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『三重に偉大な議長の優雅な生活』第20話

4 最悪の邂逅


 その後、サーシャは青果屋の一室を借り、おばさんの仕事を手助けしながらこの土地で暮らし始めた。
 衣料品代を浮かそうとチェリオーネの部屋から拝借する作戦は、一週間前に失敗している。衣服は自分で買い揃えてもらうしかないが、事前に俺が渡した金もあるから困窮はしないだろう。
 それからというもの、休日や今日みたく半休が取れたときは、こうして顔を合わせ楽器の練習をするのが専らの習慣になっていた。竪琴はもちろんのこと、宮廷からこっそりくすねてきた横笛もさっき見た限りじゃすっかり板についてきたし、胡弓も来週には弾きこなせるようになるだろう。そのうち提琴ていきんでも渡してやるか。あれは俺も弾いたことがないものの、この娘がどう料理するのか物凄く興味がある。

「さて、そろそろ帰るか」

 こっくり頷くサーシャ。楽しいひとときってやつは、全くもって過ぎるのが速い。古の俚諺に曰く、ええっとなんだっけな、まあいい忘れた。
 思い出せないのは、それくらい瑣末なことだからだ。そうに決まってる。忘れちまったものを無理に思い出そうとするのは、むしろ自然の摂理に反する。
 俺の記憶が不確かなわけでは決してない。決して。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 普段は宮廷へ向かう途中の分かれ道でサーシャと別れるが、今日は楽器を運ぶ都合上、青果屋の前まで胡弓を担いで同行することになった。つまり、いつもの商店街を横切らねばならないわけだ。あー気が重い。

「よお、アリル。まだ四の月だぜ」

 年配の知人に話しかけられたが、その心は判っている。無視だ無視。

「まあ随分とお熱いこって。もう夏かねえ」

 うるせえ。

「アリル、今日もサーシャちゃんと逢引きかい?」

 別の商人。今日じゃねえよ。

「楽器にしか興味ないと思ってたのに、あんたもやるもんだねえ」
「どうやって口説いたのか、今度教えてくれよ」

 …………。

「サーシャちゃん、今日は普通の服だね。前着てたあの変わった服、あれどこの仕立てだい?」
「そういや最近は、アリルも今どきのまともな服が多いよな」
「ほんとほんと。ちょっと前まで貴族みたいな服ばっか好んで着てたのに」
「彼女ができたせいで、服の趣味まで変わったのかねえ」

 あー蹴りの一つでも入れてやりてえ。
 街の連中の冷やかしぶりには毎度のことながら苛立ちが募る。こっちの事情もお構いなしに言いたい放題。俺たちを茶化す暇があったら商売に精を出しやがれってんだ。

「サーシャ」

 足早に商店街を過ぎ、野暮な連中の追及をかわしきったところで、俺は懐から一通の封書を取り出して手渡した。

「それ招待状。失くすなよ」

 お前は強制参加だから、と常々言い聞かせていた大音楽祭の招待状である。
 参加希望者自ら所定の手続きを踏むのが正式なやり方だが、サーシャの場合は素性が知れず門前払いを喰うおそれがある。そこでその辺の面倒を避けるべく、この切り札を持ってきたわけだ。
 ドルクが手配した大賢人宛の招待状と異なり、こっちは楽師としての参加を兼ねた特別招待状だ。不正と言われればそれまでだが、ほかの参加者と条件を同じくするためのものだから、バレたところで別段お咎めはないだろう。
 サーシャは立ち止まり、驚きに眼を見開いて封書と俺を交互に見据えた。意外な反応だ。もっと喜ぶかと思いきや。

「何驚いてんだよ」

 ああそうか。この娘は俺が議長なのを知らないんだった。
 どんなツテで入手したのか、不思議に思っているんだろう。サーシャの前では議長の身分を伏せ、天才楽師アリルで押し通していたから。
 あの夜脱いだ仮面の件は、俺からは何も言っていない。ちょっとした変装程度に思ってくれれば、それで充分だ。
 ところが、次なるサーシャの反応は俺の予想を大幅に超えていた。眼頭を押さえてしくしく泣きだしたのだ。

「お、おい、泣くなよ。泣くなって」

 なんなんだ、おい。よく判らないな、この娘の行動は。
 周りの眼が再び気になり始めたところで、後ろのほうが何やら騒々しくなってきた。
 肩越しに振り返る。
 けたたましいひづめの音。駆け寄ってくる馬の数は、一騎、二騎、全部で三騎。
 しかもその先頭を行く、縛った後ろ髪をなびかせたあの端麗な容姿は。
 マリミ姫じゃないか。

「なんてこった」

 大慌てで背を向ける。
 一瞬にして止めようのない動揺に襲われた。
 何故に姫君がここに? この時間のこの道、姫君は通らないはずだぞ。

「あ」

 思い出した。今頃になって。
 ドルクが言ってたな。姫君は、散歩の道順を変えた・・・・・・・・・んだった。

「どう、どう、止まれ!」

 姫君の命令が響く。俺とサーシャのすぐ後ろで。
 しまった。もう気づかれたか?
 ここで見つかるのはまずい。かなりまずい。議長として見つかるのは問題ないが、もし楽師の名をかたっていることが知れたら。
 楽器は取り上げられ、演奏もできなくなるだろう。下手をすれば、一生楽器を弾けなくなるかも。
 うわ、一生はきつい。きつすぎる。
 涙目のまま、背後に立ち塞がった騎馬をぽかんと見上げるサーシャ。しかし俺は振り向くことができない。
 どうする? どうすればいい?
 俺は袋から胡弓と楽譜を放り出し、その袋を。
 頭から被った。



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