沖縄出身のわたしの肌

自身がやっている肌管理について紹介いたします。

私は生まれも育ちも沖縄です。思春期のころニキビの数が増え、中学、高校と、完全に治ることはなく、ずっと汚ない肌と共に生きていました。
そんな私でしたが、21歳で上京し、肌の状態がかなり良くなり褒められるようになりました。
私が実践したことや、日々気をつけていることなどご紹介していきたいと思います。沖縄県民の皆さんは、同じような悩みを抱えている方が多いと思います。しかし、美容の情報は、基本的には本土に基準が合っていて、沖縄で暮らす人たちには合わないことが多いし、情報も少ない。私が悩んできて、実践して、実際に肌が改善し(もっと上はいるけど)人間と言える肌になった。ぜひ少しでも参考になれば、と思います。



➀過去最高に肌荒れしていた時の肌レベル

とっても言いたくないんですが、まずしっかり事実から伝えておきます。1番肌荒れしていた時期の、私の肌は、肌荒れしていない部分が無い状態でした。全てニキビか小さなポツポツ、それも赤ニキビや黄ニキビの悪化した状態もありました。鼻は角栓が沢山出来ていたし、白く目立っていました。皮脂の過剰分泌で常にテカテカ。もう人間なのか分からないレベル。何にも異常のない普通の肌が一部分でもあれば救われたと思うのですが、当時の私の肌は、ニキビで覆われていました。肌荒れしていなかった頃の通常の肌が思い出せない。そうして、綺麗に治るイメージが出来ず、頭の中はいつも、『どうしたらよくなるんだろう、そもそも何が原因なのだろう?』という事をずっと考える日々。当たり前ですが、考えていても肌は治らないし、すぐに変化もしません。

➁躁鬱病の疑いもあった
私は家庭環境が決して良かったわけではありません。私が中学生になった頃、弟が生まれ、父親の実家で二世帯で暮らし始めたのですが、両親と祖父母は次第に不仲になっていき、家庭内から会話が消えました。父親と会話をすれば、殆どが否定の言葉で(教育のつもりだと今は理解できるけど納得はいかない)自分が存在している意味が分からなくなっていました。古いお家は、お風呂の出窓は閉まらないし、隙間だらけの家は害虫も入ってくる。シロアリが大量発生する季節は、電気を消して生活していました。本当に家?そして昼間でも、陽の光が入らない。トイレはなんと外履き。
そんな家庭環境の変化で心身にストレスがかかって鬱がやってきました。限界がきていたけれど、10代の頃はそれを認める勇気がありませんでした。
その為、家族から離れる選択を選ぶことに時間がかかりました。家庭環境で悩んでいるかた、離れた方が良くなることは沢山あります。それは親不孝ではありません。特に、沖縄においては貧困家庭が多いと思います。ストレスのない、普通の生活を送れることが大切。

➂沖縄で生活するのは美容に不利
沖縄の水は硬水です。洗顔をすると、目には見えませんが石灰が肌に付いている状態です。これは水に含まれるミネラルが多いため。きちんと洗い流せないので、肌トラブルにつながる。
あとは、紫外線がとても強い。沖縄の日差しは、気温こそ東京より低いですが、紫外線量が高いです。夏の沖縄では、日焼け止めは30分に一回塗り直さないと意味がないと言われているほど。でも、何度も塗り直すと、今度は肌に刺激になる。冬でも日傘がマストでした。
沖縄の子の肌荒れ率の高さ。肌に熱が籠ってしまい、肌の奥が熱いタイプの人が多いと思う。それが肌荒れに繋がります。
あとは食事。食べ物が腐りやすい為、炒め物や揚げ物が多い沖縄料理。どう考えても油分過多。


以上の3つが主な原因だったかなと思います。
もっと細分化していくと、本当に沢山原因がありました。少しずつ辞めていくよう意識し、現在の肌になるまでに10年もかかりました。
肌は一気に治せませんが、必ず治ります。
独自的ではありますが、ここに共有していきますので、フォローよろしくお願いします。

いいなと思ったら応援しよう!