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045『元型論』(05)-対立し合うものを結合させる(核戦争を回避するには)

 043元型論(03)からはじめた「能動的創造」の紹介の3回目。

 ユングの弟子であるバーバラ・ハナー女史(1891~1986)の著書[10]を使っている。ユング自身でも「能動的創造」は使っていたが、論文とか書籍の形でまとめて遺していかなかった。

 世間に広める意図はなかったのは明白で、その理由については043『元型論』(03)に載せたハナー女史の序文にも記されている。ユングのタイプ論から派生したMBTI®︎が意図しない使われ方をしていることからもその危惧は正当だろう。

 予想される「能動的創造」への誤解、誤用はMBTI®︎の比ではないだろう。あらためて警告文を載せておく。

 警告:「能動的創造」で触れる可能性の高い、集合的無意識の中には邪悪な意識も含まれている。そうした意識に遭遇した場合の精神的健康を損なったりその他の悪影響については一切保証は致しかねるのでご留意のこと。あの哲学者ニーチェですら精神を病んだ。

 警告とは裏腹に、バーバラ・ハナー女史の文章はわかりやすい。ユング自身の著書にはないユングのコメントなども収録されており参考なる。今回取り上げる項目は、世界大戦を避けるための智慧についてユングが語ったところがある。

無意識の中の個人的シャドウ

 無意識に相対していく時、通常最初に出会うとは個人的シャドウである。 彼女(あるいは彼) は主に、私たちの中にありながら私たちが拒絶してきたものでできている。 だから大抵の場合、例の女性の連れがそうであったように、私たちとは折り合いが悪いのだ。だからといって敵対的に接するならば、無意識は耐え難いものになっていく。こちらが無意識のありのままでいられる権利を認め、有効的に接していけば、それは注目すべき変化を見せることだろう。

 かつて私はとても不快なシャドウの夢を見た。以前の経験を生かしてそれを受け入れることができた時、ユングはこういった。「今君の意識は明るさこそ減ったけれど、ずっと広いものになっている。君は紛れもなく正直な女性だからこそ、不正直でもあり得るわけだ。気に食わないかもしれないが、君は本当に素晴らしいものを手に入れたんだよ」。意識の拡大の一歩一歩こそ、私たちの獲得し得る最も偉大なものだ。進めば進むほど、そのことがはっきりわかってくる。 人生における問題のほとんどは、私たちの意識がその問題を理解するにはあまりに狭すぎることから起こってくる。こうした問題を理解していくのには、能動的創造で接触していくのが1番役に立つ。

[10]

 この項で例の女性と言っているのは、044『元型論』(04)で出てきた旅先で気が合わない女性と相部屋にならざるを得なくなった時、気が合わないとか嫌いとかと言う感情に任せておいたら自分の時間が無駄になってしまう方が嫌だと認識した。そこで、その相手を受け入れてみることとした、嫌な感情もそのままに。嫌いでも親切にしてみたら、旅行を楽しいものにできたと言う体験談。

 これって昨今の世界情勢や政治情勢を鑑みると、最近の大人たちは負の感情を煽るばかりで反対方向に行っていると落胆せざるを得ない。今はまだ確証がないので書かないがこうした方向に導くリーダーたちは邪悪な元型に自我を乗っ取られているのではないかと言う仮説を持っている。検証のしようもリカバリーの仕方も私にはわからない。

 そしてシャドウというのは、「元型の一種。人格の個人的な部分とも関連が深い。生きていられない、あるいは意識されていない、自分自身の一部であり、普通は否定的で劣等と言った価値を与えられている。夢では一般に、夢を見るものと同性同年代の人物がそのイメージを担う」[10]、と言われるもの。加えて、人が成長していく段階で、あっては何らない姿、嫌いな人や考え方とか諦めた理想の姿とかもシャドウとなりうる。

自分より偉大なものと関係を結ぼうとする試み

 すでに述べたように能動的創造は---その性格上、より経験的かつ科学的である点でそれ以前の諸方法とは異なっているとは言え---決して新しい技法ではない。人間は自分より偉大で永続的な諸力と関係を結ぶため昔から様々な努力を重ねてきたのだが、この方法はその最初期からあったといえよう。 そうした諸力に対して折り合いをつけようと交渉を始めると、本能的に何らかの形の能動的創造を発見することになるのだ。旧約聖書をこの観点から注意深く読めば、そのような試みに溢れていることがわかるだろう。膨大な例から1つだけ挙げるなら、ヤコブのやり方を思い出してほしい。ヤコブは全人生を自らが聞いた主の言葉の上に構築していった。ヤコブの場合、主の言葉が幾度も夢の中で啓示された事は間違いないが、これは当時といえども誰にでも起こったわけではなかった。ヤコブは疑いなく、かの諸力の言葉を聞き取る能力を母親のレベッカから受け継いでいた---それがこの特定のケースでは神と呼ばれようと、無意識と呼ばれようと、本質的な違いはない。 レベッカは双子が自分の体内で争っていた時「主に尋ね」に行き、 その答えに従って老いた夫と息子たちを扱うと言う何やら怪しい方法をとった。慣習的な道徳の立場から判断すれば、それは確かに(何やら怪しい方法)だったら、レベッカが主の意思を実行していたと考えるなら、全く別の性格を帯びてくるのである。

 主自身はこう語る。「光を創り、また闇を造る。私は平和を作り、また悪を造る。私、主は、これらすべてのことをなす」。 もし主が悪を創造するなら、ときに被創造物が悪を行うことを望んでいることになるのだろう。もっともこれは、レベッカの時代には現在よりはるかに明白なことであった。旧約聖書の言葉を借りるなら、大事な事はいつでも「主の意思に従うこと」なのである。

[10]

 旧約聖書の話は、私はここに書いてある以上のことは知らない。ヤコブという人は、イスラエル民族の祖アブラハムの孫で、イサクとレベッカの息子。母親の胎内にいる時から、双子のエサウとどちらが長男かで争い、結局弟として生まれる。以後、策略を持って長子の座を得る。天地をつなぐ梯子の夢を見て、神により将来を約束された。ある夜、神と一晩中格闘して祝福を受け、変容してイスラエルとなる。その子孫はイスラエル十二部族として繁栄した[10]、という。

 宗教的な啓示とか夢とかは、ユング心理学派では「能動的創造」の産物のように捕らえられているようだ。浅学のため誤解ならすみません。各宗教の信者にこのような見解を話すと敵視されるかもしれないので要注意である。

対立し合うものを結合させる

 キリスト教誕生から2000年を経て今日、対立しあうものと言われて自然に思い浮かぶのは、やはり善と悪であろう。 この対立しあうものが、今私たちのトラブルのほとんどを引き起こしているのだ。これは外的世界においては、鉄のカーテンによって明白に象徴されている。同時にこれは、キリスト教の善の希求と悪の抑圧と言う教えを越えていくよう、状況が私たちに強いていると言うことでもあって、そのためステップとなっているわけである。 この禁圧は2000年前には必要だった。しかし対立し合う物の一方があまりにも長い期間にわたって抑圧されると、必然的に起こってくる出来事がある。今日における悪の恐るべき流行は、そのことを示している。

 ユングはある討論の中で、核戦争は起こると思うかと尋ねられた。私はその時のことを鮮明に覚えている。彼は答えた。「それは、どれくらい多くの人が自分自身の中にある対立しあうものの緊張(tension)に耐えられるか、これにかかっていると思います。その人数が充分なら、最悪の事態は回避できるでしょう。しかし、もしそのようにできずに核戦争が勃発するとすれば、私たちの文明はこれまでの多くの文明と同じように滅びてしまいます。ただし、ずっと大規模なものになりますが」。この言葉から、対立し合うものの間の緊張に耐えること、そしてできるなら自らの中で両者を結合させることをいかに重く見ていたかがわかる。私たちが対立しあうものの内の暗い一方、例えば鉄のカーテンの向こうやテロリストの上に投影するならば、世界的規模で平和や戦争について考えると言うことの意見を生かしていない。

[10]

 ここでは核戦争が起こるかという問いに対して答えている。他のところでは世界大戦を避けるにはどうしたらいいかという問いに対して同じ答えをしていた。もう少し具体的に言えば、先に挙げた旅先で気の合わない嫌いな人と同室になった女性のようにより多くの人ができるようになれば良いということだ。

 あいつは嫌いだと認識していればいい。しかし、シャドウの持っている感情、情動は自分のものとたいがいは認識していない。だから、それらが他人や他の国への感情として投影していることに気がつかないことが多いようだ。そのような状況で、世界平和どころか、家族、会社、コミュニテイ内の安寧も叶わないということである。

 身近な不都合なことは実は自分が起こしているとまず気が付くことがはじまりのようだ。

さあ、皆さんいかが?

 警告文では脅かしが過ぎたかもしれない。一方、個人的意識レベルで止める「能動的創造」のやり方もあるので私自身がしっかり理解できたら触れていきたい。

念の為、用語の説明を付け加えておく。

用語の追加説明

ニーチェ: ドイツの思想家(1844~1900)。牧師の家系に生まれ育った。既成の芸術やキリスト教に対して鋭い批判を展開する中で、永劫回帰の思想に至る。教授の地位を辞して著述活動に専念するうちに、1889年、45歳にして精神病に罹患。この病気については、神経梅毒、パラノイアなど、いくつかの説がある。その思想は、死後ようやく脚光浴びることとなった。

対立しあうもの:元型の持つ性質も含めて、おおよそ物事は、例えば肯定的側面と否定的側面と言うような、互いに対立し矛盾しあう属性がある。しかし自我は一般にこうした矛盾を嫌悪し、忌避しようとして、その態度に偏りを生じてしまう。それは理にかなった一貫性のある生き方をしていくには有用だが、偏りのために抑圧されたものが、例えば神経症のような形で存在を主張し、自我の目論見はしばしばもろくも崩れ去ることになる。対立しあうものを両方とも考えに入れていくと言う事は、個性化の過程における個人の可能性の実現に不可欠である。

善と悪: キリスト教の世界では神の全能を信ずるところから、悪は本来存在せず、善の欠如によって現れるものとされた。しかしユングは悪を、前と対立するものとしてその重要性に注目し、悪の抑圧が今日の多くの問題を引き起こしていると指摘する。

投影: 防衛機制の1つ。不安や緊張から一時的に自分自我を保護する機能を果たす。受け入れがたい感情や意識化されてない自分の一部(すなわちシャドウ)を、外界の人や物の中にあると見ること。

[10]

今日はここまで。

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参考文献[10] 能動的創造の世界ー内なる魂との出逢い バーバラ・ハナー 創元社 ISBN4-422-11244-9

参考文献[9]心と身体のあいだ 老松克博著 大阪大学出版局 ISBN978-4-87259-449-2

参考文献[8] 『ユング心理学入門』https://amzn.asia/d/0gCq7JP9

参考文献[7] <ミヒャエル・エンデ『モモ』 2020年8月 (NHK100分de名著) ムック – 2020/7/22>https://amzn.asia/d/0cuD1g7M

参考文献[6]『ユング――魂の現実性(リアリティー) (岩波現代文庫)』https://amzn.asia/d/cUEvxPS

参考文献[5] 『元型論』https://amzn.asia/d/eyGjgdX

参考文献[4] ユングのタイプ論に関する研究: 「こころの羅針盤」としての現代的意義 (箱庭療法学モノグラフ第21巻) https://amzn.asia/d/aAROzTI

参考文献[3] 『タイプ論』https://amzn.asia/d/2t5symt

参考文献[2] MBTIタイプ入門 タイプダイナミクスとタイプ発達編https://amzn.asia/d/70n8tG2

参考文献[1] MBTIタイプ入門(第6版)https://amzn.asia/d/gYIF9uL

背景画像:原案:経営を語るユング研究者 小河節生。
     作画:ChatGTP4o。
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こころざし創研 代表

「コーチやめました」
経営を語るユング研究者 小河節生

E-mail: info@teal-coach.com
URL: 工事中
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