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キレて閉鎖病棟退院したお話と入ってみた感想

閉鎖病棟は健康的でした。朝6時に起きて21時消灯。3度のご飯と服薬。午前と午後にそれぞれ作業療法や心理検査などを行います。

ただお風呂が週に2回のみなのは、かなり参りました。しかもなんか浴室のドア開けた途端土下座してる人とかいるし…面白いけどハードコア?ロック?なんだこれ。退院後同じ病棟に入院した友人に聞くと友人は看護師さんに言って秘密裏に毎日入っていたとのことだったので、衝撃を受けました。そんな手が。

ところで、私は入院5日目くらいにしてもう「退院してえ!」となっていました。最初の5日間くらいは増えた薬の副作用でしょう、朦朧としてベッドから数歩のトイレに行くのでさえ転ぶような状態だったので、正直意思も記憶もありませんでした。ひとつだけ覚えているのは1度夜中にナースステーションに迷い混んで若い男性看護師さんにおばけと間違えられかなり驚かせてしまったことです。支給された白い和服・子供のような身長・青白い顔。まんま幽霊です。反省しています。

私は保護室にいるのが退屈でした。めちゃめちゃ元気(躁状態)で入院した私にとっては部屋から出られずあらゆる娯楽が制限された生活が耐えられませんでした。それに、ご飯も病室で食べることになったので他の患者さんと話す機会はほぼ無く、スマホは使えるものの電波が悪い。そして私は入院初日から発熱し続けていました。困ることは特に無いのですが、単純に暑さが不快指数を高めていました。退院間際まで発熱は止まりませんでした。

そのうち友人が私の荷物を大量に持って面会に来てくれました。私は当時家族と絶縁状態にあったので、特別措置として私の家の合鍵を持っている友人との面会が許されたのです。その後退院するまで週1のペースで面会に来てくれた友人には今でも感謝しています。私と友人は、約3ヶ月後に企画展を控えていました。友人は染め物、私は編み物の作品を展示する予定だったので、私は友人に大量の毛糸を持って来てもらい、部屋で編み続けるようになりました。

私はどうしたら退院できるか考えました。「健常者」っぽくなればいい。やることは決まりました。毎日ご飯を残さず食べる。自由参加の作業療法に全部参加する。看護師さんに優しくする。

結果として、この作戦は失敗だったかと思います。そもそもご飯は成人男性でもキツい量だったと退院してから聞きました。でも私はそれを毎日3食胃に突っ込んでいました。太りました。作業療法に参加してカラオケで中森明菜を歌いました。いろんなおじいちゃんに褒められ、仲良くなりました。作業療法、出禁になりました。看護師さんは一人だけどうしても許せないことをした人がいて(何されたか忘れましたが)、紙に箇条書きでされたことと私の考えを書き院長先生に手渡しました。婦長さんが謝りに来ました。

私は閉鎖病棟という狭くて私のような人間にも優しい社会でさえ孤立しました。保護室から1歩も出ない日々が続きました。保護室は2室あり、もう1つの保護室からはよく叫び声が聞こえていました。なんだか物々しい雰囲気で姿も隠されていたので、私は隣人を「ヴォルデモート」と呼んでいました。夜になると一般のお部屋の方からも叫び声。私ってなんで保護室から出れないんだろう。何かの糸が切れました。私は私物のほとんどを滅茶苦茶に破壊し、備え付けの家具を硬いもので殴って傷付け、ドアに蹴りを入れました。ご飯は食べずに箸を突き立て、何を言われても「退院させて」以外の言葉は発しなくなりました。看護師さんが見かねてお菓子とジュースの購入を許してくれました。精神疾患って何なんだろうと思いました。

そういう話が院長先生に伝わり絶縁状態にある実家に帰るのであれば退院させることもできる、という話が来ました。私が自殺しないか見守る人間がいればOK、ということだそうです。私は家出して両親と疎遠になった訳ですが、家出する前は母親が精神疾患に偏見があり、心療内科に隠れて通っていたことがバレて保険証を取り上げられたり薬を全部捨てられたりしていました。父親は関わりたくないようでした。事情については院長先生が両親に説明・説得をしてくれるとのことだったので、私はお願いすることにしました。閉鎖病棟から脱走するよりは実家から家出する方が簡単なので、まずは閉鎖病棟から出してもらうのが最優先でした。

全く期待はしていなかったのですが、両親の説得は上手くいきました。両親、特に父親が私の家出にかなり責任を感じていたようで、協力的に動いてくれました。理解を得られたかはともかく、実家に住ませてくれる・保険証や薬は取り上げない、ということは約束されたので私は退院しました。退院間際ですら退院扱いにするか外泊扱いにするかという話で多少揉めましたが、病室の物を全て捨て荷物をまとめるというなかば強行突破で退院しました。

当時結構病院に対してもキレてた気がしますが、今はお世話になりましたと思ってます。

退院から4ヶ月ほどが経ちましたが、私は現在そこそこ平和に生きています。まず出てきて感じたのは、なんでも美味しい!お風呂最高!自分の布団最高!生活って案外幸せが多いです。

以前私の両親は私に対して親としてアウトな行動はしてきましたが、現在はわりと普通に接してくれているので私も普通に接し、そこそこ仲良く暮らしています。というか家出して閉鎖病棟入って現ニートの私も結構な親不孝者というか借りを返した気になったのでこれでトントンかな~と思っています。価値観の違いとか考えの違いは、もう仕方がないので。

そして数年前に私の家出と同時に実家に迎えられた犬が相当いいお仕事をしてくれます。かつて両親から"子供らしい子供"…つまり"ペット"的存在であることを求められ良い子やってた娘の代わりに「マジのペット」をやってくれるので、ありがとう!と毎日思っています。これで私は人間やれます。勿論、私も犬を可愛がります。犬、可愛がられるだけで嬉しそう。

あと私とほぼ入れ替わりで友人が同じ閉鎖病棟の一般の相部屋に入院したのですが、「楽しい」と言ってました。マジかい。閉鎖ライフ、人によるらしいです。

さて、病気についてですが…それは正直今でもよくわかりません。病名は退院時には「双極性障害」から「鬱病」に戻っていました。ですが出されているお薬は双極性障害の症状を抑えるものです。超自論かつ現時点での考え方ではありますが、私は病気の知識もある程度は必要だけど最終的には病名云々症状云々よりも自分の感じたこと考えたこと、何が辛くて何が楽しい~とかを大事にしたい派なので、そんな感じで人生試運転中です。このやり方で失敗したら失敗したわ!ってブログ書こうと思ってます。

ちなみに自分の身体と気持ちと考えに従った結果バイト1日で辞めちゃったりはしました。今は何故かアイドルオーディションみたいなの受けてます。ほんと試運転ですね。

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