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嫌われる勇気

嫌われる勇気:岸見一郎、古賀史健

読書期間2025.2.1~2.8

途中からネタバレになります。
お気を付けください。


この本を読んだきっかけ

私は昔から堂々としている割には、内心では周りの目を気にしてビクビク怯えているような人です。どこか苦しくて、自分でない誰かな気がして。どっと疲れて家で倒れるように寝て、、というような生活。

このままこのような暮らしが続けば、きっと私は息苦しさで頭がおかしくなる。そう直感しました。私が持たなければならないのは、流されず自分の芯を持つことだと悟り、この本をインスタで見かけて読むことにしました。

本を読んで。

この本は青年と哲学者の対話式になっており、非常に読みやすいと感じた。(些か青年が感情的な気もしたが。)

この本で1番衝撃を受けたのは物事は全て目的があって作られたものである、ということだ。過去の現象から来ているものでは無い。何か目的を作り出しては、それに順応した体の反応であったり、感覚を抱いたりする。

私は過去のことを振り返っては余韻にふけることもあるし、こんなに出来ないのは〇〇の時にこんなことがあったからだ、のような過去のせいにどこかする部分があった。

これは今を生きているのではなく、過去にすがりついているだけなのだという自覚を持つキッカケとなった。



自分軸で生きること。

私はよく他人と比較しては劣等感を抱き、悩まされる。わたしには〇〇がない。他の人はできることなのに。

この本では劣等感は客観的事実ではなく、主観的な解釈によって引き起こされる、と定義している。これは他人軸で生きていることの表れであり、自分を生きていないことでもあると。健全な劣等感は理想の自分との比較で生まれるものであるからこそ、他人軸で生きない生き方をしていくべきなのだと考えさせられた。この本の中で、ユダヤ教の教えが紹介されていた。「自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、いったい誰が自分のために生きてくれるのだろうか」

これに私はとても心が動かされた気がした。

誰も私の考えは分からないし、きっと私のことを見ていない。私もきっと周りを見ているつもりになっているだけで苦しんでいる。

だからこそ、自分のために生きていく。他人から理想とされるだろうと勝手に思っている人物像ではなく、自分の生きたいように生きることが幸せになる上で必要だと学んだ。

人生とは。

この本では行動面と心理面において人生の目標が定められていた。

行動面

①自立すること

②社会と調和して暮らせること


心理面

①わたしには能力がある、という意識

②人々はわたしの仲間である、という意識


私には能力がある、という意識が私の中では希薄だなと考えた。いつも他の人の方が〜、私なんかより〜と考え、自分に能力がない、つまりは他の人の軸を基準に生きていた。

だからこそ私には能力がある。という意識を持つことにより、自分の軸で生きられるのだろうと思った。

そして何かと自立していなく、どこか他人に依存しているというのも自覚している。この行動様式も変えていかなければ、私は一生他人の目を見て行動することになるだろう。

さらに、この部分では人生のタスクとして、

仕事のタスク、交友のタスク、愛のタスクを

示していた。

仕事のタスクにおける人間関係は、目標が定まっているからこそある程度楽なものになる。しかし、交友や愛のタスクにもなると、徐々に難易度があがる。

愛のタスクにおいては、私が自分らしく居られる、ということを感じられなければそれは愛とは呼べない。相手を束縛したりすることは、それは相手の課題に土足で踏み入れてしまうからこそ、苦しくもなる。

人間関係のこじれは、この課題の分離が上手くいかないことで生じることが多い。

確かに、何かと干渉されることがあった上でトラブルが生じることも多いと思う。実際、家庭教師で親が子に勉強面で過干渉している家庭はたいてい上手くいっていない。

きちんとこの課題は一体誰のものか?他者の課題には踏み込まないで生きる必要があるだろう。

加えて。さまざまな口実を設けて人生のタスクを回避しようとする事態を指して人生の嘘と呼ぶという。この人生の嘘をつき続けることにより、自分のタスクから逃げ、自由を掴み取る事は出来ない。

言い訳がこれに当たるとは思うが、一見それは言い訳なのかと思うことも、深めていけばそういう行動を取ったのは自分自身であり、そのタスクの責任は自分にあるとも言えることがある。人生の嘘をつかずに、いかに自分のことを受けいれ、競争していかないかが大切になるのかなと思う。


自由とは。

私がいちばん心を動かされたものがこの部分である。

自由とは他者から嫌われることである。

自分の信じた道を行くことで、ある程度他人から不満を表されたりするかもしれない。しかし嫌いと思うのはあくまで他人のタスクであり、自分の問題では無い。課題の分離が極限までいくと、この嫌われる勇気というものが必要になるという。

そして、自らの主観によって私は他者に貢献できていると思えることで、価値を実感できるとも述べている。他人から縦の関係における承認欲求を求めるのではなく、自分が自分の考えで、私は社会に貢献していると思うことで、より自分の価値を実感できるというのだ。

承認欲求は私の中である。ただこれも他人軸で生きることと同義であり、自分を苦しめることにもなる。あくまで自分の中で価値を見いだしていくことが重要なのだと実感した。

終わりに

嫌われる勇気という言葉に強く心を惹かれ、読んでみたが
かなり考え方を覆されるような感覚になった。

きちんと自分軸で生きることの大切さ
自分を見失わないために、自分としての生を全うするためには、自分が自分の中で価値を見出していく必要があるとも思った。
きっとこれは容易なことではないと思うが、自分の正しいと思う
行動を行い、自分自身でそれを認めていく、受け入れていく姿勢を
重要にして生きていきたいと感じた。

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