ナナイファルン
旅行した場所、宿泊先、飲食店などについての備忘録的な記録
旅の目的:十二神将像を拝む 2023年5月20日(土)~5月21日(日)今回は入った飲食店と宿泊先の説明は省略。 昼ごはんを食べてから観光開始。 新薬師寺は静かにお参りできて本当に良いところです。 登り坂なので行きはタクシーを使うのがおすすめ。 夕方までは奈良国立博物館で過ごしました。 なら仏像館ではボランティアガイドさんがいたので声をかけて、一通り案内してもらいました。わかりやすくて楽しかったです。 ミュージアムショップはどこの博物館も面白いけど、個人的に奈良博のラ
旅の目的:鹿肉を食べる 2023年4月29日(土)久しぶりにあずさ乗った。 15時半頃、上諏訪駅に到着してホテルにチェックイン。 上諏訪温泉ネオステーションホテル 部屋数が少なめのせいか、大浴場の温泉が混雑することなく落ち着いて入れた。シャンプーとかがアロマ系の良い香り。アメニティグッズは脱衣場に一通り揃ってる。 ホテルの朝ごはんは釜飯(白米の上に具が乗ってる。炊き込み系ではない)。味噌汁がすごく美味しかった。朝も温泉に入ってから食事とったから、塩分補給にもなってからだ
旅の目的:縁切り・縁結びのお参り 2023年4月15日(土)11時頃、京都駅到着。 今回の旅は食事は京都っぽいものにこだわらずという方針。 京都ポルタの串かつだるま 昼食後、京都駅からひたすら東へ歩いて智積院へ。 庭園がお気に入りなので再訪。庭園をぼーっと眺めたり、境内を歩いていると本当に心が軽くなる。 他の寺社より知名度が低いのかあまり人がいなくておすすめ。 宿泊はABホテル京都四条堀川。初宿泊。 目の前にバス停あるし、近くにスーパーのライフがあって便利。 上下セパレ
旅の目的:のっけ丼を食べる 2023年3月18日(土)東北新幹線グリーン車で昼頃着。 新青森駅まではスイカ使えるが、そこから青森駅までは切符を買わないといけない。電車の本数も少ないので30分くらいお土産物を見たりして時間つぶしした。 のっけ丼はここで 宿のチェックインする前に廣田神社でお参り。 観光物産館アスパムの展望台も行った。 宿泊先 まちなか温泉 青森センターホテル 温泉施設はホテルと繋がっていて雨でも安心。地元の高齢者がたくさん入ってた。朝ごはんバイキング
3月16日 映画『Winny』ほとんど弁護士事務所と法廷のシーンで、そこにフォーカスされていて面白かった。もっと主張の強い作品かと思っていたけど、それほどでもなく観やすかった
3月11日 ミュージカル『太平洋序曲』。面白かったけど、メッセージはよくわからず。侍が西洋化し、逆にアメリカ帰りが侍に純化していく交差がなるほどと思った
※勉強のためのメモにつき不完全。『日本仏像史』美術出版社を参照 奈良時代8世紀後半 仏像の製作技法に変化。カヤ・ヒノキを用いた木彫の出現 天平勝宝6年の鑑真渡来にともなう、新たな唐の影響によるものと考えられる。唐製の檀像(インドで最高の造物材料として尊重される白檀を用いた木彫像)との密接な関係 白檀の代用材としてカヤが使用された 60-61ページ参照 平安時代前期 仏教の展開とともに多様な仏像が現れる。 9世紀初頭、空海が真言密教の経典などを唐か
※勉強のためのメモにつき不完全。『日本仏像史』美術出版社を参照 12世紀後半 京都に根拠を置く院派・円派が貴族の信任を得て勢力を誇っていた。 奈良・興福寺に所属する慶派(平安中期の名匠定朝の系統)はこの頃ふるわず。 運慶父康慶とともに戦乱で荒廃した奈良諸大寺の復興、造仏に尽力。 運慶の代には関東武士の間に活躍の場を求め、院派・円派に劣勢だった情勢を逆転させる。 康慶に始まる写実主義を推し進め、平安末期の形式化した貴族趣味的な像に対し、男性的な風貌、堂々たる体躯、深く複雑な
※勉強のためのメモにつき不完全。『日本仏像史』美術出版社を参照 飛鳥時代6世紀、百済から公的に仏教が伝来。百済が従属していた南朝・梁は仏教的世界観を重視。 高度に体系化された大乗仏教の理念、儀式、黄金の仏像を受容。 推古朝から本格的な仏教国家建設が始まる。 飛鳥大仏 〈安居院〉と呼ぶ仮堂に本尊の〈飛鳥大仏〉(釈迦如来坐像)を安置。かつての中金堂の位置。 建久7年の火災のため、当初部は一部のみ。 『日本書紀』では推古13年に鞍作鳥により着手されたと書かれている。 法
参考文献:白石太一郎編著『考古学と歴史』放送大学教育振興会、2004年 欧州の時代区分: 旧石器時代(地質学の更新世=氷河時代=1万年以前の時代;打製石器が用いられた時代) ※旧石器時代後期=縄文時代草創期 ヨーロッパにおける旧石器時代にあたる時期に日本では磨製石器が使用されていた 中石器時代(完新世になったが、農耕牧畜が行われていない) 新石器時代(完新世になり、農耕牧畜が開始;磨製石器が用いられた時代) 青銅器時代 ※中国だと殷・周時代が該当。朝鮮半島と日本は該当しない
史学雑誌(史学会) http://www.shigakukai.or.jp/journal/index/ ヒストリア(大阪歴史学会:阪大) http://www.historia-osaka.on.arena.ne.jp/historia.html 史林(史学研究会:京大) http://www.shigakukenkyukai.jp/shirin/index.html 日本史研究(日本史研究会) http://www.nihonshiken.jp/category/j
木簡の史料的特質 『岩波講座日本歴史21巻』14~15ページ 同時代の第一次史料である。考古遺物の年代観に絶対年代を与え得る。また、古代における漢字文化の受容・変遷の実像が直接反映している。 日常的史料である。正史と異なり、六位以下の下級官人たちの情報も多く、彼らの実態がわかる。平城宮での毎日の食事の実態が伺える。 地方的史料でもある。人や物の動き、地方の地名・人名・産物の実態を物語る。 発掘調査により出土した考古学的遺物である。出土状況が重要な知見となる。 編纂物
参考文献:榎本渉「宋元交替と日本」『岩波講座日本歴史』中世2、2014年 【特徴】 貿易の盛行とその国内経済・文化への直接的影響 平安期の大概興隆は海商や入宋僧だが、当局の管理下に置かれていた。 →12世紀後半から13世紀前半にかけて、博多の宋人社会や周辺部での生活文化が全国的に受容されるようになる。 鎌倉時代には、各分野で「宋風」が顕著(あくまでも日本文化)。 平氏の貿易関与は院近臣の立場で行われたもので、院政期の貿易関与の枠を超えるものではないという考えもある。対外交
一般的に無の思想と呼ばれるものは実は近代的な関心から要求された立場に過ぎない。明治以降になって西洋に対抗できるものとして東洋精神の伝統を仏教や禅に求めた。p20 ブッダが弟子たちに語った言葉を集めた『スッタニパータ』の背後にあるものは、「座禅と瞑想以外のなにものでもない」。p28 ブッダは「快楽と苦行の両極端を捨てて、誠実な中道をとるところに、真の意味での道を楽しむすがすがしい生活の発見があるとした」。ブッダの瞑想は思い詰めた深刻さがない。原始仏教の無常観は、神経質な厭世観
辞典・年表類 『時代別国語大辞典』(三省堂) 『日本国語大辞典』(小学館) 『角川古語辞典』(角川書店) 『新版日本史辞典』(角川書店) 『古文書古記録語辞典』(東京堂出版) 『対外関係史総合年表』(吉川弘文館) 本文・索引類 『新編日本古典文学全集』(小学館) 『日本古典文学大系』(岩波書店) 『新日本古典文学大系』(岩波書店)
愚管抄(慈円) 保元の乱以降「武者の世」 兵範記(平信範) 保元の乱の詳細 吉記(吉田経房) 玉葉 清盛の発言「源氏平氏は我が国の堅め也」 中右記 「天下の武者、源氏平氏の輩」 吉続記(経長卿記) 吉田(藤原)経長 鎌倉後期政治史の基本史料、『史料大成』収容 蒙古襲来に対する祈祷(きとう)、防御策などについて詳細な記事