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6年ぶり、2回目のNZへ


ついに始まる!
NZでのワーホリ生活🇳🇿

結構ノリと勢いで決めた
半年前の自分は、
まさかこの場所に戻ってくるなんて思ってもいなかっただろう

でも6年前、まだ高校1年生だった時初めて行ったNZ

なんか居心地良くて、
なんか雰囲気が好きで、
なんか人が素敵で
なんかそこでの生き方に惹かれた

「いつか絶対にこの場所に戻ってくる」

そう心に決めて、
当時のホストファミリーにも伝えて帰国した


my little host sis:)
どれくらい大きくなってるのかな


有言実行!
ついに戻る時が来た!

まだ全然情報を調べてないし、
住む場所も決まってない、
仕事も決まってないし、
前日なのにパッキングも1ミリも手をつけてない

そんなんでも焦ってない自分が不思議だけど
「結局なんとかなる」
こんな気持ちを胸に出発したいと思う


NZでのワーホリ生活で叶えたいこと3つ
目的として立てておく

海外で働くという経験をしてみる


自分の異国での価値を知る

小さい頃から海外で働きたかった
理由はわからない

ただ、洋画や、海外のドラマ、アニメを見て
なんとなく憧れを持っただけ
なんとなくキラキラ見えただけ

今はそんな想いも結構変わってきて
絶対に海外がいい!なんて思ってはいないけど

シンプルに異国の地で社会の一員として生きてみる
異なる言語、異なる文化、結局なんとかなる(と思ってる)日本とは全く違う環境の中で、自分がどれほど通用する人材であるか、試してみる

世界基準を目で見て肌で感じる

将来やりたいことの1つとして、
自分達のカフェを作る、
夢や理想を自由に語れる空間を創るという目標ができた

だからこそ今回はカフェ文化で有名なNZで、
バリスタとして働くことを目指す

世界のトップレベルはどんな知識、スキルを持っているのか、
どのように顧客と接し、どんな価値を与えているのか、
どんなバリスタがお客さんから求められるのか
吸収できるものを全部身につける気持ちで臨みたい

特にフレンドリーなコミュニケーション

自分達が目指すカフェは、
「店員に会いにくることが目的になるカフェ」だから

この人が働いているから、このカフェに行こう
この人がいると店内が素敵な雰囲気になる
この人と話すと自然と笑顔になれる

そんな店員さんはどんな人なのか
海外ならではのコニュニケーションスキルを習得して、将来自分のものとして扱えるようになりたい

心の底から自分らしく生きる


求められる自分じゃなくてなりたい自分

常によく考えること

「この人は私にどうしてほしいんだろう」
「どんな私でいたら、どんな言葉をかけたらこの人は少しでも前向きになれるのだろう」

「本当はこれをしたいけど、私には似合わない、私らしくない」
「こうしたら、きっと変な目で見られそう」

良く言えば、相手の気持ちを考えられる
悪く言えば、他人の目を気にしすぎ

こんなこと全然考えてない時もあるけど、
結構無意識に頭の中にあることが多い

別に今の自分も嫌いじゃないし、
自分らしく生きられてないから、って息苦しく感じるわけでもない

だってこれもこれで自分だから

大幅に変えたいとか、偽りの自分でいるとか
そんなことは全く思ってない

でも、求められる自分像、今までのイメージ、関係性通りの居心地のいい自分でいるかもしれないと不意に感じることがある

それも全然嫌ではないけれど
自分のことを知ってる人が誰もいない異国でくらい、
100%自分が生きたいように生きてもいいんじゃないかと思う

誰も日本での私を知らないし、
何かを求められてるわけでもない
他人の目を気にする文化でもないからこそ、

「どんな自分でいることが、自分にとって幸せなのか」

こんなことをちょこっと意識して過ごしてみようと思う
まぁ結局は今まで通り特に何も考えてない自分になりそうだけど

庭のバカでかいトランポリンで3時間飛ばされ続けた


ちょこっと理想の生活目指してみる

なんとなくやりたいことだってたくさんあるし
あぁこんな人みたいになりたいなぁって憧れる人もいる

日本での自分はできてなかったけど、
その理想の人ならやりそうなこと
ちょこっと挑戦してみようかななんて思ったり

朝ちょっと早起きするとか
料理を丁寧に作ってみるとか
運動を習慣化させるとか
新しい環境に飛び込んでみるとか

そんな些細なことでいい
ほんのちょっと頑張りが必要なこと
毎日コツコツやってみたい

できなくたって全然いい
ただできたらいつもよりちょっと幸せ
そんくらいの気持ちで

普通に乗馬したのおもろい🐴
ダウンもブーツもぜーんぶ借り物

大自然を感じる


ノイズレスな環境でリラックス

私やっぱり都会すぎる環境ってあんまり好きじゃない

人混みに揉まれているところも
人々がせかせかしすぎてるところも
他人に関心なさすぎるところも
些細な幸せに気付けなそうな
大きく息を吸って空を見上げることもなさそうな

便利なところもあるけれど
多分この環境私には合わない

NZで大自然を感じながらただぼーーーっとする
綺麗な空気を肺いっぱいに吸い込む
それだけでもいい

小さな幸せに気づいて、日常に感謝できる人でありたい

前回行ったLake Tekapoはめちゃ曇り空
今回は星空が見たい!!


今後について考える


山、湖、芝生、星空
こんなものに囲まれながら
誰にも邪魔されない環境で、自分について考える時間を作る

やりたいことはたくさんあるけど、それはどうしたら叶うんだろう
結局自分はどんな人になってどんな価値を届けたいんだろう

漠然としてたっていい
何か今後につながるパズルのピースを見つけに行きたい

Mt Cookはすごかったけど、6年前iPhoneの画質終わってる


この3つが今回のワーホリの目的!

長期的に海外に出て、目的を失うと結構やばいってわかってるから
忘れかけた時に思い返せるようにしたい


今回、休学をして、海外に出るという決断をしたこと

就活したくないとか、まだ社会人になりたくないとか、そんな現実に目を向けないための逃げなんじゃないかと何回も思った。これが結局正解だったかなんて今は全くわからない。

よく人は、「自分で選んだ道を正解にする」なんてかっこいいこと言うけど、自分はそんな勇気も責任も力もない。自分の手で、なんとか正解にしなきゃって張り切れば張り切るほど、一杯一杯になって盛大に落ちる。そんな気がする。

だから私は「自分が進む道はもう既に正解であって、その手段を自分で選んでるだけ」と思うことにする。今回の場合、休学して海外に行くという選択をしたことはもう既に私の人生において正解であって、NZという国に行くこと、ワーホリという内容で行くことを自分で決めただけ。

だって今まで自分が取ってきた選択、間違ってたと思うことなんて1つもない。そりゃあ失敗したとか、もっと頑張れたとか、あの時ああすればよかったって反省することはある。だけどその感情だってこの選択をしなけらば味わえなかったこと。経験から学んで、次に活かせてる時点で、その選択は間違ってないかった、私の人生において意味のあるものだった、そう思えるから。

これは私の母親の教えに似てる。「結局のあにとってベストな人生を歩めるように運命は導かれてる。その時自分が失敗したと感じて、取りたい選択肢を取れなかったとしても、あとから振り返れば実際に取った選択肢が、結局のあの人生おいて必要なものだったってこと」言葉にするのは難しいけど、大事な決断をしたときはこんな感じのことをよく言われた。


だからあとは自分がした選択を信じて前に進むだけ!
将来やりたいことがありすぎる私は、みんなと同じ、いわゆる成功の王道ルートを進むよりも、今の自分の選択と生き方の方が達成できる可能性が全然高いって感じた
理由なんてそれだけ、でもこれってでかい


6年前にNZ行った時は
Can I have~?も言えなかった
あんなに素敵なホストファミリーとロクに会話もできなかった

でも今、カナダの留学を経験して、いろんな国に旅に出て、あの時よりはちょっとは海外で生きられるようになった、何回りも成長した自分で再びNZに行く

語学学校にも行かない、エージェントも通さない
前回の留学とは違って、大学というバックオフィスもない

そんな完全自分1人で外に飛び出す
怖いし不安でドキドキだけど、楽しみすぎる

現地に住む友達と、ちょこっとのツテを使って
なんとか生き延びてくる
会いたい人、行きたい場所、得たい経験、成し遂げたいこと、
山ほどあるけど、まずは目の前のことを1つずづ

帰国する頃、この選択大正解だったって思えますように!

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