って感動からつい使っているけれど、ただの恐怖の現れではないか。
赤と青とエスキース、心に置いておきたい本ですね。
人と対峙するたびに問われる気がする。 お前は生きていてもいい人間なのか、と。 完璧な人間なんていないし、素晴らしく見える人にも欠点がある。 分かってるつもりだけど、やはり自分は劣っているなと思う。 自己中の行き着く先は孤独だと知っている。現にそうだから。 自業自得だ。そう言ったのはお前じゃないか。 誰も私を否定せずにやんわりと離れていく。 それを望んだのは私だ。 相応しい人に成る努力ができないのなら、そこで1人朽ちればいい。 誰かに救ってもらいたいなんていう浅ましさが
夜に考え事をするのは良くないことである。 大抵の場合、この行為に意味など無い。 唐突に大好きな人に会いたくなったから、4年ぶりくらいに連絡を取った。 返事が来て嬉しかった。 土日は空いてないから平日に食事へ行こうとなった。けれど残業で難しいから、再度日程調整しないかと返した。 それから未読が続いている。 人を信じるというのは難しいものだなと思う。 この状態で何をしたら正しいんだろうか。 彼女に対して私は負い目があったから、きっと言葉の節々に気持ちが現れてしまったのだろ
結局自分が回したり話したりして。楽しかったけど疲れちゃったな。 ありのままの私で生きられる場所なんて、ほんとうにあるのかしら。
街コン行ったけど、誰にも選ばれない人生で寂しい。孤独に慣れたくない。
都会の夏の夜は腐敗の臭いがした。 金曜日の夜に唐突に美味しいハンバーガーが食べたくなって吉祥寺へ行った。 中学の頃から遊びに行ってるし、大学ではバイトもしてたからこの街のことはよく知ってると思ってたけれど、1人で夜に遊びに行くことはあまりなかったので見たことない一面を知った。 ゴミと学生と弾き語りが、吉祥寺の夜というものらしい。 在宅ワークだと全く太陽を知らないまま1週間が過ぎる。平日の夜に外に遊びに行っても全部閉店してるから、早く仕事が終わって時間ができても、やること
正直、飲み会行くのちょっとだるいなと思ってたし、前半はあんまり楽しくなかった。気を使ってばかりで話を回さなきゃ!という気持ちでから回っていたので。 どうにも私は、時間を支払うからには何かしらの対価を得たいと思うらしい。 飲み会という場で発生するランダム性はあまり好きにはなれない。どんな話を共有できるのかわからない人と同じ卓になった時は地獄だと思っている。 本当はその人自身がどんな人間かそれぞれ話を聞いて深掘っていきたいけれど、喋ってない人がいると思うと意識がそちらに向いて
身の丈に合わねぇことをするな。 弁えて生きろ。 お前は独りだ。
虚しいので、何かを作ろうと思った。 PCのメモリが圧迫されただけだった。
叔父が死んだ。 正直、どうでもいいと思った。 姉は連絡が来てすぐ、泣きながら父に電話をしてくれたらしい。 どうあっても葬儀に行く、と。 薄情だと指を刺された気がした。 正しい人間ならばきっと仕事があろうが、友人との約束があろうが葬儀に行くんだろう。 私は今関わってる人の方が大事だ。 自分の大好きな人たちのことを大切にしたい。 そもそも2,3年も会っていない人が死んだところで私の生活の何が変わるというのだろうか。あの人の歩んできた歴史も知らないし、どんな人間なのかも知ら
最近、「先輩らしくある」とはどういうことか、をよく考えています。 私は自己肯定感が低いので、他者に対して上から物をいうことで立場を保とうとする人間であると解釈しています。 そのため先輩という立場になるたびに、私の自尊心を満たすために”教えている”のではないか?と自問自答するのです。 今話した内容は本当に相手のためなのか?「誰かにとって有用な人間でありたい」という気持ちの現れなのでは? 教えることが自己表現の一部になってしまって、たいそうな人間でもないのにどの目線で物事を