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『三重に偉大な議長の優雅な生活』第22話
2 雨の隠れ家
「ヌリストラァドだ」
「〈伎芸と宝玉の女神〉のやんごとない秘密は?」
「秘密などなし。女神の奏でる竪琴の前に、凡ては拓かれている」
「時に今日の天候は?」
「凡夫の愚問に等しい。俺は今地上の楽園を彩る芸術の話をしてるんだ」
「今日の天気は?」
「繰り返すな。オウムかお前は」
「真紅のディーゴはなんと啼く?」
「ディーゴは啼かず。ただ歌うのみ」
扉の向こうで鍵を外す音。屋内へ入り込む。
「全員来てるか?」
「ええ、ところで仮面公」見張り役が不満げに口を開く。「今度の合言葉、もうちょっとどうにかなりませんかね。質問多すぎて面倒なんですが」
「敢えて冗長性を持たせてるんだ。こういうやり取りは複雑なほうが確実性が高い」
「はあ。ですが、あんまり意味ないような」
「口答えするな。もう決まったことだ。再来月の集会までこれでいく」
「はあ、すいません」
部屋に到着。どことなく空気が澱んでいる。
俺を見る一同の眼も昏いし、挨拶の声もやや重苦しい。屋根を打つ雨音のせいだけではなさそうだ。俺は雨に濡れた仮面を丹念に拭い、暖炉で傘と上衣を乾かした。
「実は」俺が来るのを待っていたように、参謀は早速切り出した。「仮面公がお出でになる前に話し合っていたんですが、今回の侵入に関して、まだ踏ん切りがつかない者がおります。何人か」
「伝染っちまったのさ、参謀お得意の心配症が」デルベラスの揶揄。「もう充分対策は練っただろうに。今になって臆病風に吹かれやがって。大量の武器を手に入れる、またとない好機じゃねえか」
「そうじゃない」抗するは急先鋒ガルンシュ。「今度の相手は、これまでの金持ち連中とは訳が違う。武器の密輸組織だ。いいか、武器だぞ? 攻撃力の差は歴然としている。何より天候が悪すぎる。そうでしょう、仮面公の旦那?」
「こんな雨如きで甘ったれるな、斥候」イプフィスが噛みついた。「大体、ベヒオットはこの雨の中、傘も差さないで来たんだ。悪い条件下での戦いに少しでも慣れようと」
見ると、戸口脇の定位置に寄りかかって立つベヒオットは、濡れた全身を乾かそうともしていない。足下にはちょっとした水溜まりさえできている。
戦闘の準備に余念がないのは結構だが、風邪ひいても知らんぞ。季節の変わり目の風邪は意外と長引く。外務大臣にどやされるまでもなく、身を以て体験したことだからな。
「密輸組織の根城は、役人どもの詰め所に近いんだ」続いて口を切ったのは、あの名前も思い出せない優男。「運良く野垂れ死にを免れたとしても、役人に捕まっちまったら意味ないぜ。俺たちゃ前科もあるし、牢獄へまっしぐらだ」
「ああ、確かにあの独房に幽閉されるのはご免だな。ただ、歌声なんか相当気持ち良く壁に響きそうだが」
俺がつい口を滑らせると、早速誰かが突っかかってきた。
「え、行ったことあるんですかい、旦那?」
「あ、いや、うん、まあな」
「ひょっとして、こないだ宮廷に仮面公が現れたって話、あれまさか事実なんですか?」
「お、おうとも」
おおーっと賞賛の声が上がった。
「さすが首領! そうやっていけ好かねえ議員どもを煙に巻いてのけたんですね」
「にしたって、独りで乗り込むなんざ無茶ですぜ」
「いやいや、大したお方だ。俺たちとは格が違うのさ」
変なところで感心され、俺は仮面の下で溜め息を吐いた。こんな実のないやり取りは早いとこ終わらせよう。
「ここはお上の評議会に倣い、多数決で決めようじゃないか」
俺の提案に異論を挟む者はいなかった。
「密輸組織への襲撃に賛成の者は挙手してくれ」
手を挙げたのは全部で十二名。〈斥候のガル〉ことガルンシュと、渾名どころか本名も知れぬ優男の二人だけが、腕を組みむっつり黙り込んでいる。
「裁定はここに下った。賛成多数により本案は可決とする」
よしよし、と顔を綻ばせる者多数。反対派の二人は未だ不服そうだが。
「議題は尽きた。これにて三重に偉大なる議会を解散する」
思わず口を衝いて出た結びの言葉に、同志らは一斉に眉を顰めた。
「仮面公、なんですか今の」
「三重に偉大な、議会?」
俺は仮面の後頭部に手をやり、あ、いやなんでもない、と返すのが精一杯だった。
「なんつーか、えらく本格的でしたね」
「ま、まあな」
努めて平静を装ったものの、仮面に隠れた顔色は蒼白か紅潮か。どのみちまともな状態ではなかったろう。
「そうと決まれば、出かける準備だ」
「おうとも!」
「合点だ!」
「お前たちも自分の任務は怠るなよ」
ノヴェイヨンの高圧的な言葉が飛ぶ。
「判ってるよ」拗ねた様子で肩を聳やかすガルンシュ。「俺だって殺されたくはない。きっちり仕事はやってやるさ」
古の将軍曰く、賽は投げられたというやつだ。今までにない死闘の予感が犇々と頬を打つが、ここにいるのは歴戦の猛者ばかり。悪天候もなんのそのだ。まあどうにかなるだろう。
装う必要もないほどに心の平静を取り戻した俺は、仮面の奥で暢気に口笛を吹く素振りをした。それに気づく者は当然皆無だったのだけれど。
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