【第一回】自己責任社会の限界

「自己責任」という言葉が嫌いだ。そもそも、「自己責任」とは何だろうか。今月浪費をしたせいで金欠だとか、飲み過ぎたせいで翌朝二日酔いで仕事に行く羽目になるとか、日常生活の些細なことであれば「自己責任」と言っても差し支えない。だが、明らかに社会構造の欠陥で起こっている問題を個人の責任に帰結する風潮が、どうにも受け付けない。

例えば、貧困、虐待、引きこもり、ヤングケアラーの問題である。少子高齢化や核家族化が進み、さらに格差が拡大している中で起こりうるこれらの諸問題は、どう考えても社会の責任だ。しかし、社会で起きる諸問題を「社会の責任」というと、どうにも自分にも責任がある、自分も悪い所があるかのように聞こえてしまう(実際そうなのだが)。それを受容することが出来ない為、人は「自己責任」という言葉を使いたがるのだ。しかし、「自己責任」という言葉は本来、自分に対して使うものであり、他者に対して押し付けるものではない。誰しもが社会的弱者に陥る可能性があるのに、他者に対して不寛容な態度を取っていたら、自分が困った時にも他者から助けてもらえなくなる。当然のことだ。いつ如何なる場合でも自力で全ての問題を解決することなんて、人間には不可能である。人は皆、一人では生きていけない。たとえ自分で収入を得て自立して暮らしている人であっても、絶対に他者の力を借りて生きている。私たちが電気や水道、ガスなどを使えるのも、食料を手に入れられるのも、娯楽を満喫できるのも、すべて他者の力があってこそだ。お金を払うのは自分だが、サービスの提供者がいないことには成り立たない。そのことを忘れてしまっていないだろうか。

日本人は、幼い頃から「人に迷惑をかけてはいけない」と教えられる。そして、「人の迷惑にならなければ、後は自己責任で好きにしていい」とも言われる。しかし、「人に迷惑をかけない」生き方なんて、果たしてあるのだろうか。
「私は人に迷惑をかけないで生きているから、他人に迷惑をかける人が許せない」という人がいるが、人に迷惑をかけていない人なんて存在しない。直接的・間接的問わず、絶対に誰もが誰かのお世話になって生きている。社会というのは互助関係で成立しているのだから。もちろん、人によって他者に迷惑をかけている度合いは異なるだろうし、自立心の強い人にとっては「自分が他者に迷惑をかけていること」を認めるのは困難かもしれない。しかし、その事実を受け止め、「それでいいんだ」と自分を受容することで、他者にも寛容になれるのではないだろうか。
個人的には「自分も迷惑をかける代わりに、人の迷惑も許してあげなさい」というインドの教えの方が、よほど社会にとって有益だと思う。日本人は、集団の和を乱す人や規律に従わない人を攻撃し排除する習性が、欧米などの諸外国に比べて強いといわれている。また、弱者同士で団結するのではなく、声を上げた弱者をなぜか同じ弱者が引きずり下ろそうと攻撃するのも特徴的だ。「自分達はもっと苦労しているのにお前だけ楽しようとするなんてずるい!」というのが言い分らしいが、とんだ屁理屈である。自分達も苦労しているのだったら、一緒にもっと楽できる方法を探せばよいではないか。なぜ、勇気を出して行動した人を非難したがるのか、理解に苦しむ。

話を戻すと、社会で起こるあらゆる問題は、個人の責任ではなく社会の責任なのである。また、他者に寛容でない社会=自分にも寛容ではない社会、ということも重要な点である。「情けは人の為ならず」というのは正にその通りで、他人に寛容になることで、自分も寛容に受け入れてもらえる。


現代は、プライバシー意識が高まり個人主義が進んだ影響もあって、昔のように地域住民が気軽に声を掛け合うようなことは少なくなった。また、少子高齢化と核家族化により、単身世帯や一人っ子が増加し、祖父母と同居する世帯が減少している。家族の人数が少なくなり、近所づきあいも疎遠になれば、必然的に個人や家族だけで問題を抱え込みやすくなってしまう。また、近隣住民がたとえ異変に気付いていたとしても「他人様のことだから」と遠慮して踏み込めないケースもとても多い。自己責任社会を打破する上で地域の繋がりというのは非常に重要な役割を果たすのだが、その繋がりを構築することが現代では難しくなってしまった。何せ、近所の子どもに挨拶をしただけで、不審者扱いされ通報されるのだから。こうなってくると、方法は家庭を解体することなのか?かつての共産主義国や社会主義国のように、国が管理して共同体を作った方が良いのか?と極端な方法を考えてしまう。歴史上うまくいった試しが無いため、無謀ではあるが…。どうすればよいのか、日々頭を悩ませている。


私は大学で社会福祉を専攻しているので、日々社会福祉の専門家である大学教授たちから様々な話を聞くが「今の社会はみんな余裕がなく病んでいる」らしい。その通りなのかもしれない。だけど、みんな余裕がない今だからこそ、手を取り合って生きていけはしないだろうか。社会で起きている様々な問題を決して他人事と捉えず、「もし自分の身に降りかかったら」と”自分事”として考えてみる必要がある。そして「これは社会の責任なんだ、困ったら社会に頼っていいんだ」とひとりひとりが認識することが、自己責任社会を打破する第一歩となる。


【あとがき】
最後までお読み頂いた皆様、誠にありがとうございます。
長文かつ乱文で、読みにくい箇所も多々あったかと思います。この記事の中では主張しきれなかったことや、記事の本題から逸れてしまうこともあったので、その点はまた次回以降に改めて記事に出来ればと思っています。ご感想やご意見等ありましたら、お気軽にコメントして下さいね。

11/24 編集

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