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【七峰】ライナーノーツ・フロム・逆噴射小説

AIイラスト生成:ImageFX


少女の影は怪獣が如く

 もともと今回第一弾として投稿したかった作品が完成せず、後詰めとして位置付けていた本作が一発目になった。

 黄泉がえりした妹が化け物だった、というのは昔から構想を温めていた筋書きだが、今回こうして形にするにあたっては佐野 和哉著「タクシー運転手のヨシダさん」という現代ホラー小説を読んで「自分もホラー小説が書けるんじゃないか」と思ったのがきっかけで、一行一行読み進めるたびに怖い、という文体を目指した。

 来華らいかというキャラクターは過去に怪獣少女は腹の虫というエッセイでも書いたが、おれの食欲を美少女擬人化して妹キャラにしたもの。天然の可愛らしさと、小悪魔的な計算高さを併せ持って妄想する場合もある。

 等身大怪獣といえば「カネゴン」がいるが、あんな感じで食欲の尽き果てないキャラクターである。それゆえに幾らでも問題行動を起こせるが、だいたい行きつく果ては熊が人里に降りてきたそれだというのが難点だ。

MEINE×MINE:わが鉱山

 プログラミングソフト「プチコン」シリーズで自分が作ろうとしていたゲームを題材にした作品で、タイトルも「マインクラフト」を少しばかり意識している。

 今回書き下ろしであり、初稿に何度も手を加えている。

 特に穴の奥から「呼ばれる」という演出は逆噴射小説大賞2024内に先行作品があったこともあり、苦心の末あたまに思い浮かんだ「暗黒おむすびころりん」案を採用した。

 この世界では主人公のいる塩の国と米の国が貿易をしており、生き物が死ぬと塩になるとか、塩むすびには霊的な意味もこもっているとかいう裏設定が少しある。

 同時期に「ゴブリンスレイヤー」の新刊を読んでいたことに思ったほど強い意識はないが、主人公に固有の名前を与えずまた特別な背景も強烈な個性も持たせない「引き算の物語」を徹底したのは、初パルプ「原始人ジロ」から始まるアントニオ・バンデラス的真の男への挑戦であった。


 今回投稿したおれの800字パルプは両方とも一次&二次選考を突破した。

昨年の反省と今作の傾向

 昨年は選考員からのコメントをもらえた、という一つの大きな目標を達成しつつもコロナビールをかけた戦いのステージまで手が届かない現状から「今のままではよくない」という不安が先走り、逆噴射プラクティス投稿作を小説大賞の募集開始前から書いていた。

 10月に入ってから、小説大賞の本道だけでなくプラクティスのタグも盛り上がっていたので自分も都合三作品を投稿し、気がつけば最終的に大賞応募作品も含めて8つの800字パルプ弾丸を撃っていた。

 一発書き上げるだけで音を上げていた前年・一昨年に比べれば、積み重ねの差が出ている。
「ネタ切れでもう一発も撃てないのでは?」という自分の不安は払拭されたものの、おれ自身うまく言語化できているわけではないが、今回の最終選考リストに並ぶような作品を読んでいった後に自作を読み返した時の「内向きの閉塞感」とでも言うべきそれが鼻につく。

親と比較しない、他人と比較しない、過去の自分と比較しない

 とはみうらじゅんの提唱する「比較三原則」であるが、

「おれのパルプ小説はどうやら自分が面白いだけな小粒の出オチネタらしい」

 ということがわかっていても、そうゆうネタを思いついて800字に膨らませた弾丸がおれのパルプである限り、そり立つ壁を乗り越えられなかったということが言えそうだ。

 反面、自分の片想い体験を題材にした「因果は巡る」や主人公に華やかな味付けをいっさい加えない引き算の技法で書いた「MEINE×MINE:わが鉱山」は好意的な反響をいただき、戸惑い半分嬉しさ半分だ。感謝したい。

 このままの勢いで800字の壁をぶち破りたいと思って「つるはし男、西へ───伯耆開拓時代───」を正月早々に書き始めたが、自分から広げた風呂敷の大きさにビビッてしまい、投げナイフを避ける足が止まった。

 本作では主人公に人道的配慮としての「殺さずの誓い」を言外に立てさせつつも、オウカのような剥き身の刀が歩いていれば血が流れるというパルプ世界の理と矛盾しており、暴力的アクションによって話を進めようとする力とそれを引きとめる力によって作者のおれが精神的に引き裂かれた。
 今後、殺す・殺すな系「バディもの」づくりに対する苦手意識は今以上に表面化していくかもしれない。

 伯耆国ほうきのくにと呼ばれる地方を舞台にしたのも自分にとっての宗教観とご利益に関する一考察というエッセイでおれが「素朴な祈り」と位置付けた祖霊信仰・祖先崇拝としての合掌をテーマに組み込むための地元ネタだったはずが、それとは縁もゆかりもないキャラクターを無理に召喚したこともあって、双極性障害の波も含めてあらたまると自分が何をしたかったのかよくわからなくなる。

END OF MEXICO・・・・・・開幕30分くらいでおまえの映画は終わり・・・・どこへも行かない。
その先に進みたいならば、具体的な目的地を設定して書いていく必要が必ずある。

パルプ小説の書き方(10):noteで売れ(逆噴射聡一郎)

 そもそも、おれは「パルプ小説といえばガンスリンガー」などと思いながらも銃器の扱いにはまったく詳しくないし、「とりあえずバトルもの」と考えながらも「なぜ数あるジャンルの中からバトルものを選んだのか」「なぜ主人公はその技で戦おうとするのか」などについて筋道立った説明ができなかった。

「説明できないパルプ衝動」も実在はする。
 するが、ストーリー展開の要請にキャラクターの行動を当てはめた小説は、キャラクター自身の論理的矛盾を誘発する。
 例えば読者の反応としては「そんなに怒るほどだったか?」「さっき自分で言ってたこととやっていることが違うのでは?」などだ。

 しかし、キャラクターを考えることとストーリーを考えることはほぼ両輪であり、そこになんの違いがあるのか、おれは藤田 和日郎、飯田 一史共著「読者ハ読ムナ(笑) ~いかにして藤田和日郎の新人アシスタントが漫画家になったか~」を読み始めた9年前からまったく理解できていない。

 思うにおれは、エヴァンゲリオンや銀魂みたいな物語りが書きたかったんだと思う。なぜならば庵野秀明と空知英秋は創作ゲリラ戦術のカリスマ的存在だからだ。

 しかしながらアマチュア作家が彼らの真似をして、真似にもならずヤケドを負う手合いなのだ。

 どうすればいいのか? 四半世紀投げ続けてきた投球フォームがそもそも間違っていたみたいな状況で、パルプスリンガーを名乗って3年目の2025年はどんなパルプを撃つのか。

 おれは表面上悩んでいる。表面上というのは、おれはいつだって悩んでいるふりをしながら、なるようになることだけを考えてきた男だからだ。

(了)

#note書き初め
#逆噴射小説ライナーノーツ

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