『富岡日記』 - 和田英
Kindle版は買わない方がいい
90円。表紙が猫なのも謎。
まずルビが事故ってる。「松代まつしろ」「人身御供ひとみごくう」といった具合に本来ルビとして振られるはずの文字が本文と同サイズですぐ後に続いてる。全然読めないことはないのだが読みづらい。注意力が奪われる。「あやふり・・・・」のように傍点が中黒ルビになってるパターンは一見して分からなかった。
OCRスキャンエラーみたいな誤字がある。ひらがなの「し」がアルファベットの「L」に化けていたり、「ま」が「京」に化けていたり。
およそ一定間隔で所々謎の空白(半角スペース)が入ってる。——ここでふと気付いたのだが、HTML中で日本語みたいな非分かち書き文章を改行するとスペースが入る現象に似てる気がする。もしやと思ってweb版のソース確認してみたら案の定だった。
誤字箇所も一致した。どうもweb版を誰かがそのままkindleに持ってきたようだ。これで90円は高い気すらする。ルビがちゃんと読める分web版の方がまだマシだが、先述の通り誤字も酷いのでおとなしく出版されたものを読んだ方がいいと思う。
***
結局図書館に行って紙の本を借りてきた。
複数の出版社から出ていたが勿論みすず書房版を借りた。富岡日記を出版するなんて流石みすず書房だ。センスがいい。巻末の解説を森まゆみという人が書いていた。最後にこれを読むのも楽しみだった。
著作権切れ作品は大抵無料で読めるけど、出版社が出している版のメリットはこのオマケの解説が付いていることだ。年々これの重要さが分かるようになってきた。
フィクションでもノンフィクションでもそうだけど、単離された作品それ一つを読んだだけでは絶対に読み取れない情報があって、時間と手間をかけてその周辺情報を知ってからやっと作品自身が理解できたりする。場合によっては副読本が必須だったりも。
まわりに詳しい人がいないとか、語り合うコミュニティが存在しないって一人で読書してれば当然のことなので、作品が書かれた頃の時代背景や知っておいた方がいい関連情報など簡単に解説してもらえるのは実に助かる。
地獄の製糸業?
読む前はやはり『あゝ野麦峠』にあったような過酷な労働環境を想像してしまっていた。製糸業と言えばそれしか知らなかったからだ。業務自体は厳しいのではないかと。しかし随分様相が違うのはすぐに分かった。
そういえば、富岡は当時としては画期的な8時間労働や、後進のモデルとなるような先進的な労働環境の構築に努め、働きに来る工女も上流階級の子女が多かったと、確かにそんな話も聞いた覚えがあった。この点は想像以上だったかも知れない。
最初富岡まで向かう道中で難所に差し掛かった時「一生の思い出に」と、皆でわらじを履いて行ったという記述があり、やはり皆お嬢様なのだと感じた。普段わらじも履いた事がないのだ。
富岡には全国から工女が集められていたが、当時の上流階級から妙齢の娘ばかりが集まり、実に特殊な空間だったのではないだろうか。
業務外のイベントについての言及も多く、ゆとりを感じる。教養ある有閑階級の人たちが一所に集まって生活を共にし、業を行っていたのだから自然とこうなったという面もあるのだろうか。
10代女子の日記
話は短く要点がはっきりしていてまるで口語のように読みやすい。やはり17歳の泣いた笑ったの話で、固く丁寧な言葉遣いの向こうに150年前の育ちの良い少女の姿が生き生きと見えてくる。依怙贔屓にやたらうるさい辺りはいかにも女子という感じで可愛げがあるし、日常の描写は一種女子高のノリみたいな屈託ない健全な可笑しさがあった。若い時分の、あの箸が転んでもおかしい年頃の空気感や、柔軟で感じやすい心が確かにそこに封じられていて、ページが開かれるのを待っていた。
育ちが良く、家族思いで、素晴らしい人だと心から思う。
国家のためと勇んで富岡に行き、精勤に励み、国へ帰ってからは六工社の創設運営に尽力した。伯父の無念を晴らすため、横田家の悲願を果たすためと努力を惜しまず。年若い少女らしさと同居する芯のある篤実な人柄にこちらまで背筋が正される思いがする。こう言ったら変に聞こえるかも知れないが、読んでいて勇気が涌いてくるのを感じた。
50代女性の回顧録
この本は富岡日記と富岡後記から成ると最初に断ってあったので、それはぼんやりと認識しながらもあまり気にせずに読み進めていた。最後の方で「34年も前の話」という記述が出てきて俄に気になりはじめた。
最初少なくとも前半は富岡から帰って数日後に書き始めたのかと思っていた。実際には50歳ころ記憶を辿りながら書いたものらしい。序盤特に短くあっさりとしていたのは忘れ得ない要点だけが書かれたものだかららしく、やはりある程度人名や地理などの記述に記憶違いが見られるそう。
数え17、満15歳の少女の頃のお英さんと、50歳を過ぎて輝かしい青春の思い出としてその当時を懐かしむお英さんと。この本の中に二つの時制が重なっていたのに気付く。愛情にあふれ、惜しみなく言葉を尽くして書いてあるのは50代女性の思い出目線によるのだろう。今誰かの、かけがえのない青春の思い出に触れているのだと実感される。華やかな富岡で過ごした
一年半のこと。家族のこと。仕事のこと。娘時代の充実した素晴らしい毎日。もう二度と戻ってこないあの素晴らしい日々。——
森まゆみ解説
これは期待以上だった。オタクの早口調に周辺情報をまくし立ててくる。素晴らしい補足ぶりだ。
山口県から入場した工女らに対し依怙贔屓だなんだと結構書いてあるのだが、これには本当に依怙贔屓があったらしい。こういうのが解説に求めていたものだったので有り難く感じる。山口県といえば明治維新を始めた長州藩であり、またそこから来た工女の中には維新の立役者、井上馨の姪が二人もいたことなどから実際に特別扱いがあったとのこと。
この辺りお英さんも確信があったからこそ、ここまで強めに書いているのかも知れないと気付いた。感情論だ、女子供の話だと、軽く扱ってはいけないのである。高木さんが「西洋人が間違えたのだ」と宥める下りがあるが、それが方便だというのもちゃんと分かっていたのかも知れない。
他にも色々タメになる話が書いてあった。富岡製糸場設立は渋沢栄一によるものだったこと。「尾高様」としばしば名前の出てくる初代場長、尾高惇忠は渋沢栄一の従兄弟にあたるなど。
横田一家のあまりのエリートぶりに少し驚く。お英さんも元々頭が良くて優秀な人だったのだろう。このような濃密な情緒を持ち得るのも知性あってのことだと思う。
また新平民のくだりが他出版社のものではカットされているなどの話もあった。ものすごく重要な場面なのに。一体なんてことしやがる、と思った。やはりみすず書房版で読んで良かった。
松原さん
入沢筆という人の次に糸とりを教えてくれた人が、みすず書房では松原お若さんになっているが、ちくま文庫ではお芳さんになっていた。元の字体が判別しづらかったのだろうか。電子版ではお若さんになっていた。最初これも悪質な誤字かと思ったが、どうやら底本の違いのようだ。
長々書いてしまったが
ここ最近で読んだものの中ではかなり良かった。読んで良かった。
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