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『三重に偉大な議長の優雅な生活』第7話
3 歴史
「勉強?」
「そんなにイヤな顔するなよ。簡単なことさ。ちょうど今、現代史について学んでいる最中なんだ。その内容を暗唱するから、実際と違う点があったら訂正してほしいんだ」
「俺歴史とか苦手なんだが」
「頼むよ。気づいた部分でいいからさ。こういうのは、声に出したほうが記憶に定着しやすいんだ。あまり時間はかけない。十分で終わりにするから」
「しょうがないな。三分の三倍で終わらせろよ」
結局俺はロッコムの講義を拝聴することになった。
「四年前まで、この国の情勢はそれこそ眼も当てられぬほど悲惨な有様だった。長年の統治形態であった立憲君主制は、八年前、突如勢力を増した護民卿の強引すぎる政治介入とその後の計画的軍事政変により瓦解し、かつて栄華を誇った〈海風の王国〉は最悪の独裁政治に見舞われたんだ。今となっては名を語るのすら憚られる、護民卿による狂乱の暴政時代は、以後四年に渡って続いた。のちに言う〈暴風と暗黒の四年〉だね」
独裁制が敷かれた八年前といえば、俺が大学に入りたての頃だ。懐かしいなあ。あの頃は講義にも出ないで、日がな一日楽器をいじり倒していたっけか。
「その間、護民卿の圧政は気候以外の凡てに手を加えたとまで言われている。度量衡の改悪。従来の多神教に取って代わる、名も無き唯一神信仰の強制。おかげで祭祀を司る宮廷の神官団は排斥され、人里離れた洞窟での生活を余儀なくされた」
俺がマリミ姫を完全に拒絶できない理由がこれだったりする。苦渋に満ちた生活を体験したのだという意識が、心のどこかで働くのだ。
「歴史書の改竄、検閲・焚書の類は日常茶飯事だった。文化事業は軒並み退行し、知識階級は巡視官の厳しい監視下に置かれ、発言力を失った。通貨単位はさしたる意味もなくポォからカルディナへ名称を変え、紙幣も金貨も銀貨も銅貨も濫造された。結果、通貨の価値は下がり続け財政も程なく破綻。護民卿は貧しい庶民たちから血税を搾り取っていった。また、正式採用には至らなかったものの、〈鉄と炎と炎の大帝国〉なる国号は通称として半強制的に用いられた。無意味な〈炎〉の繰り返しは、国民の切なる思いを焼き尽くす悪逆非道の業火を暗示するかのようで、帝国の二文字が示す通り、その権威の強大さとしては護民卿は太古に失われた幻の称号、皇帝のそれに比肩していた」
皇帝。
現在この称号が用いられている国は、東の果てに一つあるのみ。しかもそれとて名目上の象徴的名称に過ぎないらしく、独裁国家はこの世界において極めて少数派となっていた。それが、この国では四年という短期間ではあったが、間違いなく実在していたのだ。気高き三と更に一年を穢した、呪わしき四年間。
「恐怖政治の魔の手は、あろうことか言語にまで及んだ。単語や文法はおろか文字要素すら異なる他国の言語を、公用語として国民に強要したんだね。それは〈眼鏡〉と〈洋盃〉が同じ単語で、なおかつ〈草〉とほぼ同じ発音をするという、本来の母国語からは想像もつかない、異様な言語体系だった。中には〈種類〉と〈親切な〉のように、品詞すら違っているのに同じ字形をするものまであった。この強制は、あらゆる分野において混乱を巻き起こして……」
全くだ。あれは迷惑極まりなかった。俺が大学を留年しそうになったのも、元はといえばこの言語の習得に躓いたからなんだ。何せ〈嘘吐き〉を示す名詞が、俺の名前、議長のほうの名前にそっくりなんだからな。講義中に何度からかわれたことか。そりゃ単位も落とすっての。
「そんな悪政の最たるものが、俗に言う〈島狩り〉で」
「ん? 島狩り?」
はて、なんだっけか。聞いたことがあるようなないような。
「アリル、まさかとは思うけど、〈島狩り〉のことを知らないなんてことはないよね?」
「バッ、バカ言うな。島狩りだろ、島狩り。んなもん知ってるに決まってんだろ。ほら、続けろって」
「判ったよ」小さく言い、ロッコムは見はるかす大海原に手を翳した。「今、僕らが眺めているこの海の先、大陸の遥か西方に、人口数千人の小さな〈羊と真珠の島〉がある。漁業と牧羊を主体とした集落が密集し、独特の文化を保有しながら、この国の属領として両者は長らく交友関係を築いていたのだけど、護民卿の治世四年目に、絶対にあってはならないことが起きてしまった」
ああ、思い出した。
「大量虐殺か」
「アリル」ロッコムはやや沈んだ声で、「先回りされると勉強にならないんだけど」
「あ、悪い」
「いいかい、続けるよ。護民卿の四年目、今から四年前に、大量の軍隊が〈羊と真珠の島〉へ侵攻して、罪もない島の民を一方的に虐殺したんだ。当時一万人いた島民は四分の一まで減ったとされている」
「侵攻の理由に関しては諸説あるんだよな」
「そうだね。どうも、島の民が謀反を企てているとか、島の実力者たちがいかがわしい術を用いて人心を惑わせているとかいう流言蜚語が、宮廷内でまことしやかに囁かれ、それが直接的な動機だったらしい」
「話を聞くだけで胸が悪くなる。とんでもない話だ」
「僕もだよ。だけど、これも覆しようのない、この国の歴史の一部なんだよね」
それからロッコムは一つ興味深いことを語った。
故人で島の出身でもある、とある歴史学者が生前掻き集めた大量虐殺に関する膨大な資料が、大部の著作となってつい先日刊行されたというのだ。
「中央図書館に置いてあるようだから、近々閲覧に行こうと思ってね。めぼしい情報でも見つけたら君にも教えてあげるよ」
「ありがたいが手短にな。長話はご免被る」
「判ってるよ」
宮廷内で私的に入手してもいいが、手続きが煩雑を極めるので諦めよう。今日は夜中にもう一仕事ある。
「〈島狩り〉を契機に、国内でも〈反護民卿〉の気運が高まり、やがて〈旋風と曙光の革命軍〉が結成された。〈暴虐の嵐を止めろ、護民卿の圧政を止めろ、三重に偉大な海風の平和を取り戻せ〉という母国語での標語を旗印にした、革命軍主導による帝国打倒の武力政変は見事成功を収め、護民卿の勢力は一掃、駆逐されたんだ。神官団も呼び戻され、万事が元通りになるかに見えた。ところが、王家の人々は護民卿の手にかかり、既に滅亡の憂き目に遭っていたんだ」
そう。王家は断絶していた。当初掲げていた目標の王政復古は叶わぬ夢となった。
「そのため、代理の最高機関として評議会を設立、国号も〈海風の王国〉および仮称だった〈鉄と炎と炎の大帝国〉から、〈海風と虹の共和国〉に革められた。議員に選ばれた面々は、いずれも先の政変で勲功を立て、〈救国の八英雄〉と讃えられた革命軍の精鋭八名。議長の選出だけは公平に籤引きで決められ、ほかの大臣職は個々の適性に応じて配された。それから護民卿の広大な居室を会議場に改装し、席次を作らないという目的で円卓を持ち込んだ。各々の座席は予め定められているけど、以上の理由で上座や下座は存在しないんだ」
「そんな最近のことまで試験に出るのか?」
俺は自分の肩書が出てきたことに少し気恥ずかしさを覚えた。
「もちろん。政治形態は必修事項だよ。少人数による完全合議制国家。総人口が三十万の三倍を辛うじて上回る、小規模国家ならではの運用形態だね。宮廷にて毎月開かれる定例評議会の他、状況に応じて臨時の議会を開くこともある」
それをさっき終えたばかりだ。定例ですら手に余るのに、この上なく面倒臭い。だが、これは俺の主観でしかないから試験には出題されないだろう。
「議題のほとんどは法改正など法案の審議で、重大犯罪の裁判といった司法会議は年に一回あるかないかといった程度。他国に比べて治安がよいのは誇りでもあるし、ありがたいことだよね。また、評議員に任期の上限がないのも世界的に見て珍しい。権力が彼らに集中しないよう、給金もかなり抑えられているからね。むろん、個々の評議員や評議長、あるいは評議会全体に対する不信任決議案が可決されれば、任期途中の罷免や解散も充分ありえるのだけど」
「解散ねえ」
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