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不幸の源泉は心の虚無感

私は10代の頃、死への恐怖に取り憑かれ、そのことに苛まれていた時期があった。だが、この恐怖は、死後世界の事を調べていくうちに、その実在性を確信するに至り、自然と薄まっていった。

20代に入った頃、突如として「心の虚無感(空虚感)」なる病魔を発症し、度々襲われることが多くなった。酷い時は、発狂寸前まで追い込まれたこともあった。

私はその当時、地方から都会に出てきた大学生だったため、一人暮らしをしていたことも影響したのだと思う。独りで部屋にいる時、孤独に押し潰されそうになる経験にしばしば遭遇した。

社会人になってからは、「仕事での目標に邁進する」と自分自身に言い聞かせ、何とか誤魔化せることが多くなった。だが部屋で独りになる時間が多くなると、やはり「ぼんやりとした不安」が再発した。(この「ぼんやりとした不安」とは、作家の芥川龍之介氏が自殺する前に友人に語った言葉でもある。)

また、その当時の私は、生まれつきの発達障害と不安障害を抱えていたこともあり、周囲と馴染めずに、生きづらさを感じていた。

この「心の虚無感」から逃れるため、古今東西の哲学、宗教はじめ、あらゆる本を読み漁り(1000冊はいったであろうか)、それこそ考えられる手段は、全て試したと言っていいだろう。しかし、何をしても離れることはなかった。

日本特有の「恥と見栄の文化」が関係しているためか、皆、言葉には出さないが、世間でもこのような苦しみを抱えている人は多いように思う。お金もあり、家族もあり、一等地に住んでいて、表面的には実に楽しそうに振る舞っていた芸能人が、突如として自殺したというニュースをよく聞くようになったが、これなどは典型的な例であろう。

人類史を振り返ってみても、戦争などのあらゆる不幸は、この「心の虚無感」が根底にあるのではないかと思うのだ。

物質的に恵まれていたであろう一国の主が、何を好き好んで他国へ攻め込む必要があるのだろうか。やはり、何か満たされぬ思いがあり、心の虚無感から来る不安を払拭するためだったのではあるまいか。

あるいは日常においても、多くの人が毎日怒りとイライラを募らせれながら生きているのも、この心の虚無感から来る寂しさや虚しさが原因なのではないだろうか。

心の内では叫び声が聞こえていながらも、仕事や家事など忙しく活動することで、何とか自分自身を誤魔化しながら生きている人も多いのではないだろうか。

だが、このような生き方を続けていては、いずれ心身ともに疲弊してしまう。さらにはうつ病を発症させ、自殺へと追い込まれてしまった人もいたことだろう。

人は心の虚無感を埋めるため、無意識のうちにそれを外に求めるものである。すなわち、お金などの物質的なものであったり、他人からの承認であったり、あるいは異性だったりするわけだ。

しかし、仮に一旦それらを得て、一時的な満足が得られたとしても、永続的な満足が得られることは決してない。そして満たされないことが分かると、さらなる欲望に苛まれ、際限のない無限ループにはまり込むことになるのである。それは、この世の現象世界のあらゆる事物は無常であり、幻想であり、非実在であるためだ。

今現在の私自身について言うとするならば、「心の虚無感」に襲われることは全くないと言える。むしろ独りでいる時の方が至福感が込み上げてくるため、好んで独りでいることの方が多い。常に「神の愛」を実感しながら生きているためである。

この世界で唯一実在するものは、諸君のハートに存在する「内なる神」だけである。

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