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『三重に偉大な議長の優雅な生活』第32話
3 〈そよ風と光輝の広場〉での特筆すべき光景
光の中へ飛び込む。
一瞬ののちに眼は慣れ、大理石製の広大な舞台の全容と、その下に広がる〈そよ風と光輝の広場〉を埋め尽くす聴衆のざわめきを、俺は五感で感じ取った。
真っ先に視界に飛び込んできたのは、聴衆の側を向いて屹立する、俺の二倍はあろうかという最高神の木像だった。噂には聞いていたが、こんなにでかいのか。
神官長がべた褒めしていた三叉戟はここからだと見えないが、頭上に戴いた縦長の王冠は頭三つ分の長さがあった。現実問題としてあんなのを被ったら、間違いなく頸の骨が折れちまう。護民卿が作らせ、重すぎるという理由で玉座の真上に天井から吊されたという豪奢な王冠でさえ、あんなに大きくはなかったはずだ。確かに神官長が自慢するのも頷ける、贅を尽くした逸品だった。
もっとも、家の中にも置けないこんな立像、誰も欲しがらないだろうがな。
「ようやくお出ましね」
声がした。視線を移す。
首筋に刃を突きつけられ、呆然と立ち尽くす外務大臣ジールセン。
その剣を握るのは軍部大臣ゴルバン。
傍らには俺に声をかけてきた、公安大臣エトリア。
ほかの議員やお偉い方は、むろん神官連中も、全員舞台の脇に集められ、件の私兵たちに見張られている。チェリオーネの姿も見える。こっちの秘書にケガはなさそうだ。ドルクだけ刺されたのは、真に運が悪かったというほかない。ここにいれば痛い目に遭わずに済んだのに。とはいえ、そうでなければ俺は庭園の場所を知りえなかったのだから、あれは名誉の負傷というべきか。
その傍ら。
楽器を手にした二十の三倍を超える集まりの中に、怯えた様子で銀の横笛を抱き締めるサーシャの姿を認め、俺は安堵した。果たして演奏前か、それとももう終わってしまった後なのかは定かでなかったが、ともかく無事で何よりだった。
さて、問題はこの状況をどう打開するかだ。俺にとって大変思わしくない状態であることは疑いを容れない。
「ライア!」
姫君に名を呼ばれた。
今一度高官連中に眼をやると、こちらは透明な横笛を脇の侍女に持たせたマリミ姫が最前列に見えた。こんなときに指摘するのもなんだが、笛ぐらい自分で持てよ。
「黙れ」
私兵の一員に剣で脅され、姫君は一歩後退ったが、その反抗的な態度は大したものだ。俺は本気で感心した。肝っ玉の太さは神官一族の中でも筆頭格だろうな。なるべく身を隠そうと項垂れているくせに、丈高い帽子のせいで所在が瞭然な臆病者の神官長が益々惨めに見える。
そんなことを考えながらも、眼を凝らして具に観察を試みたが、この一帯にお目当ての姿を見つけ出すことは結局できなかった。
「まだ来てない、か」
「ん、誰のこと?」
公安大臣に問われたが、それには答えず舞台下の広場に眼を移す。まあサーシャの身の安全が確認できただけでもよしとしよう。
間違いなく、この空中庭園は武力政変の渦中にあった。がしかし、政変という言葉から連想するような、乱れ飛ぶ怒号や暴動とは縁遠い状況でもあった。
およそ建物の二階分ほどの高低差がある、下の広場に居並ぶ大勢の聴衆からも、はっきりした不満や反対の声は聞こえてこない。打ち続くこの手の政変に慣れてしまったのか。
あるいは、考えたくないが、
俺ってそんなに人気ないのか?
「感想はどう、議長? 小知恵が働くあなたのことだから、この外務大臣を首謀者と思っていたのではなくて?」
身動きの取れないジールセンが、くっと呻いて握った拳を震わせた。
「軍部大臣とこのわたしが、真の首謀者だったのよ」
そう言われても、さほど驚きはない。
「んー、まあ、ジールセンが黒幕じゃないのは薄々気づいてたけどなあ」
「本当かしら。あなたお得意の強がりではなくて?」
先の会議で外務相の不在を追及した俺を、エトリアとゴルバンが諫めたところからして既に怪しかった。あれは密輸組織の再編に大わらわのジールセンを、会議に出席させまいという助け船だ。エトリアが密輸組織の捜査に乗り気でなかった点も、そんな推理の補強材料になっていた。
「何故そう思ったの?」
「ジールセンってほら、策士とか陰謀家って感じじゃないだろ」
声を立てて笑い出す公安相。
「あなたってほんと面白い人ね、ライア。昔からそうだわ。適当で無神経で会議が大嫌いで。こんなにも議長に相応しくない人間、国中探したっていないわ。そのくせ自らの保身に関しては人一倍勘が鋭くて、するりと窮地を抜け出すのよ」
そういうことをほかの連中ならいざ知らず、サーシャの前で言うか。俺は、本当なら今頃優雅なあるいは賑やかな調べを奏でていたはずの楽師たちを一瞥した。が、ここからじゃ少女の様子は窺い知れない。まさかこんな形で本業をバラされることになるとは。心外だよ全く。
「でも、今度ばかりはどうかしら。もう逃げ道はないわ」
背後に立つ数人の私兵。俺はすぐに向き直ると、
「逃げるつもりなど毛頭ない。そんなことより、これは一体なんの真似だ! エトリア、ゴルバン」
体裁を繕うべく大袈裟に手を広げてみせ、見得を切った。
「我ら評議会を裏切るのみならず、仲間のジールセンまで手にかけるとは! 言語道断、眼に余る毒婦の所業であるぞ!」
「あら、本当はあなたを殺害する予定だったのよ」
「何を?」
心中の狼狽を隠し、俺は言い返した。
「彼は言わば身代わり」
「身代わり?」
ははーん、そういうことか。
「この政変を多数の眼に灼きつけるために、見せしめが必要だったわけだな。ジールセンも憐れな奴だ。散々利用されて、終いには剣まで突きつけられて」
「安心して。彼は殺さないわ」妖艶に微笑むエトリア。「殺害されるに相応しい現政府の象徴が、こうしてのこのこやってきたんだもの」
「笑えない冗談だな」
「冗談ではなくてよ。彼は殺すには惜しい人材だわ。一時はどうなるかと思った密輸組織再編の手際も目覚ましく、しっかり今日という日に間に合わせてくれた」
「そりゃ口先だけの財務相より、よっぽど使い勝手があるわな」
なんやと、という声が聞こえた気がしたが、そっちには見向きもしなかった。
「とにかくだ、これだって恥ずべき裏切り行為であることに変わりはない」ここは断固として言い切らねばならない。「しかもそれだけじゃないぞ。我らが築き上げた共和制の灯火を吹き消し、民の声まで無視するのか?」
「強き者に従う、それが民衆よ。ご覧なさい」
促され、舞台先の広場を眺め渡す。
集まった聴衆を取り囲んでいるのは、あろうことか我が国の鎧を纏った衛兵たちではないか。きっと軍部大臣ゴルバンの配下だろう。
「おお……」
俺は少し安心した。
議長の人気云々じゃなくて、武力で言論を封殺しているだけだと判明したからだ。うん、そういうことならしょうがない。誰だって痛い思いをしてまで、声高に叫びたくはないもんな。俺の人気もまだまだ健在なわけだ。これも日頃の善行の賜物かしら。
にしても、こんな非常時でさえ評判が気になるのか俺は。なんとまあ因果な仕事だよ。
「エトリア、お前は現状にどんな不満があるんだ?」
少し元気が戻ってきた。気を取り直し、重ねて問う。
「かつて護民卿は外来の言葉を用いて、こういった武力蜂起のことを〈クーデター〉と呼んでいたそうよ。なんでも〈国家への一撃〉という意味だとか。いい響きだわ、国家への一撃。フフフ」
舞台を我が物顔で闊歩しながら、公安相は口を開いた。現状の不満とは関係なさそうだが、それの意図するところは何か。言葉の続きを待つ。
「議長、あなた、護民卿の最期をご存知?」
「当たり前だ」俺は言い切った。「自分たちの手で打倒した敵の末路を、知らないはずがなかろう」
「珍しい。あなたにしては上出来ね」
「いちいちうるせえな。護民卿はこれ以上の抵抗は無駄と諦め、自害したんだ」
「そうよ。彼は、家族に危害が及ぶのを恐れて、孤独の中死んでいったのよ」
「家族?」
護民卿に家族なんていたのか? そんなこと初耳だぞ。
……それがエトリアの、現状への不満。
まさか。
「まさかエトリア、お前」
護民卿の。
「そう。わたしは護民卿の一人娘」
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