干支と置物と私
詳しい理由は聞いたのか、忘れてしまったのか。
祖母が初詣の帰りに、干支の置物を買って来るようになった。寅よりも前の置物がないから、寅年が最初だったのだと思う。
それから7年後の申年。置物を買わずに帰ってきた。
毎年買っていた作家さんの置物が、入荷していなかったとの事。
この年から、作家さんの仕事を引き継ぎ、毎年恒例の干支の置物を作ることになった。
幼稚園に通っていた頃、母にトイレットペーパーと糊を煮て紙粘土を作ってもらい、工作をした記憶があるくらいだけど。
最初は、どんな形で作るか全く思い浮かばず、素材も紙粘土とは明らかに違う手触り。取りあえず、簡単に手に入る紙粘土で、今までの置物を参考に作ることにした。
まさに、猿真似…
そんな風に言えるほどのクオリティでもないけれども。
それでも、祖母は満足してくれたようで、嬉しそうに、祖母自作の小さな赤座布団に飾ってくれた。
この年に作った数は10個。それぞれ顔や形が違っているが、好きな顔形は人それぞれ。
皆、「この子と目があった」とかいいながら、連れて帰ってくれた。
翌年からは素材を石膏粘土に変え、形も自分なりに作るようになり、気がつけば、干支の置物作りを初めて12年が過ぎた。
作る数も年々増えたが、相変わらず顔形はそれぞれに個性がある。
酉年から作風を変えた置物作り。せっかくなら申年も同じ作風にするため、もう一年続けることにした。
そして、申年。
祖母は、いつものように目のあった子を選び、赤い座布団に座らせてくれた。
それから数ヶ月後、祖母は天寿を全うして旅立った。この十二支とともに。
母の年賀状を背景に十二支大集合
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