『丸の内魔法少女ミラクリーナ』 - 村田沙耶香
村田沙耶香作品は過去に『コンビニ人間』と『しろいろの街の、その骨の体温の』を読んだことがあった。これはAmazonのおすすめに勝手に表示されてきたので脳死でポチポチ押して買ってた。タイトルとジャケが気に入ったんだと思う。短編集だった。
丸の内魔法少女ミラクリーナ
まあ良かった。子供の頃のその感情を持ってきて描き出した、そのことを評価されるべきだと思う。
しかし正志の人格が紋切り型すぎる。一定の役回りを与えられてプログラムされた通りに動くmobとかNPCみたい。ストーリーを展開させるための都合のいい駒。こんな奴いないだろ。主人公サイド(読者)に人間的な反応を喚起するため、非人間的に振る舞うことを期待されているこの感じに何か不快感を覚えた。
カリカチュアライズされた登場人物にいちいち突っ込むのは野暮とか、まあ分かるのだけど。ましてや短編だし。
現実の世界でも、自分が主人公をやるために、誰かに悪者の役を投影し、自分が感情を満たすためのアテとして彼/彼女に悪者として振る舞うことを期待するような人たちがいて、底辺生活をしているとそういう人間に実際に出会うのである。そういう、現実で自分だけ中立の・善の主人公をやっちゃってる人たちのことが想起されたから、不快に感じたのだと思う。
これは作中で正志がやっていることだ。自分が悪と定めた誰かに一方的に悪者の役割を押し付け、自分一人が人間性/善性を独占して主人公として振る舞う。正義を執行するためには、相手に悪のレッテルを貼る必要がある。
しかし正志に「トラブルを起こす悪者」の役を期待して、およそ一面的にそう描いたのは作者自身であり、そう読んだのは読者自身である。この話にはそんなメタ構造があるとも言えるだろう。
秘密の花園
まあまあ面白かった。けどこれも自分の自己中心的な世界を実現するために他人を(男を)一面的な役割を演じる非人間キャラクターとして利用している不快感があった。人間の深みがなく、薄っぺらで。そしてこの作者はやはり性に囚われていると感じた。
童貞は女を人間として見ることができず、聖なる処女と淫らな娼婦という二極端の間を揺れ動くというが、村田沙耶香にもこういう童貞性がある。この小説に限らず、男性キャラクターに与えられた役割が貧弱かつ原始的なのが気になる。90年代少年マンガに良く登場した偶像化された人格のないヒロインたちを彷彿とさせる。
無性教室
学校では性別が禁止されていて男か女か分からないようになってる(けど実際には性別はあるし、どっちなのかも大体分かる)という世界の話。
性に囚われてるなあ…という感じ。
変容
トリを飾るだけあってこれが一番良かった。
「伝染」という言葉を使っていて、人間の感情もミームのように伝播して広がっていく、ということを大袈裟に言っているのだと解釈していた。途中までは。
後半では会議で決定されるという話になっていて、前半で仄めかされていた伝染していく性質とあまり整合性がないように感じた。
まあ面白かったから別にどうでもいい。
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