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『三重に偉大な議長の優雅な生活』第27話
3 不愉快極まりなき会合にて
幾何学模様の塗り込められた円柱が壁際に立ち並ぶ広大な応接間に到着すると、通用口に控えていたチェリオーネとドルクがいつになく慇懃に頭を下げた。二人の秘書官が同じ場に居合わせるとは珍しい。それだけ神官団代表のお出ましに気を配っているということだろう。
非常識なまでに長い黒檀の机には、既に二人分の洋盃が置かれていた。
椅子を引いてもらい、まず神官長のジジイが席に着く。
俺もドルクに椅子を引いてもらったが、慣れぬ所作に座るのを一瞬躊躇ってしまった。要らんお世話だ。椅子ぐらい自分で引けるわ。
「そちも暇があったら見に来るとよいぞあんな素晴らしい木彫りの神像は世界に三ついや二つとないわい」
姫君のお喋りが神官団の愚痴に終始するように、神官長のジジイは口を開けば神々への感謝だの、勇者聖者の末裔たる自分たちの自慢ばかりだ。内心辟易しつつも、表面上だけは取り繕うのを忘れぬようにしないと。
「はあ、そんなに素晴らしいんですか」
「うむ景品にするのが惜しいくらいじゃそもそも製作に用いた樹が特別じゃからの黄金の鷲に化身した至上神が枝に宿ったという伝説を持つ聖なる樹木を一本丸々伐り倒してな」
本当に〈伝説の〉とか〈聖なる〉って単語が好きなんだな、このお気楽な神官どもは。あと、そんなどえらい樹を伐り倒しちまって、天罰が下ったりはしないのか? 他人事ながらちと心配だ。
「じゃが並の刃物では歯が立たぬのでな街の鍛冶屋に頼んでわざわざ伐採用の鋸を三本ばかり作ってもらってそれを神前に祀ったのちようやく伐り倒すことができたのじゃ」
神には神を、か。毒を以て毒を制したわけか。それにしても、鍛冶屋のじいさん大忙しだな。趣味で武器作って依頼でも鋸作って。
「細部の造形には十人もの著名な彫刻師が関わっとるんじゃそのおかげで報酬のほうも莫大な額になってしまったわいいやいや金額は訊くでないぞ訊いたら眼の玉が飛び出るでな」
「その鍛冶屋にも当然支払ったんですよね?」
神官長のジジイは舌を湿らせる程度に飲み物を啜ると、
「払おうとしたんじゃが頑として受け取ってくれんかった埒が明かんので無理矢理紙幣を五十万ポォほど置いていったんじゃがあの様子じゃ懐に入れたかどうか怪しいものじゃほんに変わった男よ趣味というか道楽の延長なのじゃなきっと」
なるほど。一応金は置いていったのか。守銭奴でない分、金銭第一のギャンカルより多少はましか。
「それはともかくじゃそうして出来上がった至上神の立像は種々の宝玉や黒曜石を鏤めた荘厳なるお姿なのじゃよ中でも見事なのが三種の神器の一つで神ご自身の持ち物でもあらせられる三叉の槍でなあれはなんという名前じゃったかの確か法と何やらとかいう名前じゃったはずだがおお思い出したぞ〈西風と法の三叉戟〉じゃ〈西風と法の三叉戟〉確かに〈西風と法の三叉戟〉じゃ儂の記憶力もまだまだ衰えとらんなあ話を戻すがあの槍の神懸り的造形と大きさはいつ見ても惚れ惚れするぞよもし実物が現存していたらあのような形だったに違いあるまいて自身の手で彫り上げた彫刻師たちや彩色を担当した技師たちまでもが当代随一の傑作であると口を揃えて言うとるしな早く皆の衆に見せたくてわしゃ今からうずうずしとるんじゃ音楽祭当日が待ちきれんわい」
「そ、そうですな。いや全く」
長広舌が途切れるのを待ち、俺は頷いた。嘘ではない。大音楽祭は俺も楽しみにしている。こいつらの利権さえ絡んでいなければ、もっと心から楽しめるんだが。
「そのうち見せてもらいますよ、最高神の……」
「至上神と呼べその最高という形容は俗っぽすぎるぞよ」
「はあ、すいません」
どっちでもいいだろ、という思いを舌の裏に隠し、急いで二の句を探す。伝説が良くて最高が駄目。どういう基準なんだよ。
「いやあ、それにしても平和な時代になりましたね。独裁制の頃は、神々の像どころか神の名を書き記すことすら禁じられてましたし」
何気ない俺の発言に、しかし神官長のジジイはカッと眼を見開き、諸手を大きく振り上げた。
なんだなんだ? 良かれと思って言ったんだが、逆にまずかったか?
「おおそうじゃそうじゃあれは禍々しき暗黒の世じゃったあの忌々しい護民卿めがいやそりゃあもう恐ろしい時代じゃったよ」
神官長のジジイは眼尻に涙を浮かべて席を立ち、不意に俺の手を握り締めた。
な、なんだおい気持ち悪いぞ。しかも古紙みたいな感触。
「儂ゃなこれでもそちにはいくら頭を下げても下げ足りぬほど感謝しとるんじゃそちらが力を合わせて護民卿を打ち倒さなんだら儂ら神官一族は今でも都の外れの洞窟で惨めに暮らしとったじゃろう」
その頃の控え目な生活を、少しくらいは継続実践してもよさそうなものなのだが。
「そちらが掲げたあの標語は今も儂らの心に鮮明に刻まれとるぞ」
標語?
「あれがあったからこそ民草は一致団結して独裁制に立ち向かえたのじゃ母国語さえ奪われた儂らにあの〈暴虐の嵐を止めろ護民卿の圧政を止めろ三重に偉大な海風の平和を取り戻せ〉という標語がどれだけ輝いて見えたことか」
…………。
「ああ、そういえば、そんなのがありましたかな」
「忘れとったのか!?」
神官長のジジイは疲れ切った面持ちで座り直し、天を仰いで嘆息した。それを見て、困ったように顔を見合わす二人の秘書官。
そういえば、前にロッコムがそんなようなことを言っていたな。すっかり忘れてたわ。
気を取り直して一口目の黒い紅茶を啜る。
ん?
黒?
紅茶なのに?
「……にっ」
苦っ!
「ぶほっ!」
「うおっ!?」
耐えきれずに吹き出した黒い液体が皺だらけの顔にかかり、更に苦渋の皺を寄せる。洋盃の中身は紅茶でなく、ジジイお気に入りの珈琲なる飲み物だった。〈深き森の公国〉産の高級品とのことだが、飲み慣れぬ身には只々苦いだけの代物だ。
「…………」
「…………」
全員の視線が冷たい。俺は未だ苦みに痺れる舌を持て余しつつ、机の下に潜り込みたい気分だった。
……大音楽祭まで、三の二倍に足すことの二日。あと八日。
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