箒生活から氣がついた時間のあり方とは?
前回こんな記事を書きました。
掃除機壊れて棕櫚箒を購入した話です。
かれこれ使って1ヶ月以上経過しましたので
どのような変化が起きたのか
書いていきたいとおもいます。
結論から申し上げると
声を大にして言いたい。
一家に一本是非箒をつかってもらいたい。
心に想像以上にゆとりが出てきています。
それが夢にまで影響を及ぼしてるんです。
おもしろいことに。
こないだね
なぜか出雲大社前にいて誰もいなくて
背景が輝く黄金色で私が神楽殿の前にたってたら
そこに西遊記の孫悟空がいてなにを喋ってるのか聞き取れないけど自分と会話してました。
穏やかでとても心地がよかったんです。
出雲大社と孫悟空何か縁でもあるのかしら?っておもいながら目覚めましたが少し呼ばれてるような気もしたので今度行ってみたいとおもいます。
こうなると不思議なというかなんとういうか
立て続けに起こるもんで
少しずつ図太さが増してるのか
わかりませんけどなんとなく穏やかに過ごせるようになってます。
去年の今頃からは考えられない変化です。
去年は体調不良でぶっ倒れる日々過ごしていました。
箒で部屋を掃除してると
あれ?さっきここはいたのにえっ?また?
ホコリですか?また掃いてチェックして
えみなスプレーで床を磨くと
まぁホコリが出る。
で最後に箒とちりとりでそのごみをとるんです。
えみなはこれよ。
えみなは洗剤なのに飲めるのよ。
湯船にいれてはいってもいいしね。
これがどういうことなのか賢い人はわかるよね?
えみなは液体もある
両方持ってんだけど液体の方が使い勝手はいい。
で箒で掃いてえみなで磨いて終わると
部屋の浄め具合が全く違う。
なんだろうね~部屋が穏やかで床が綺麗なの。
私は床の上に布団ひいて寝てんだけど
🌃寝る前に箒で床を掃いてから布団ひく習慣にしてるんでけどなんとなく気持ちいいよ。
確かに掃除機で掃除するとあっという間に終わるんだけど箒とえみなで磨くという行為は
時間が倍ぐらいかかります。
今の世の中ってね
時間を時間割で行動し
処理能力が速ければ速いほどいい。優秀。
素晴らしい。
無駄なことしてる暇あるなら動きなさいよ~
って。
考えでそれに基づいた行動をしていません??
時間を切り売りしてるという言い方すればいいのか
時間に追われる生活をしているという言い方をすればいいんでしょうか??
これらの生活って心にゆとりがなくなっていって
疲れて不平不満がどんどん大きくなる。
私はこういう生活を続けて體が壊れ心も壊れでも
しがみついて生きてきたけどもうダメだわ。ってことで
それらを捨て去り
10年以上かけて
軌道修正かけながら試行錯誤して結果
なんとかなるよね~ぐらいの気持ちで
時間で自分を追い込むことはしない生活を
こころがけていたらこうなっていましたが
すべての転機は多分仙人に言われた
「柳の木のように生きなさい」っていわれたことだと
私はおもいます。
そこから新たな時間が動き出して今があります。
「時間がないからできない」ではないんです。
時間がないのはそれだけ追い詰められてるから
時間がないだけなんです。
では「時間」とはなんなんでしょうか?
わたしは箒で部屋を掃除することで
ありとあらゆることに氣がつくことができました。
その1つが
「できない」から「できる」の変換です。
これは非常に大きい氣づきだとおもいます。
言葉には「呪」があります。
「できる」ためにはなにをすればいいのか。
私は掃除嫌いだしできることならやりたくない人。
でもやりたくない➡️できないから➡️やる➡️楽しいに
変換させたのが箒。
箒で掃くというのは仏門では当然のようなことみたいで
修行のうちの1つみたいですが
いわゆる悟りなんだとおもいます。
時間に追われない生活は自然と生きるということに繋がっていき一つ一つが丁寧になる。っていうことにも
繋がるんじゃないかな?ってだから箒だけではなく
着物で生活をするってのもおなじなんだよね。
着物も丁寧に着付けないと着崩れおこすんだよ。
洋服だと30秒もかからないけど着物って
そんな短時間で丁寧には着れない。
短縮して5分前後かな?
ちゃんとした訪問着だと私はまだ未熟なので
15分から20分かかる。帯がうまくいかなければ30分ぐらいかかることもある。
料理だって同じ。
味の素、レトルト使えばあっという間だけど
一つ一つ丁寧にしようとすると
やっぱり時間がかかる。
時間をかけるのがいい。といってるわけではなく
時間とはどのようなことなのか?という
とこに思考をもっていくと
自ずと今の世の中の不自然な具合に氣がつけてるんじゃないかな?
要はね
丁寧に暮らすと自然と整っていくんだよ。って
ことが伝わればいいな。おもいます。
私もまだまだだけどね。