威徳院 旧蔵とされる「魔像」について④
「魔像」の違和感の多くは、その説明の内容が妙に具体的であることに起因しているように思われる。「魔像」と同じく『古今妖怪纍纍』に掲載された「件(くだん)像」が「群馬県の旧家に伝えられていたという」と曖昧な説明しかされていない点と比較しても「魔像」の説明が具体的であることは際立っている。「魔像」以外の湯本豪一氏のコレクション群には、どのような説明が与えられているのだろうか。『古今妖怪纍纍』の前年、2016年に刊行された『日本の幻獣図譜』を調べたところ驚くべき事実が判明した。
『日本の幻獣図譜』には、河童の手のミイラや人魚の骸骨など、様々な幻獣たちの写真が掲載されている。その内、湯本豪一氏のコレクションと思われる14種の幻獣の説明文について、その由来等を検証した。ここで言う由来とは、それが寺院に伝承されていたのか、あるいは見世物として供されていたのかなどを指し、①寺院系(行者の家に伝えられたとするものも含む)、②興行系(見世物等に供されていたとするもの)、③旧家蔵(と説明されているもの)、および④不明のもの、の4種に分類することができた。
その結果①寺院系-5種、②興行系-5種、③旧家蔵-2種、④不明-2種であり、①の寺院系でも「国東半島の寺に伝えられた」とされる「河童の手のミイラ」の他は伝承された地方すら不明だった。②③④についても、伝承された県が分かるものが含まれる程度で、多くはその出自がはっきりしない中で、「猫鬼」などと呼ばれる幻獣群と、それに関係する「河童の腕」の説明の内容および資料が妙に具体的である点が目を引く。しかもそれらは「魔像」同様、福島県いわき市に伝承されていたというのだ。
同書によれば「福島県いわき市好間町の一部地域には、古くから鶏鬼、猫鬼、狐鬼、熊鬼の4種の角を持つ幻獣の言い伝えがあり、その頭蓋骨やミイラなども残され、数十年前には猫鬼伝説などを調べる猫鬼研究会というグループも地元にあった」という。筆者も初耳だが、当地の民俗学・郷土史研究家、誰も知らなかった伝説が物証である写真(上掲)とともに記されている。説明はさらに続く。
「言い伝えによると、猫鬼界にはヒエラルキーがあり、上から天鬼、空鬼、幽鬼、野鬼の4階層に分類できる。野鬼は角が1本あるほかは普通の猫と変わらず、特別な能力は持っていない。その頭領はアメノカツブシノミコトを代々襲名する。幽鬼は2本の角を有し、人語を解して化けることができ、頭領はアメノマタタビノミコトを代々襲名する。空鬼は3本の角を持ち、人語を含めたあらゆる動植物語を解し、化けるに加えて地水火風を自由に操ることができる。頭領はアメノシャミネンノミコトを代々世襲する。天鬼は神のような存在で(中略)頭領はネコテラスオオミカミを代々襲名する」という。
同書には「猫鬼伝説」に関係する幻獣の頭蓋骨・ミイラ44点の写真、「猫鬼の詫び証文」とされるものの他に、かつて、いわき市内で催されたという「大河童博」のポスターなどが掲載されている。(写真下)
「河童の腕」は、猫鬼研究会の主催、平市教育委員会の後援、大黒屋百貨店の協賛により、平市(現在の福島県いわき市平)のいくつかの公民館で開催された「大河童博」で展示されたという。平市は1966年にいわき市として新設合併されるまで存在した自治体であり、大黒屋百貨店も2001年までいわき市平に実際にあった。しかし「大河童博」は聞いたことがない。
現在のいわき市好間町は、合併前は平市ではなく好間村という別の自治体だった事実からすると、なぜ後援が好間村ではなく平市の教育委員会なのかという疑問も生じるが「猫鬼」伝説についての衝撃的な説明に比べれば取るに足りない。
また「魔像」との類似点がいくつかあるように思われる。①福島県いわき市内の特定の地域が具体的に示されている点、②地元の人間にも知られなかったものであるにもかかわらず現存している点数が極めて多いという点、③
〈かつて実在していたが、既に存在しない場所〉により説明されている点(威徳院、平市、大黒屋…)など。
はたして偶然の一致なのだろうか。湯本氏は、これらをどのような経路で入手し、誰からその奇妙なまでに具体的な情報を得たのだろうか。また氏がこの情報について裏を取るために地元の識者に問い合わせていたのだとしたら、その相手は誰なのか。氏自身による説明が俟たれるところである。