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絶対に幸せになれます、とは言えなかった


先日、親戚の通夜に参列した際、帰り際に一人の女性が話しかけてきた。
その女性は母方の近い親族で、私自身はほとんど交流のない人だった。

「○○くん(私)、ちょっと相談したいことがあるんだけどいい?」

親密ではない人間からのかしこまった話ほど怖いものはない。
断りたかったが内容を聞く前に断れるはずもなく、軽く微笑みながら「どうしたんですか?」と返した。

「ここだとどうしても話しにくいから、このあと時間とれる?」

彼女は通夜に相応しいほど青ざめており、少しでも触れたら弾け飛んでしまいそうなほど、その存在は緊張で張り詰めていた。

あまりの必死さに私が小さく頷くと彼女は時間と場所を告げ、小さな背中をさらに丸めて歩いていった。




家のこと。
母のこと。
お金のこと。



私に持ちかけられる相談事なんてそこらへんだろうなと思いつつ、もう一つだけ私の中には心当たりがあった。一度その選択肢が頭に浮かぶと、それ以外にはありえないなと確信に変わった。

そして、その予想は的中した。






駅前のファミレスで向かい合った私たちは、しばらくの間、何も話さなかった。
世間話もせず、目の前の飲み物も口にせず、私は彼女が口を開くのをひたすら待った。

本当に助けを求めている、泣きそうな、それでいて諦めているようにも見える顔、そんな彼女の顔を今でも鮮明に覚えている。



「あのね、」

意外にも力強い彼女の第一声。

「あのね、○○(彼女の息子)から、その、カミングアウト、をされて、その、いわゆるゲイだって」


それを聞いたとき、やっぱりかと思ったのと同時に、何よりも私は安堵した。
真剣に悩んでいる彼女には悪いが、私や私の家に関係のない内容で良かったと思ってしまったのだった。

彼女の息子は何歳だっただろうか。
今日の通夜にはいなかったはずだ。高校生か大学生あたりだった気がする。
顔ははっきりと思い出せるものの、軽い挨拶さえした記憶がなく、その他の情報を思い起こす努力は早々に諦めた。


「それで、男同士って、ほら、大丈夫なのかしら」

あまりにも漠然とした質問。
私は固まってしまった。
文字通り、固まってしまった。

頭の中では質問の意味や返すべき答えを考えつつ、何か重たい水のようなものが私を包んだ気がした。
少しだけ、呼吸が苦しくなった。

男同士の出会い方や現状の制度について聞かれたのであれば、私はすらすらと答えただろう。
しかし、「大丈夫か」といった質問は、私にはとうてい答えられる質問ではなかった。

なんて悪気のない悪意をぶつけてくるのだろうと思った。
その世界で生きている人間が目の前にいるというのに。

大丈夫とは、何が大丈夫なのだろうか。
もし大丈夫ではなかったら、私はどうなってしまうのだろうか。



「そんなこと、わからないです。幸せな人もいれば不幸な人もいて、男女と何も変わらないですよ」

私はゆっくりと、思っていることを真摯に告げた。
目の前の彼女はただただ息子の行く末を案じているだけなのに、なぜか私は責められている気がした。


「今の世の中でも幸せになれるのかしら」


彼女は言葉を続けた。
わからない、わからない、そんなのわからない。
私が知りたいくらいだ。


「○○くん(私)は、ゲイであることで悩んだりしたことある?」

私が黙っていると、彼女はさらに質問をしてきた。深刻な顔をしていたわりに、あまりにもバカバカしい質問に苛立ちを覚えた。
もしかすると、目の前にいる人間は相談ではなく私をバカにしにきたのだろうか。

私は絶対に忘れない。
私のカミングアウトにより母が悩み親戚に助けを求めたとき、お前の旦那が「親不孝者!」と罵ってきたことを。
お前がそれを横で宥めるフリをしていただけだったことを。

お前たちの発言含め、悩まないはずがない。
世の中には悪いこととして後ろ指を刺され、それでも自分ではどうしようもないことの無力さと絶望を目の前に、悩まないはずがない。
悩まないはずがないのだ。

悔しくて涙が流れそうになった。
忘れてしまったのだろうか。私は今でもたまに夢に見るというのに。

しかし、人間という生き物はそういうものなのだ。
助けを求められたときは傍観していたくせに、いざ自分の身に火の粉が降りかかるとそれまでのことは一切忘れて誰よりも助けを求める。



「悩んだこと、たくさんあります」

そう答えると、彼女は見るからに残念そうな顔をした。
私はそれにも苛立ちながら言葉を続けた。

「幸せになれるかは、本当に、わからないんです。絶対に幸せになれます、とは言いきれないし、幸せになれない、とも言いきれないです」

私は先ほどと同じことを繰り返した。
私は深く呼吸して、あまり感情的にならずに伝えられるように意識した。

「最近は多様性が謳われるようになり、明らかに時代は変化しています。同性だけではなく、男女でも結婚に対する価値観が大きく変わってきています。同性婚が認められていない現状も、もしかしたら近いうちに変わるかもしれません。だからといって、幸せになれるかなんてわかりません。ロールモデルがいないので。街中で幸せそうな老夫婦を見かけることはあっても、おじいさん同士が手を繋いで歩いてる姿を見たことはありません。だから、ゲイであることが幸福に対して、とくに未来の幸福に対してどれほど作用するのかが本当にわからないんです」


私はできるだけ彼女が傷つかないように、期待しないように、それでいて絶望しないように、私が思っていることを伝えた。
常日頃考えていることだからか、原稿を読むかのように淀みなく言葉が出てきた。


彼女は真剣に頷き、それでいて欲しかった答えではなかったかのように視線を落とした。
私は言葉を続けた。

「僕は女性を好きになれたら、と思ったことが何度もあります。本当に苦しかったし、本当に本当に悩みました。あなたの旦那さんに親不孝者と言われたとき、もしかしたらあれが一番辛かったかもしれません。悩みに悩んだ当時、幸せだったかと問われれば、それは否定せざるをえません。ただ、おかげで僕は優しくなれた気がします。社会には何ごとにもマイノリティが必ず存在し、声すら届かない存在がいることを身をもって知っているので。人より想像できる範囲が広がり、優しくなれた気がします。僕は自分のそこが好きだし、そんな自分だから幸せになれるだろうなって思ってます」

質問に対して答えられず、相手への非難と自分語りになっていることに気づき、感情的になった気恥ずかしさにコーヒーを一口飲んだ。
彼女はしばらく黙り込んだあと、口を開いた。

「あのときは本当にごめんなさい」

私は何も答えなかった。ただただ彼女の顔を見つめた。
彼女は申し訳なさそうに、言葉を続けた。

「私が○○(彼女の息子)に対してできることはあるのかしら」

優しく、優しく、あまりにも優しく。
それはいつかの私が望んだものだった。

「僕は〇〇くん(彼女の息子)ではないので、こうすべきとかは言えません。ただ、やはり親からの拒絶は悲しいと思います。もし、万が一理解できなかったとしても、否定はしないであげてほしいです」

彼女は何度も小さく頷いた。
私は目の前の彼女より、彼女の旦那を頭に思い浮かべながら伝えた。
私の絶望を、せめて彼女の息子が受け取りませんように。


「そうよね。普通の人と好きになる性別以外変わらないものね」

最後まで目の前の人間は不快にさせてくれるものだと、もはや感心さえした。
男の人を好きになることを、普通ではないこととして捉えている。
過敏になり過ぎているだけなのだろうか、すべての発言が癇に障ってしまう。

「男女でも幸せになれる人、なれない人、どっちもいます。それと同じです」

私はかろうじて言葉を繋げた。
それから彼女は、男同士の出会い方についても聞いてきた。それについては答えられる範囲で嘘偽りなく答えた。


彼女は帰り際、私の手を取って強く握手をしてきた。
「ありがとう。少しだけ気が楽になったわ」

憑き物が落ちたかのように、彼女の顔は明るくなっていた。
反対に、私の心はとても重くなっていた。
余計なことまで口にしてしまわなかったか、もっと他に伝えることがあったのではないか、冷静さを保とうとしながら感情任せに話してしまったことを後悔した。

「もしまた何かあったら、連絡してください」

彼女にいい感情を持つことはできない。
ただ、彼女の後ろ姿を見ながら私は祈った。
彼女の息子のカミングアウトが美談で終わることを。

美談で終わらないカミングアウトを知っている私からの、ささやかな祈り。
まるで、まるで許されたいかのように。

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