「2014(30歳)」

ライヴ活動の場を増やしたいと新宿のANTIKNOCKでライヴをやらせてもらうようになった。
人生に多大な影響を与えられたGAUZEと同じステージに立てた事は凄く嬉しかったし、1つの到達感もあった。
ANTIKNOCKのブッキング担当からはライヴの感想は割と良い反応だった記憶がある。
しかし、ライヴに来てくれる人は1人も増えず、ライヴをやる度に毎回万単位のノルマを支払っていた。
自分としては手応えのあるライヴをやれるようになっていたが、どうすれば動員が増えるのか全く分からなかった。



2014年の誕生日で俺は30歳になる。
俺は漠然と30までに死ぬと思って生きてきた。
この世に生きる事は自分の望む真の理想とは余りにもかけ離れている。
そんな自分が30まで生きられるとは思っていなかったし、30までに自分が死ぬのは潜在願望でもあったと思う。


結婚願望は一切ないし将来的にこんな生活を送りたいというのはないから、そういう類いの焦りではないが、2014年で30を迎えて、これから先も生きていくと考えた時に、これまでのように金もなくギリギリで生きていく事に違和感を覚えた。



30代になっても貧乏で、夢を追うような生き方は全く絵にならないと感じた。
それが絵になるのは20代までだ。
別に誰かに迷惑かけなければ、人はどう生きても良いと思う。
俺に迷惑がかからないのなら、何処の誰がどんな生き方をしたってどうでも良い。
だが自分がそうなるのは嫌だと思った。


音楽を楽しみたい。音楽活動もしたい。
だけど動員出来ないから金が無くなってゆく。
どうすれば良いんだ。
俺は迷いの真っ只中となった。
いつだって自分の気持ちに正直に生きてきた。
だけど、そのうち死ぬからと生きる事に対して真剣に考えずにその場凌ぎで生きてきた。
そのツケがやっきたのだ。


そんな中で自分で金を稼ぐ事はできないのかと検索すると、ネットビジネスとやらで沢山稼いでいるというサイトを見つけた。
そこには雇われて働く事を徹底的に否定し、自分で稼げるようになって自由な暮らしをしていると優越感を煽りながらも、ちゃんとやれば誰でも出来ると言った事が書かれていた。


俺は夢中になってそのサイトを読み漁り、メルマガを取り、当時は分かっていなかったが「洗脳」されていった。
これだ。これで自分の問題が解決する。と「錯覚」した。


ネット回線の案内の仕事もクレームが多く、精神が窶れていき仕事に行くのが嫌になっていた。
更に嫌味ったらしくあたる嫌われていた上司もいて、遂に耐え切れなくなり5月の下旬に「ふざけんじゃねぇ!辞めてやる!」とブチギレしてその日で無理矢理辞めた。
今だったらこんなかっこ悪い事はしないが、当時は色んなストレスもあり、雇われて働かなくてもやっていけるんだ。と洗脳されていたからこそ出来た事でもあったと思う。



それ以来、もう雇われて働く事は俺には出来ないと思い込んでいたからネットで自分で稼ぐ事が書かれたサイトを読み漁り、実行しようと思っていた。
中古で買ってきたCDをネットで転売するだの、情報商材を売るだの今思えば何一つ社会貢献になっていないものばかりだ。


3万も払ってもっともらしい御託を並べてるだけの動画を買った事もある。
これを見れば永遠に役に立つスキルが手に入るとの事だったが、今思えばあんなのに金を払う価値など一つもない。
ネット検索で見つかる情報以下だ。
洗脳されていたからこそ、そんなものに金を出したのだ。



仕事に就かない状態でもちょくちょくライヴやクラブに遊びに行っていたが、どうも最大限に生き甲斐を感じられなかった。
ライヴは生きたり頑張る活力を与えてはくれるが、迷いや問題を解決してくれる訳ではない。
答えは自分で見つけるしかない。
これからどうやって生きていくのか?という混沌の中で常に不安でいっぱいだった。



そんな中、田舎にいる両親からちょっと家作りを手伝ってくれないかと連絡が入り、鹿児島の離島へ手伝いに行った。
俺の両親は鹿児島の離島で育った。
学生時代は夏休みに毎年、その離島へ行っていた。
両親はその離島で仕事をする事を決意し、家を作っていた。


離島の住人は牛を飼ったりして自営業を営んでいる。
11年関東で暮らして人生に迷っている中、離島の環境は凄く新鮮に映った。
従兄弟が「牛を飼わないか?」と何となくだが言った事もあり、2週間ほどで離島から戻った後、これからについてひたすら考えた。
関東で雇われて働かずに自分で稼ぐというやり方には無理があると分かったからだ。



関東の生活を全て投げ出すのは躊躇いがあった。
だけど、また仕事を探して関東で生活する事は考えられなかった。
何日か眠れないくらいにひたすら考え、完全に行き詰まっていたので、一度全てをリセットした方が良いと思えた。
動物が大好きだし牛飼いで離島で生活して、今までとは違った人生を歩むのも良いかも知れない。
どうしても行きたいライヴがあれば遠征すれば良いと決意を固めた。



俺は6月で一旦ライヴ活動を止め、12/18の30歳の誕生日に高円寺のhacoというレンタルスペースでワンマンライヴを行った。


妹や妹の友達が見守る中、90分ほどのライヴをやった。
ワンマンライヴをやるには体力と力量が必要である事を痛感したが、30歳の誕生日にライヴ活動を終わらせたのは良かったと思える。
この日以来ライヴ活動は行っていない。



その日の打ち上げで妹に関東から離れる事を言った時の悲しそうな反応は忘れられない。
俺が上京してから2年後に妹も短大で上京し、そのまま東京で働いていた。
ちょくちょく会食したり、ゆらゆら帝国のライヴに一緒に行ったり俺のライヴにも毎回のように来てくれた。
共に東京で生きてきた感じがあったから俺も切ない気持ちはあった。



2015年の1月に引越しする事が決まった。
期待とか不安とかよりは、この時はもう失うものは無いような気持ちだった。
11年間、不器用ながらも関東で凸凹な道で生きてきた疲弊もあった。
どうなるのか全く分からないけれど、分からない場所に新たな人生があるかも知れない。
そして自分を生まれ変わらせるための修行のような日々が始まる事になる。



離島での修行のような暮らしで生まれ変わり、迷いがなくなり再び上京するも数年後にはコロナ禍という人生最大の危機が訪れる事になる。
次回の更新は11/18です。

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