Ringwanderung『カケラ』考
本記事はRingwanderung 2ndアルバム『syncrotoron』収録曲『カケラ』の歌詞を読み、解釈を加えながら詞の世界・表現について考えるものである。
『カケラ』
作詞:AKINA/作曲:キタニタツヤ/編曲:めんま
2021年11月10日配信
2022年10月19日発売『syncrotoron』収録
『カケラ』の歌詞の大筋は、「君」という光を失った主人公が、「君」を取り戻すために挫折を経ながらも試行錯誤を重ねる、というものになっている。以下では歌詞中に登場するキーワードやテーマを取り出し、このストーリーがどのように作られているかを見ていく。
【1】詞世界の根底にある価値観
とは漫画『エースをねらえ』に登場するコーチ・宗方仁の名台詞であり、同様の表現は古今東西に例がある。
『カケラ』の軸を貫く価値観はこの「苦しみや悲しみといったマイナスは、反動でプラスのことを成すための準備である」という考え方である。
歌詞中では以下のように三度あるサビの後半にいずれも現れ、登場する度にスケールアップする構造になっている。
【2】ストーリーの展開を演出する3つのモチーフ
上述した1番サビの《吸い込んだ分だけ吐き出せるなら》から始まる「呼吸」の表現は、この後の2番Aメロ《息が詰まるようなこの世界で》に続き、曲全体に現れるひとつのモチーフになっている。
さらに、「呼吸」と連動して登場するモチーフが「ドラマ」である。1Aの《映画みたいな出会いなんてありえなくて》で「映画」が登場し、先述の《息が詰まるようなこの世界で》に《ドラマみたいなエンディングなんて綺麗事で》と続く。
この「呼吸」「ドラマ」という2つのキーワードはこの曲のクライマックスへと向かう上で重要な伏線となる。
さらにもうひとつ、歌詞全体を通して重要なモチーフが「光」である。1A《光をなくした》で登場し、《夜》《朝》《照らす》《色》と「光」から連想される言葉がいくつも並ぶ。
曲冒頭の《君のいた夜》から《瞼の裏に君を描く》《光を無くした僕を笑う》と続くので、「光」とは失った「君」の比喩、あるいは「君」によって主人公の人生が明るく照らされた状態を指していると読み取れる。
【3】主人公にとっての「君」
「君」は主人公にとっては光のような存在である。世界に彩りを与える存在であり、「君」が失われることで世界から色は薄れ、灰色に染まっていく。
逆に、「君」の残した「欠片」でさえも、世界を「君色に染め」、「僕を照らす」ほどの力を持っている。
また、《君が落とした》《跳べるのならば》から読み取るに、「君」は主人公に対して空間的に(そして比喩的に)「上」にいる存在である。このことは、作詞者AKINA(増田陽凪)により付けられたサビの振り付けが、天に向かって手を繰り返し伸ばすようなものになっていることとも符合する。届きそうで届かない未来のその先に「君」がいる。
主人公と「君」が一緒にいられた時間は「夜」と呼ばれる。この世界を生きることに息の詰まる思いをしている主人公にとって、居心地の良い時間が「夜」なのである。時計の針が進み、「夜」が過ぎて「朝」になると、「君」は失われる。
ここでの「ノイズ」が何を指すかは明示的ではないが、《ドラマみたいなエンディングなんて綺麗事》と諦め、《崩れかけた未来》へ向かう主人公にとって、朝が来ればやってくる日常の暮らしは、息苦しく耳障りなものであるのかもしれない。
【4】繰り返す挑戦と挫折
先述の通り、この曲のクライマックスにかけては「呼吸」「ドラマ」という2つのキーワードによる展開の線が引かれている。そしてその過程で主人公は、「君」を取り戻すため、「君」のもとへたどり着くための試行錯誤を続ける。
1番サビ、《吸い込んだ分だけ吐き出せるなら 叫び続ける 君への想いを》で描かれた挑戦は、2B《どれだけ声枯らしても 背を向けた君に届かないんだ》で挫折を迎える。この挫折を境に1番サビと2番サビはプラス/マイナスが反転した構造になっていて、既に失った「君」の「欠片」が主人公を照らし、そして時間の進行とともに、その光すらも失われていく様子が描かれる(ダンスにおいては、この時間の進行による無常もまた、時計の針を表現したフリで象徴的にビジュアライズされている)。
そして2番サビの後半では次なる決意として《踏み込んだ分だけ跳べるのならば 落ちていくから どこまでもずっと》という挑戦が歌われる。《落ちていく》という表現、そして続く《君がいた夜が僕の全て》という独白からは、壮絶な覚悟とも言える心情が読み取れる。
しかしその覚悟もまた実を結ばず、Cパート(メロディはBに同じ)で儚く散ることになる。
【5】3つのモチーフが導く最後の決意
《映画みたいな出会いなんてありえなくて》《ドラマみたいなエンディングなんて綺麗事で》という主人公の諦念は、裏を返せば、この現実を悟る以前は、そうした理想的なドラマの展開(が「用意されていること」)に憧れていたということでもあろう。
「呼吸」と「ドラマ」のモチーフによる展開は落ちサビで結実する。
叫び、声を枯らすことの無力感は「君が呼吸を止める」という最悪の結末の仮定へ。そして、理想的なエンディングはありえないという諦念は、だからこそ自分自身で「幕を降ろそう」、すなわち望む結末を世界に期待するのではなく、自らの手によって用意しようという決意へと昇華されるのである。
そして、3つめのモチーフ「光」と、根底に流れるテーマである「苦しみや悲しみといったマイナスは、反動でプラスのことを成すための準備である」という価値観が、最後のサビにおけるさらなる決意表明を導く。
吸い込んだ分だけ吐き出せる、踏み込んだ分だけ跳べる、そうした力学と同じように、「光を無くし」「灰色に染まり」「色が霞んだ」「暗闇」へと落ちることもまた、反動で「希望」へと進むための準備動作なのである。
そして「落ちていく」ことは「登っていく」ことへ繋がる。
「叫び続ける」「落ちていくから」と二度の決意が挫折に終わった後、たどり着いた最後の決意が「また会える日まで彷徨い続ける」ことである、というのがこの詞の最も象徴的で美しいポイントである。
言うまでもなく、「困難の中で彷徨い続けながらも、上へ上へと登っていく」という挑戦は、Ringwanderung(輪形彷徨)というグループのアイデンティティそのものであるからだ。
おわりに
本記事では、Ringwanderung『カケラ』の歌詞に描かれる喪失、挑戦と挫折、そして決意表明について、いくつかのモチーフやテーマを軸に読み解いてきた。
余談ながら、「呼吸・発声・言葉」や「ドラマ・物語・幕」というモチーフの選び方とそれによるものごとの捉え方、そして振付という身体表現と詞世界の表現の呼応関係には、作詞者・増田陽凪のミュージカルの経験・バックボーンが少なからず(意図的でなくとも)反映されているのではないかとも想像する。
この辺りは同グループ内におけるもう一人の作詞者・みょんの表現と比較してみても面白いところかもしれない。
深い絶望、諦念に支配されそうになりながらも、それをバネに、わずかな光へと必死に手を伸ばし、「彷徨い続ける」という決意を表明するこの歌の歌詞は、聴き手に勇気を与えてくれる。
まさに私たちにとっての「光」といえる表現者たちに敬意を表して、本記事の結びとしたい。