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『三重に偉大な議長の優雅な生活』第26話

2 神官長


「珍しいこともあるもんだ」

 例によって〈円卓の間〉の外でピートに話しかけられた。

「何が」
「天下の議長が、外務大臣のことであんなムキになるなんてさ」
「まあな。てか、そんなにおかしかったか?」
「嫌いな御仁がいないんだから、むしろ小躍りして喜ぶかと思いきや。あの反応には正直驚いたわ、なあフィオ」
「そうだね。他の皆も不思議がってたよ」

 怒りが募るのも当然だ。ジールセンを難詰できる機会をふいにされたわけだからな。ただ、実際に証拠を挙げろと言われたら、俺の裏の顔、というより裏の仮面か、そっちもついでに暴露しなきゃならんから、そう簡単に事は運ばないだろうが。

「大したことじゃない。ちょいと牽制しときたかったんでな」
「牽制?」
「妙な真似をされないようにな」
「なんだそれ。そんな予兆あるのか?」
「あるといえばあるし、ないといえばない」
「なんだよそれ」

 呆れ顔のピート。隣のフィオも眉根を寄せて、

「確かに最近の外務相は出張続きだけど、別段おかしい点はないんじゃないの?」
「フィオ、お前はそうやって上辺だけで物事を判断する癖がある。あまりいい傾向とはいえないな」
「そうかな」
「お前さんが言っても説得力ないってさ、天下の評議会議長殿」

 ピートに肩を叩かれ、耳許でそう囁かれた。

「このピート様が、議長殿の本心を言い当ててやるよ。オウムのディーゴが籠をぶち壊して、ご機嫌斜めなんだろ」

 なんの話だ? ディーゴが?

「何言ってんだお前。ディーゴは今日も籠の中で大人しくしてたぞ。たまーにリアートリアートやかましいが」
「なんだリアートって。人名?」
「知らん」
「でも籠が壊れかけてるんだよね。いい加減新調したほうがいいんじゃないの」

 どうしてこの二人が鳥籠のことを。
 直ちに唯一の可能性に思い至る。

「さては内部告発か。とすれば、第二秘書の告げ口だな。あんにゃろー」
「おっとドルクを責めるなよ。浮かない顔をしてたんで、つい親心でな」
「寄ってたかって質問攻めか。職権濫用だ」

 やれやれ。天下の評議会議員二人に詰め寄られたら、誰だって口を割るに決まってる。それにあいつは常日頃からああいう顔なんだよ。最後にドルクの晴れ晴れした顔を見たのは、何ヶ月前いや何年前のことだろうか。

「悪いが、お前らの予想は外れだ。真紅のディーゴは今日も今日とて美味そうにヒマワリの種をついばんでるだろうよ」
「相変わらずごくを潰してるわけだ」
「どんどん飼い主に似てきてるね」
「うるせえ。今日はな、これからあの神官長猊下のクソジジイと会わなきゃなんねーんだ。それでイラついてんだよ、判ったか」
「猊下のジジイって、まあひどい呼び名だな」
「自分は聞かなかったことにしておくよ」
「ドルクかお前は」

 神官長は猊下でありジジイでもある。その二つは論理的に両立可能、なんら矛盾はない。そう言ってやった。

「矛盾はないけど、とんだ問題発言だよ」
「ただ、そこがあんたの面白いところでもあるんだがね、ライア議長」
「なんだそりゃ。お前ら俺を面白がってんのか」
「そうだよ」フィオは真顔で言った。「今頃気づいたの?」
「それ以外に、あんたの側に与する理由なんかないっての、なあフィオ」
「全くだよ」

 お、お前らなあ。

「面と向かってそういうこと言うか?」
「心外だな。天下の神官長猊下をジジイ呼ばわりする人にそんなふうに言われるとは」
「それとこれとは話が」
「おいそこの議員と思しき三人よ今ジジイがどうとか言っとらんかったか儂の耳にはそう聞こえたんじゃが一体全体誰がジジイとな?」

 あらぬ方向からの年季が入った掠れ声に、俺たち三人はぎょっと身を竦めた。ゆっくりと声の主に顔を向ける。
 果たして想像通りの御仁の姿がそこにあった。

「こ、これはこれは神官長猊下」
「ご機嫌麗しゅう」
「ご壮健そうで何よりです、はははは」

 条件反射でおためごかしを口にする。返事は未だない。

「はははははは」
「はははははは」
「はははははは」

 間隙を埋めるべく愛想笑いに興じる三名の議員に、相手は尚も沈黙したまま。

「…………」
「はははは……」
「ははは……」
「はは……」

 乾いた笑いが途切れたところで咳払いが響いた。
 始まる。神官長の長広舌が。

「応接間で待っておったのじゃがいつまで経っても来ないのでなわざわざこちらから迎えに来てやったわい文部大臣に労働大臣そちらも会合に参加するのかえ予定には入っとらんが密談ではないから大いに歓迎するぞよ大歓迎じゃて」

 金糸にて文様が施された絢爛たる蒼の僧服に、不必要な装飾だらけの黒の帽子。その下の年齢相応に皺の寄った相貌は、真綿のような眉毛と他者を睨め殺すような細い眼が実に対照的だった。

「いえいえ、とんでもない」
「では、僕らはこれで」
「ご機嫌よう」

 格式張ったお辞儀をして早々に立ち去るピートとフィオ。

「あ、おい」

 くそっ、逃げやがったな。何故にジジイのお守りを俺独りでせにゃならんのだ。

「それはさておきライア議長そちら何を話しとったんじゃ誰がジジイじゃと?」
「い、いえいえ、なんでもないですよ」

 言ったのは俺じゃなくてピートなのに。何故に俺が尻拭いせにゃならんのだ!

「ジジイとは心外じゃて見てみい儂の足腰はまだまだ現役じゃぞなんなら〈雷霆らいていと狩猟の神〉のお住み遊ばす天に聳える霊峰にこの足で登ってやってもよいぞ」

 なんならその雷霆神の掲げ持つ稲妻に、脳天から撃たれちまえばいいのに。それが無理なら、せめてその雷撃の三万分の一ほどの細い稲光で、じいさんのうるさすぎる唇を縫いつけてくれたらなあ。

「さっすが猊下、お若いことで。はは、はははは」
「相変わらず言葉にも態度にも誠意が感じられぬことよ一体そちのどこをマリミは気に入ったのやら近頃の若き女子の考えはよう判らんて」

 姫君同様この神官長も苦手だが、姫君以上に取っつきにくいところがあり、とにかく俺はこのジジイと会うのがいやでいやでしょうがなかった。年を重ねすぎて老獪ろうかいさが滲み出ているのだ。ここは当たり障りのない話題を提供して、深入りを避けるに限る。

「姫君はお元気ですか? 最近ふっつり見かけなくなったんですが」

 ありがたいことに、という言辞は大問題に発展しかねないので黙っておいた。

「あれかあれはなんでも大音楽祭に参加するとかでずっと笛の練習をしとるんじゃ笛と言っても縦笛ではないぞよ横笛じゃまああれは大抵の楽器をこなせるからどちらでも関係ないがなそれにしても伎芸に秀でとるところなんかは儂にそっくりじゃ儂も若かりし頃は朗々たる美声で鳴らしとったからな失われて久しい伝説の位階たる〈歌姫うたひめ〉に女性のみという条件がなければ必ずや儂が選ばれとったじゃろうてさすがに男子に姫では不都合じゃから何かしら違う名前を設けたじゃろうがな何せ幼少時の儂は神官団の聖歌班におったし高音部の一番手で朗々たる美声で鳴らしとって……」
「……はあ」

 よくまあ舌を噛まないで、こうも続けざまに喋れるものだ。
 案の定始まった自慢話を聞き流しつつ、姫君の本腰の入れように俺は内心呆れていた。それでここ数日姿を見せなかったのか。なんとしてでもサーシャに勝ちたいらしい。音楽に勝ち負けなんざ不要だってのに。負けん気の強いお嬢さんだ。

「……いやじゃがしかしマリミの場合は練習というより猛特訓と言ったほうがよいな寝食を忘れて打ち込んどる元々横笛の心得があるからそんなに練習せんでもいいはずなんじゃが何を考えとるのやら儂には若き女子の考えはよう判らん判らんて」

 横笛の技術で一回り年下の小娘を打ち負かそうという、なんとも幼稚なことを考えてんですよ。あんたとこのお嬢さんは。
 心中大いに毒づき、その代替として冷ややかな溜め息を細々と吐いた。



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