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『三重に偉大な議長の優雅な生活』第5話
第2章 音楽史上屈指の天才楽師、その日常
1 安息日
数日来の娑婆の空気は最高そのもの。
空の青を緩やかに喰む日輪も、輝けるこの前途を祝福するかのようじゃないか。
相棒の竪琴を二の腕に乗せ、日中の街なかを漫ろ歩く。何気ない日常のありがたみ。
宮廷からは随分距離があるが、そこは首都の敷地内のことだ、多くの店舗が安息日だというのにせっせと商売に勤しんでいた。商人たちの呼び声がひっきりなしに飛び交い、軒先に置かれた惣菜や食料からは香ばしい匂いが立ち上り、服飾品や児童向けの知育玩具といった雑貨の数々が所狭しと並んでいる。
質素だが首都の中でも一際活気ある、西の街区の名物商店街。その顔触れも相変わらずだ。
「よう、アリル。久しぶりだな」
「あらホント。ご無沙汰ね」
軒先に出ていた仕立屋の夫婦が同時に話しかけてくる。無言で会釈を返す。
「お前さん、またそこいらぶらついてやがるのか。昼日中から大層なご身分だな」
乾物屋の旦那が皮肉混じりに言ってきた。返事代わりにポロンと竪琴を掻き鳴らす。
「おいおいここで弾くのかよ、よせよせ」
拳骨を振り上げる乾物屋。芸術の素晴らしさを解さない蛮人め。フンと鼻息を洩らし、更に足を進める。
「なんだ顔色悪いぞ、少し疲れてんじゃねえか」
と、終いには公園の黄ばんだ長椅子に寝そべっていた知り合いの親父に、様々な果実の絞り汁をお裾分けしてもらった。
「美味いな、これ」
「だろ? 今日は特別ただで飲ませてやるよ。次からは金払えよ」
そうはいうが一度として金を払った例がないし、親父もそれ以上は請求してこない。まあ今ここで支払わなくても、俺の推薦で宮廷の者が定期的に色々買いつけているから、一杯くらいの奢りなんざ親父には痛くも痒くもないだろう。さすがにそういった事実は当人には打ち明けていないけれども。
そんなことをしたら、世間に俺の正体がバレちまうからな。
海岸に程近い青果屋の前では、これまた顔見知りの女主人が道行く人に宣伝文句を捲し立てていた。
「いらっしゃい、今日は海ぶどうが安いよ! きれいな海で育った取れ立てだよ、さあさあ買った買った……おやまあ、アリルじゃないの」
「こんちは、おばさん。相変わらず精が出るな」
「まァね、あたしがやらにゃ誰も手伝ってくれないからねェ。あんた代わりにやってくれる?」
「無理無理」
「だよねェ。訊いたあたしがバカだったよ」
なら訊くなよ。
「でもま、簡単な客寄せならやってもいいぜ。ほら、こいつで」
そう言って竪琴を構える。最初の弦に指をかけようとした矢先、おばさんはギャッと一声叫んで俺に詰め寄った。
「いやいや、弾かなくていいから。頼むからよしてちょうだい」
「なんだよ。遠慮しなくていいのに」
「そうじゃないよ。客寄せどころか、あんたが演奏始めた日にゃ皆逃げちまうよ。商売になんないの」
いやなこと言うなあ。これでも結構練習はしてきたんだ。指の皮が剥けたことも過去にはあったんだぞ。
「前奏ぐらい弾いてもいいだろ」
「やめとくれよ、後生だから。どうしても弾きたいってんなら、海岸に出てやっとくれ」
「判った。じゃあ竪琴はやめて歌にしよう」
「だ、駄目駄目駄目。絶対駄目!」
これも猛反対された。身の危険を感じたのか、おばさんの巨躯がブルッと震えたような。
「あんたの書いた歌詞は過激すぎるんだよ。完ッ全に公序良俗に反してんの。役人に見つかったらどやされちまうよ。せめて出来合いの詩にしとくれ」
それは俺の流儀に反する。俺は自作の詩歌しか詠む気がしない。曲のほうは別に誰のでも構わないが、詩となると話は別。既存の詩になど興味はない。
「仕方ないな。じゃあリンゴ二つくれ」
「はいはい毎度」
一転して満面の笑みで売り場に戻っていくおばさん。代金を払い、美味そうに照り輝く二つの実を裸のまま両懐に収める。
「今日もいい服着てるね、あんた」
「え?」
正装のあった戸棚から適当に引っ張り出した私服なんだが、そうなのか?
「そりゃ一目見りゃ判るさ。高級な布地だもの。仕立屋の二人も口を揃えて、アリルはいつもいい服着てるって。まるで宮廷の人間みたいだよ」
うーん、そうだったのか。
「そういやアリルって名前も、どこかしら異国っぽい響きだよな」
戸口にいた青果屋の常連客が口を挟む。
「確かにね。聞き慣れない名前だ。どうも謎めいてるよ」
「実はどこか他所の国から来た、没落貴族か何かじゃないのか? なあアリル」
「な、なんだよ好き勝手言いやがって。じゃあな」
俺は身を隠すように慌てて立ち去った。
こりゃどこでボロが出てくるか知れたもんじゃない。服装にももう少し気を配ったほうがよさそうだ。
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