町田明広『攘夷の幕末史』講談社現代新書、2010年

・江戸時代とは、徳川公儀体制のもとで、東アジア華夷思想に基づく、「東夷の小帝国」を形成し、「鎖国」(海禁)政策を貫いていた時代。明や清のシステムの枠外に日本を位置づけ、接近する外国船を追い払う。
・日本と朝鮮とは対等な関係であるはずが、徳川幕府は朝鮮と琉球を朝貢国と認識していた。このため、幕末から明治期の征韓論の元になり、朝鮮をめぐる覇権争いによって日露戦争が生じた。
・海禁とは、私的な海外渡航や貿易を禁止する政策。
・ペリー来航の50年前の寛政年間、ロシアの脅威が非常に高まっていた。
・当時の日本人は基本的に、尊王であり、攘夷であり、公武合体の意識を共有していた。
・攘夷の解釈で国内が二分。通商条約の是非が論点。無謀な攘夷を否定し、通商による利益で富国強兵の後に海外進出を行うものを「大攘夷」といい、勅許を得ずに締結した通商条約を即時破棄して、対外戦争も辞さないものを「小攘夷」という。
・「開国」は、将来の攘夷に備えるための一時的な方便に過ぎない。
・もともと攘夷思想は、対露認識から生じた。幕府が「祖法」とした「鎖国」も日露の緊張がもたらした。
・林子平が弾圧されたのは、海防の不備を指摘され、独自の国防論を展開されたため、軍事政権である幕府の威信が傷つけられたため。
・ロシアの南下政策から生じた海防問題は、日本国内に不安と動揺を与え、幕府は対外政策も国内政策もうまく対処できず、その一方で朝廷の権威が急上昇した。幕府は朝廷の威信を利用して延命を図ろうとした。
・国学とは、日本独自の文化・思想を、日本の古典や古代史のなかに見出す学問。中華思想を拒絶し、万世一系の天皇の存在自体を日本の優越性の根拠とする。
・勝海舟は大攘夷、征韓論。坂本龍馬も同系列
・長州藩(朝廷)VS小倉藩(幕府)→朝陽丸事件。長州藩の反幕府的態度は藩全体ではなく、奇兵隊の特に過激派によって主導されていた。実は過激派は少数。

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