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『三重に偉大な議長の優雅な生活』第3話

3 姫君と第一秘書と


「〈慈雨じうと光彩の大賢人〉の話、あなたご存知?」

 神官連中に対する愚痴を一通り言い尽くしたところで、マリミ姫は唐突に新たな話題を振ってきた。

「いや、知りませんな」

 春の草花咲き誇る、美しい中庭に面した南北に延びる渡り廊下の一角。
 先刻より見知った顔が数人後ろを通りかかったが、声をかけてくる者は誰もいない。並んで腰を下ろす様は、傍から見たら愛を語らう一組の男女といったところか。
 背筋が怖気立った。
 俺は気取られぬよう腰を浮かし、相手の座っている箇所から少しばかり距離を置いて座り直した。
 姫君の衣装は上下共に羅紗ラシャの上質な色合い。やんわりと腰を包む絹の帯と、胸許には七色に輝く玉飾り。
 神官長のジジイご自慢の、美しい容姿をした美貌の令嬢、ではあるのだが、こちらの心境としては蜘蛛の巣に囚われた蝶のそれに近い。隙あらば逃げ出したい。
 そんな思いをよそに、彼女はこちらに首を伸ばすと鈴のような高い声で白い喉を震わせて、

「あら、本当に存じ上げないの? 異国生まれの放浪の大賢人コニシャスハール。とても有名な方よ。神官一族のうちで彼の名を知らない者はいないわ」

 神官一族。この国の神官団は、神官長以下血縁のある神官一族によってのみ構成されている。
 ジジイ曰く、自分たちは神より与えられし剣を駆使しこの地を平定した、神話上の英雄の血を引く由緒ある血統なのだそうだ。血の繋がりのない者は婚姻関係を除けば皆部外者であり、いかに信心深くとも入団はできない。
 つまり、神官団とは彼女が思っている以上に狭苦しい、閉じた社会なのだ。彼女の常識が一般に通じるかというと、相当怪しいと言わざるをえない。

「一般にはさほど知られていないと思いますがね」
「そうかしら。散歩先の社交場の方々も知っていたし、あなた専属の秘書二人も彼の話をしていたわよ。何日か前まで、その話題で持ち切りだったと思うのだけど」
「…………」

 そういや最近街に下りてなかったから、情報収集が完全に滞っていた。
 よし、今日こそ街に出てやる。出てやるぞ。世間知らずの姫君に情報戦で負けてなるものか。

「で、その大賢人がどうかしたんですか」

 平静を装い問いかける。

「今、この国に来ているのよ。十数年ぶりに」
「ほう、そうですか。そりゃまた結構なことで」
「本当に凄い人なのよ。ケガや病気を無償で治してくれるらしいの」
「へえ。慈善団体の医者か薬師くすしですか、その御仁は」
「違うわ。なんでも不思議な力を使うという話よ」

 不思議な力。いやな予感がした。

「神通力みたいなものね。誰でもというわけじゃないけれど、一度診たらどんな症状も立ち所に治してしまうそうなの。おかげで信心の足りない人たちにも、かの〈医療と休息の神〉の再来と敬われているとか。素晴らしいことだわ、生ける奇跡がこの国に訪れたのよ。一度でいいからお会いしたいわ」
「なるほど」

 一気に話が胡散臭くなったぞ。
 そんな非現実的な力でケガや病気を治すだって? できるわけないだろう、そんな芸当。幻想文学の読み過ぎじゃないか?
 そいつぁ山師だ。そうに決まってる。

「それが〈慈雨と光彩の大賢人〉とやらですか。憶えときましょう」
「あなた信じてないでしょう」
「そんなことないですよ」
「嘘よ。顔に出てるし、声も信用してないときの感じだわ。ほら、前にわたくしが、ご祖先様の話をしたことがあったでしょう。あのときそっくりよ、今のあなた」
「伝説の、名も無き勇者のお話ですか」
「ええそう。二十の三倍にも及ぶ邪な悪鬼を、神より授かりし降魔ごうまの剣で残らず斬り伏せた話や、悪辣あくらつ非道な〈夜と魔の国〉の魔術師が、天変地異を起こして勇者様を大いに苦しめた話とか。さすがに憶えてるでしょう?」
「はあ」

 内容まで憶えているかどうかは置いといて、俺は今、そんな感じの顔や声をしているのか。これは反省せねば。とはいえ、いくら反省しても声音ばかりはどうしようもない気がするが。

「以後気をつけることにします」
「今はいいとして、会議中とか心配だわ。ちょっとした嘘でも、周りの議員さんたちに怪しまれそう」
「ま、俺はただの議長ですから。判断を仰ぐだけなんで、嘘がバレても問題ないですけどね」
「嘘を会議に持ち込むのは良くないわ。神聖な場で偽りの意見を述べると、〈正義と証言の女神〉が持つ銀のハサミで舌を切り取られてしまうのよ」
「それは痛そうですね」
「あなた信じてないでしょう」

 今に始まったことじゃないが、俺はこの姫君をどぎつい甘さの砂糖菓子のように大の苦手としていた。
 嫌いというほどでもないが、なんとなく肌が合わない。性に合わない。
 俚諺りげんに言う〈小銭入れを闘神の剣の鞘に用いるような〉甚だしい不一致というやつだ。合うところがちっとも見つからない。比喩表現でなく本心から神の名を口にする輩と、どう波長を合わせろというんだ。
 人の舌を切る女神。加虐心丸出しの、とんだ変態じゃないか。

「あの、あまり議会に神の名前を持ち出してほしくないんですが」
「あ、そうだったわね。ごめんなさい。〈政教分離〉の理念に反するわね」

 姫君は素直に従い、話題をそこで終わらせた。今みたいに、俺たち評議会が掲げた〈政教分離〉を遵守してくれている点だけは評価に値する。それ以外はさっぱりだとしても。
 政教分離。護民卿率いる前政府を駆逐した際、のちに現政府の主要メンバーとなる面々が誓い合った、我が国の根本理念の一つだ。
 武力政変後に再度擡頭たいとうした神官団は、古来からの多神教を奉じる保守的思考の集まりだが、この根本理念のお陰で今のところ政治面に介入する気配はなく、評議会に立ち入ることもない。この姫君でさえ、会議が終了するまで〈円卓の間〉の外で待っているほどだ。この点だけは認めてやってもいいだろう。口に出して称賛することは生涯ないだろうけど。
 大体がこの神官団、悪龍をほふった聖者の末裔などといういかにもな出自を盾に、宮廷内外でも常に居丈高いたけだか、事あるごとに布施を要求するゴロツキじみた連中なのだから。まさに〈眼の上の悪性腫瘍しゅよう〉、迷惑なことこの上なかった。
 実際、評議会と神官団が古伝承中の神族と魔族の如き間柄であることは、衆目の一致するところだった。こちらにおわすマリミ姫だけは、どうもそのことに思い至っていないようだが。


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