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推しへの好きな気持ちと掛けるお金は比例する?

私の結論としては、『比例する』『比例しない』です。

どっちだよ!抽象的かつ曖昧な結論で申し訳ない!
ですが、それぞれそう思う理由があるので書いていきます。

前置き

そもそもなぜこの記事を書こうと思ったかというと、先日Twitterにて「推しイベ(ソシャゲ)で推しの報酬カードを完凸させなければ推しのことを本当に好きとは言えないのか」「推しにお金をかけられない(イベントやグッズ等)と愛がないのか」と、私のTLで少し話題になっていたからです。

それに対する答えなんて人それぞれだし、最も、ベストアンサー的なスッキリする回答を出している人もたくさんいらっしゃると思います。
こういう話題って定期的に出てくるしね!拡散されてネット上での議論が加速するとトレンドに入っちゃってそこから更に地獄絵図が展開されることも多々ありますし〜

でも今回私の見かけた議論は平和なものでした。件について悩んでいる方(おそらく学生さん)に対して、社会人フォロワー数人が優しく答えていました。答えというか助言ですね、お悩み相談コーナーみたいな!

私はそれを後から見かけただけで自分が何か発言したわけではないのですが、なんとなく自分なりのアンサーを考えてみました。考え出したら思いの外浮かんできたので、その今の自分の意見を忘れないようにここに記しておこう、と思って書き始めたわけです。

あくまで私の考えなので、合わね〜なぁ!私はそう思わない!と思ったらスルーしてください。異論は認めますが受け付けません!(^^)
共感していただけたり、少しでもモヤモヤ解消のきっかけになったりした場合はとても嬉しいです。

長い前置き終わり!次からそれぞれについて私の考えを書いていきます。

『比例する』

好きなものにかけたお金の金額と、愛の大きさや気持ちは比例します。

一番の理由としては、好きでなければそもそもお金をかけようと思わないからです。
自分の中で自由にできるお金がいくらかあったとして、推しに限らず、趣味や洋服、食べ物など、好きでもないものにわざわざお金を払おうとは思いません。
好きで、応援したいから、好きだから、欲しいと思ったから、食べたいからお金を払います。そして私たちはその好きなもの(欲しかったもの)を手に入れます。

推しのことが好きで、イベントを頑張りたい、カードを完凸させたい、グッズをたくさん集めたいので、お金を払います。好きだから。

SNSや周りを見ていると、金額に差はあれどこういう方はたくさんいらっしゃいます。私もその中の一人です。好きでなければやりません。

例えばSNSでそういう人たちを見たときに、「カード完凸させてる!ライブにもたくさん参加してるし、グッズもたくさん持っていてすごい!」と思いますか?もちろん中身によりますが、私は思います。
それと同時に「この人はそれだけ推しのことが好きなんだなぁ」と思います。好きだからその気持ちをお金に乗せて届け、表現します。
「好き」という欲を満たすためにお金を払います。相手のためであり自分のために。

ただし、お金を出したからと言って傲慢な態度や発言をすることだけは避けるべきだと思います。
確かに、私たちのお金は運営側の利益に繋がります。利益が無ければコンテンツは終わるし新しいグッズはでません。でも私たちは運営側の供給に対し、それを得るために自分の意志でお金を払っているのです。クラファンでも、会社に投資をしているわけでもありません。
最近、一部の人とはいえそこを履き違えた意見を見かけることが増えた気がするので、一応言っておきたくて…。私たちの課金が〜とか、こっちは金を払ってるのに、みたいなものをよく見ますし。冗談で言っているなら全然構いませんが、本気で思い込み、頭ごなしに批判するのだけは違うと思います。
娯楽にお金を払うも払わないも自分の意思です。義務ではありません。

『比例しない』

好きなものにかけるお金の金額と、愛の大きさや気持ちは比例しません。理由は二つあります。

〈理由①〉
まず一つ目は、好きなものはあったとしても、それに必ずしもお金をかけるという感覚が無い人もたくさんいるからです。
例えば、TVで姿を見られれば満足、ソシャゲのイベントでカードを1枚ゲットできれば満足、グッズの缶バッジを1つ手に入れられれば満足、好きだけどグッズにはさほど興味がないので買わない、という方はたくさんいらっしゃると思います。

そういう人に対して、その程度で本当に好きと言えるのか?と感じる人もいると思います。そこは、自分とは違う他人のことを考えてもどうにもなりません。考えたとしても堂々巡りであり、マイナスな感情ばかりを捉えてはドツボにはまるだけです。
自分は疑問に思うかもしれないけれど、その人は好きであり満足しているのです。他人が何かを言う権利などありません。同じものが好きでも所詮、他人です。
みんなそれぞれ自分の納得するペースで楽しんでいます。

〈理由②〉
二つ目は、お金の事情は人それぞれ違うからです。
学生だったら、バイトでお金を稼いでいる人もいればお小遣いでやりくりしている人もいるし、自由に使えるお金が全くない人もいると思います。
社会人も職業によって給料が全然違います。生活スタイルも勤務時間も休日も全部違います。当たり前のことです。

自由に使えるお金は人それぞれ違うのに、好きなものにかけるお金がファン全員同じである必要など全くありません。一定の金額を払わないとファンじゃないと言われるラインなんてどこにもありません。もしあると感じてしまう場合、それは虚構なので気にする必要はありません。
自分が推しに対して好きだと感じた気持ちを大切にしてください。

ですが、どんなに好きの気持ちが大きくても、手の届かないものはあります。
例えば推しのイベントカードを完凸したいと思った場合、ある程度のお金と時間が必要です。そのお金と時間を自分が用意できて、それを消費したあとに後悔しないのであれば何も言うことはありません、完凸まで頑張りましょう!

しかし、用意できない、自分には厳しいと思った場合、無理する必要はありません。好きなのに、お金をかけられず悔しいと思ってしまうかもしれませんし、その気持ちのやり場に迷うこともあるかもしれません。そういう時には一つの対処法として、「悔しいと感じ、でも現実を鑑みて判断した自分」「我慢できた自分」を褒めてみてはいかがでしょうか。自分の状況を考えられるワタシえらい!
私はそうやって自分の気持ちに折り合いをつけるようにしています。自分の機嫌は自分で取らないと、割り切れません。

それでも割り切れない場合は、あの手この手でどうにかお金と時間を得られるようにしてください。後悔せず、責任もちゃんと負えるのであれば。何をしたって構いませんが、犯罪と、他人に迷惑をかけることだけは絶対にしてはいけませんよ〜約束ですね!戒めも込めて。

また、SNSで見える他人に惑わされる必要もありません。
でもこれが一番厄介な気がしますね〜
この記事内で似たようなこと何回も言ってますが、「人はそれぞれ!!自分は自分、自分以外は他人、他人は他人!!」です。もう本当にこれです。これを言いたいがためにここまで文章書いてるようなものですこれさえ言えれば満足です。

まあでも頭ではわかっていてもどうしても気にしちゃう人は少なくないと思うんですよね、他人のことは気になっちゃうものです。
気にするだけなら、また、純粋に羨むくらいなら全然大丈夫だと思いますが、比べ始めたり、嫉妬が芽生えたりすると危険です。比べだすとキリがないので、まだ自分の思考に分別がついているうちに、切り上げたほうが良いかと思います。
もうどうしたって仕方がないことなので、上には上がいるし、下には下がいる!と自分に言い聞かせてください。上には上がいるし、下には下がいます。

お金をかけることをマウントのように受け取ってしまい、苦しむ人もいたりするんでしょうか。
マウントなんて、自由にさせてあげておいてください。「比例する」の方でも言いましたが、お金をたくさん払う人は自分の欲を満たすためにやっているのであり、自分で自分の欲を満たしている立派な人です。決して誰かを貶めようとはしていません。だって、誰かって誰よ〜不特定多数の人とか?不特定多数に向けてマウント取るなんて、そんな虚しいことしないでしょ〜

まあ万が一にも、不特定多数ではなく特定の誰かでありそれが自分だった場合、自分に向けてマウントを取るような人がいた場合、「そっかぁ!(すごいね!)」とでも言って宥めてあげてください。きっとその人は自分で自分の欲を満たしきれなかったのでしょう・・・。
億が一にもそんなことで亀裂の入るような関係なら、静かに距離を置いてサヨナラしましょう。娯楽のことで揉める(嫌な思いをする)人間関係などいりません。

あっ、あと最後に補足的に一つ。
「比例しない」では、好きなものに必ずしもお金をかける必要は無いと綴ってきましたが、それはあくまで自分の中での考え方や捉え方の話です。
もちろん同じジャンルやコンテンツのファンの中に、お金をかけて楽しんでいる人もたくさんいます。そのような人たちに対して「推しへの愛はお金が全てじゃない!」等と言っちゃったり噛み付いたりするようなことだけは絶対にやめてください。それは途端に自分の恥晒しになります。
わかってると思いますが、お金をかけないことが恥なのではなく、他人を貶し始めてしまったことが恥です。火種を自ら蒔き散らしに行くんじゃないよっ!

まとめ

長い文章をここまで読んでいただきありがとうございます。気付いたら約4000字です。

自分が日頃なんとな〜く考えていたことを、思い切って記事にしてみました。私の考えに少し納得していただいた方も、それは違うんじゃないか?と感じた方もいるでしょう。心の中でのご意見ありがとうございます。

ここ数年で「推し」「推し活」「オタ活」という言葉が爆発的に広がり、SNSもかなり便利に普及し、誰でも手軽に情報を発信できるようになりました。他人の活動や言葉が目に入ることは必然で、避けようのないことになっています。ですが、楽しむことを目的としている「娯楽」で嫌な思いをするのは悲しいし残念ではないかと私は思います。

これは私の中のポリシーみたいなものですが、趣味は上手く取捨選択することが本当に大事だと思っています。
好きなものには全力で向き合う、でも、あれ?と思うことやモヤモヤすることがあれば冷静になって一旦距離を取ってみる。

せっかく好きになったのだから、その気持ちを大事にして、全部が上手くはいかなくとも、大部分をプラスの感情で満たしたいです。
自分が納得できる言葉を信じ、自分の手の届く範囲で、自分のために楽しく行動したいものですね。


おわり!

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