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『三重に偉大な議長の優雅な生活』第21話
第6章 謎多き一騎当千の仮面公、最大の危機
1 老人と雨と
その日は朝から重苦しい雲の垂れ込める、どうにもすっきりしない一日だったが、いよいよ天の水嵩が限界に達したのか、日没に至り遠慮がちに雨が降り出し、次第に雨脚を強くしていった。
しかしながら、この程度の雨量なら中止も順延もしないのが、仲間うちでの暗黙の了解事項だった。暴風雨で道路が封鎖とか、それに類する非常時でなければ。
でもなあ。雨の日の鉄仮面は最悪なんだよ。
そんなことを考えながら、うら寂しい物置小屋に傘を差してやって来ると、なんと先客がいた。
褐色の肌のか弱い小娘、ではない。今度は老人である。
「これはこれは、失礼いたした。ここはお主の住まいであったか。来意も告げず転がり込んでしもうて、大変申し訳ない」
こんな小汚い場所に人が住めるわけないだろうが。言い返そうとした俺は、相手の様子を見て言葉を呑み込んだ。
置物のように胡座をかいて座る小柄なじいさんは、顔こそこっちを向いていたが、ずっと両瞼を下ろしたまま。寄り添うように肩口に立てかけてある長い棒は、杖に違いない。
眼が見えないのか。
「じいさん、あんた眼が」
「うむ。若い時分に色々と下らんものを見過ぎたようでの。すっかり眼の玉が萎えてしもうたわ。盲いの神にでも魅入られたのだろうて」
じいさんはフォッフォッと自嘲気味に嗤った。
水気を吸って重たげなみずぼらしい外衣に、すっかり禿げ上がった頭頂部。豪華な僧衣に帽子を被って禿頭を隠している、往生際の悪い神官長に見せてやりたいものだ。
「すまぬの。雨がやんだら出て行くでの、それまでここにいさせてくれぬか」
雨宿りだったのか。
「いや、別に朝まで休んでていいぜ。俺もう出るし」
眼が不自由なら、ここで仮面を着けても問題なかろう。俺は老人の前を堂々と通り過ぎ、抽斗から鉄仮面を取り出して被った。
宮廷での覗き魔騒動ののち、仮面は俺自身の手でとうに回収済みだった。第一秘書が命名した〈覗き魔〉の呼称はどうにかしてほしかったが、俺の口からはなんとも言えない。
「お主、なかなか面白いものを持っておるのう」
「えっ?」
出し抜けにそんなことを言われ、ドキリとした。
このじいさん、見えているのか?
「おいおいじいさん、冗談きついぜ」
眼が見えないってのはハッタリか?
「いや、言い方が悪かったかの。物の形は判らぬが、儂は視覚を失った代わりに、通常は眼に留まらぬ、人の持つ〈運気〉が見えるのだ」
「運気?」
「お主が声を発している辺りに、面白い気脈が漂うておるのでな。つい口を滑らせてしもうた」
運気も気脈も与り知らないが、声の付近となるとやはり鉄仮面のことだろうか。
「口許、いやさ口というより、もっと横側の、そう、耳ぞな。顔の横の双つところに、夥しい運気が流れ込んでおるわい。過剰なほどの気脈がの」
言っている意味がよく判らない。まさか、霊感の名を冠した詐欺の類じゃあるまいな。
「悪いけど、俺そういうの興味ないんで」
これ以上ここに用はない。んじゃ、と声をかけそそくさと物置を離れる。
去り際にもじいさんは、
「興味がないとな。そうかそうか、興味がないか、フォッフォッフォッ」
身じろぎ一つせず、ただただ謎めいた笑いを発するばかりだった。
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