「2000〜2003(16〜18歳)」
高校は家から電車で通っていた。
中学時代に女子にバカにされまくった事から男しかいない学科に入ったが、女子がいないと華がなくて後々後悔した。
部活は中学と同じく弓道部に入ったが、2年の時に辞めて帰宅部となった。
クラスの雰囲気に上手く馴染めず、余り喋らず休み時間も自分の中に閉じこもっていたような状態だった。
そのうちヤンキーみたいなヤツに目をつけられイジメが始まった。
そいつは殴ったりの暴力を振るいコンパスの針で手を刺そうとしてきたりした。
担任は見てみぬフリをしていた。
その事を誰にも話す事もなかった。
憎悪に満ちている俺は鋭利なハサミと大きめの石を持参するようになった。
遂に耐えきれないと思った時にソイツをブチ殺そうと考えていた。
しかしソイツは高1の終わりで中退したので報復する事なく終わったが、あの時の自分は人を殺してもおかしくなかったと思う。
前科がつくと世渡りが面倒になるので殺さなくて良かったが。
2000年にLUNA SEAに次ぎDir en greyが好きになった。
Dirの詩は救いようがないくらいの悲しみがあり、狂気と気合いを感じまくるライヴにシンパシーを感じるようになった。
当時のアイドルは恋をして両思いになって幸せな生活を送るみたいな歌ばかり歌っていて、不幸な人生を送っている俺の神経を逆撫でし、リアリティーを1ミリを感じないから大嫌いで敵視すらしていた。
それらとは真逆のDirに感銘を受けまくっていた。
2000年12月27日にLUNA SEAが終幕した日、親と大ゲンカしてバットで自分の頭を何発も自分で殴った。
人生の中でも最低最悪な日だった事を覚えている。
LUNA SEAのライヴをいつか見たいと願っていたのに見れなくなってしまった自分の運命を呪い、悔しさの余り5年くらいはLUNA SEAを聴く気になれなかった。
そんな中、高1の夏くらいから高2の終わりまで今でも忘れられない恋をした。
登下校で見かける1つ年上の先輩。
自分とは打って変わって、色白で真面目で明るそうで勉強もできて充実しているような雰囲気の人だった。
とにかく可愛くて仕方なくて、見るだけで心臓がブッ壊れそうなくらいドキドキしていた。
関わった事もなく、見た目の可愛さだけで何故あそこまで惚れまくったのかは分からない。
理屈なんかじゃないと思う。
過去に戻りたいと思う事は殆どないが、1日だけこの頃に戻って先輩を見てみたいと今でも思ったりする。
学校でも家でも楽しい事なんて無かったけど、先輩を見る事が1番の生き甲斐だった。
その影響で高校は皆勤だった。
四六時中先輩の事を考え、何処に行ってもここで先輩と一緒に過ごしたいと思って、修学旅行先のオーストラリアでも、夏休み中でも先輩の事を考え、自分の部屋では先輩との妄想でいっぱいになり、夢に出てきた時には嬉しくて仕方なかった。
見てドキドキするだけで嬉しいけど、死ぬほど可愛い憧れの先輩とお話したい。
それを考えただけで死にそうなくらいときめく。
手を繋いでみたい。一緒に歩いてみたい。
抱き合ってみたい。キスされたい。
憧れの大スターに恋をしているみたいな感覚に近いものがあった気がする。
不幸な人生を送っている俺を救って欲しかった部分もあったのかも知れない。
相手の事なんか全く考えていない一方的な好意。
結局、何もする事は出来なかったけれど先輩が卒業するまで、ずっと恋焦がれていて卒業した時は、もう見れなくなるんだと悲しみでいっぱいだった。
先輩は今でも1番のアイドルだと思っている。
憎悪に塗れてばかりの俺を、ここまでドキドキさせて、人を心から好きになるという気持ちを教えてくれたから非行に走らなかった部分もあるかも知れないと思うと感謝している。
当時は自分の事しか考えていなかったが、良い人生を送っていて欲しいと今は思う。
2001年の元日からは毎日日記をノートに書くようになった。
2024年現在も1日も欠かす事なく続けている。
その日に感じた事や印象的な出来事を記さない事は勿体なさすぎて恐怖ですらある。
ライヴに行った日など色んな事を感じた日は書き残したい事が多すぎるため、いつも以上に膨大な量になったり、思い出す事が辛すぎて一言だけしか書いていない日もある。
書き記すだけでなく、その日のランク付けもずっと行っている。
ランク付けだけは2000年の元旦からずっと行っている。
S、最悪
A、悪い日
B、どっちかというと良くなかった
C、どっちかというと良かった
D、良い日
E、最高
1ヶ月、1年単位で集計も行っているので、どの月やどの年が悪かったか良かったかが一目瞭然。
10代まではBがメインだったが、20代以降は時期にもよるがCがメインになった。
前述のLUNA SEAが終幕した最悪の日はSx6というランク付けがされており、Eを超えた最高な日があればFを付けようと思っているがF以降を記録した日は24年で一度も無い。
たまに読み返すのが楽しい。
その時の生活や気持ちを結構思い出せたりするし、苦しかった時期をどうやって乗り越えたかも分かる。
書き続けていなかったら10年前、20年前の事を思い出す事が難しくなる。
この記録は自分の大きな財産となっている。
2002年の1月の終わり。
家族で長渕剛さんのライヴを鹿児島アリーナへ見に行った。
産まれて初めてのプロのライヴ。
超有名人である長渕剛さんを生で見られた事と、沢山の人たちと音楽を共有するライヴの光景に強く感激した。
当時はフールズメイトを毎月読んでいて、色んなライヴレポを読んでいた。
長渕剛さんのライヴを見て以降、LUNA SEAは終幕してしまったけどDir en greyを始め、色んなライヴを見に行きたいと思うようになった。
2月にクラスメイトの部屋でBRAHMANのBOXという曲を聴いた時、なんてカッコいい曲なんだ!と思い何度も繰り返し聴いた。
これがパンクロックとの出会い。
BRAHMANの作品を全て揃えて聴きまくり、CRAVINGというライヴビデオを毎日のように見ていた。
BRAHMANの不器用ながらも熱いライヴと、情熱的でかっこよすぎる楽曲にハマりまくっていった。
BRAHMANの深さを知り、人生に多大な影響を受けるのはもう少し後になるが。
高3に入った時には俺は卒業したら鹿児島を出て東京で働いて、ライヴに沢山行く生活を送りたいと思うようになった。
産まれて初めて明確な目標が出来た。
相変わらず父親とは関係が悪くて家は居心地が悪く、飯を食べたらすぐに自分の部屋に引きこもっていた。
先輩の卒業後に恋をした1つ年下の笑顔が可愛い色白の女子を思いながらGOING STEADYの「BABY BABY」を聴いたり、3時間くらいデートの妄想をしたりしていた。
先輩の時に何も出来なかったからと一緒に写真を撮って貰った事がある。
今思えばこんな恐ろしい事をよく引き受けてくれたと思う。優しい子だったのかも知れない。
今は良い人生を送っていて欲しいと思う。
早く家を出て一人暮らしをしたいと思っていたし、鹿児島のノリが合っていないと感じる事が多かった。
鹿児島は何かとヤンキーがモテる、悪ぶっていれば偉いみたいな雰囲気があって、それが下らないと思う事が多かった。
今でもたまに鹿児島に里帰りした時は地元は特別ではあるものの、3日もすれば関東に帰りたくなる。
ホームシックというものには1度もなった事がない。
鹿児島にいても良い思い出は無いし、関東の方がノリやテンポが合っている。
東京に帰ってくると、ここには色んな楽しみが有ると今でもワクワクする。
校則が厳しくて染める事は勿論、耳に髪がかかったらいけない。シャツの中は真っ白なものしか着たらいけない。少しでもプリントがあったら怒られるくらいで、生活指導の先生が下校中の駅どころか電車の中までいた時は流石に狂気すら感じた。
そこまでして生徒のアラを見つけたいのか。
そんな事もあり俺は絶対に人を縛り付ける大人になんかならないぞ!と強い反抗心を抱いた。
それは今も続いている。
偉そうに自分が正しいかのように正義というエゴを押し付ける。
実に浅はかだと感じていた。
見た目なんて好きにやれば良い。
大事なのは人に迷惑をかけない事だろ。
お前らみたいに自分のエゴを押し付けない事だろ。
どんなに真面目そうな容姿をしていようが、自分勝手な事をやるヤツはいくらでもいる。
そんな上っ面な事ばかり押し付けやがって。
個性を殺し、ある種の才能すらも殺している気がする。
見た目に対して無駄に厳しい事を見た時は未だに不快感を覚える。
学生時代に学校でも家庭でも不自由な思いをしまくった事により、束縛される事も束縛する事も大嫌いになった。
テストの期間がきたら勉強しなきゃいけないし学業に相当な嫌気がさしていたので、高校を卒業したら働くという気持ちしか無かった。
秋に福岡に就職試験を受けに行き、関東の仕事で内定を貰った時はとても嬉しかった。
仲が良かったクラスメイトも関東の就職試験を受けたが、会場に時間までに辿り着く事ができずに落ちてしまった。
勉強も出来る真面目な人で、まさか落ちるとは思っていなかったし、俺の恋の話や好きなバンドの話をよく聞いてくれた優しい人だったから凄く残念だった。
今では良い人生を送っていて欲しいと思う。
それからは昼食代を浮かせてCDを買ってKEMURIなどのパンクロックを聴き漁ったり、ライヴスケジュールを見たり、雑誌やライヴに行っているファンのホームページのライヴレポートを見ては来年は自分もここで楽しむんだとワクワクしながら、窮屈で退屈な日々を過ごしていった。
パンクロックの速いビートがこの頃から大好きだった。
2003年に入り、高校を卒業する前に荘厳なジャケットに惹かれてHAWAIIAN6のSOULを購入した。
1曲目のLIGHT AND SHADOWの勇ましいイントロを聴いた瞬間に、とてつもない衝動に駆られた。
今でもこのイントロを聴くと、その時と同じ気持ちになれる。
スピード感のあるビートに、美しすぎるメロディーと哀愁溢れる独特な歌声。
悲しみと切なさと情熱が繊細に描かれた深い歌詞は俺の魂に突き刺さりまくった。
HAWAIIAN6は他のパンクバンドとは一味も二味も違う。
メロコアが余り面白くなくなって2007年から3年ほど聴かなくなった時期もあったけど、2009年のアルバムBONDSで再び感銘を受けてからは、ずっと魂を熱くさせ続けてくれる自分の人生において欠かせないバンドだ。
2003年3月1日。
高校の卒業式。
この日は大雨で小学から続いた学業という不自由と苦しみと退屈の日々が終わると思うとかなり感慨深いものがあった。
俺の名前が呼ばれてバカみたいに大きな返事をした。
今も3/1になるとこの日の事を思い出す。
学業のしがらみから開放された記念日だ。
未だにテストの夢をみる事がたまにあって焦った気持ちになるのが嫌だ。
2003年に入った辺りから自動車学校に通い、当時は頭も要領も悪かったので苦戦しまくりながらも何とか就職条件だった運転免許も取得し、3/24に上京する事が決まっていた。
上京する間際は楽しみと不安がグチャグチャに入り混じった心境だった。
早く家と鹿児島を出たくて仕方なかったが、何も分からない場所に単身で飛び込んでいくのは、やはり不安があった。
物流やスーパーでアルバイトはした事はあったが社会に出るのは初めて。
学生よりは自由で、ライヴにも行けて、もしかしたら恋人も出来るかも知れないと思ったりしていた。
今までこれだけ苦しんできたんだから、きっとこれからは幸せを感じられるようになるさ。
そんな期待もありつつ、社会に出てから始まるのは学生時代をも上回る絶望だった。
社会に出てからの絶望とは!?
次回は10/18に公開となります。