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『三重に偉大な議長の優雅な生活』第24話
4 裏切りの代償
「そいつは官邸の増築やら何やらで相当な出費をしていたから、増税はむしろありがたい話のはずなんだ。国庫で賄えるからな。いわゆる横領ってやつだ」
「申し訳ありません。学が足りないのか、わたしにはなんのことやらさっぱり」
「聞き流してくれ。さっきも言ったろ、単なる無駄話だ。結果的に増税は利益をもたらすはずなのに、どうしてその議員は反対したか? それは税率が上がっちまうと、隣国からの武器の買い取りに支障を来す虞があるからだ。自分が裏でこっそり糸を引いていた、武器の密輸組織のな」
「…………」
「さて、無駄話は以上だ。続いて今回の件だが」
机を挟んだ反対側の長椅子にノヴェイヨンは腰を据えた。疲労の色濃い面差しだ。
「俺たちがここへ乗り込む計画は、どういうわけか先方に筒抜けだった。理由は一つ。計画を相手方に洩らした奴がいたんだ」
「我々の中に、裏切り者がいると」
「ああ」
俺は鉄仮面の頬に当たる部位に手をやり、頬杖を突いた。硬く冷たい感触が掌全体を刺激する。
「随分うまいことやってくれたじゃないか、ノヴェイヨン。さすが我が軍随一の智将、見事な手並だった」
拍手の代わりに組んだ脚の膝上を数回叩いてみせた。
相手の表情に変化はない。
「さっき扉に鍵をかけようとしたのも、外からの邪魔者を防ぎつつ、ゆっくり俺を片づけようと企んでたからだよな?」
「やれやれですな。これではどちらが智将だか判りません」
憑き物が落ちたような顔で、ノヴェイヨンは背凭れに反り返った。
「仮面公のご推理は拝聴させていただきましたが、証拠不充分と言わざるをえませんね」
「なんだ、もっと聞きたいのか。じゃあもう少し喋らせてもらうかな。ほら、お前のその剣、死地を潜り抜けたにしてはえらくきれいじゃないか。おおかた寸止めの峰打ちで倒れてくれるよう、ここの連中と打ち合わせていたんだろう。些かも鈍ってないその切れ味で、最後にちゃんと俺を斬り殺せるようにな」
「これでも、何箇所か刃毀れしているんですよ。あなたの真っ新の剣と交換してほしいものです」
「無傷で俺を帰してくれるなら、その条件呑んでやってもいいが」
「それは、応じかねます」
声に鋭利な刃物が宿っている。ようやく尻尾を見せるか。
隠す必要がなくなったのは、つまり本気で俺を殺そうというわけだ。
「フン、なら駄目だね」俺はわざと言葉尻に滑稽な感情を滲ませた。虚勢だが、こういう場面でこそ張る価値のある虚勢もある。「あーそうそう、いつだったか宮廷の食堂で、その問題議員とお前が一緒に歩いてるのを見物させてもらったっけか。あいにく俺には気づいてなかったようだが」
「食堂で?」
ノヴェイヨンが怪訝そうに呟く。
「まあ当然といえば当然か。あの中じゃあこんな仮面は被れないしな」
いや、実際はお前を見かける直前に被ってたけどな。覗き魔という極めて不名誉な称号と一緒に。
「畏れ入りました。仮面公、よもやあなたが、宮廷側の人間だったとは」
ノヴェイヨンの手が伸び、剣の柄を掴んだ。
フン、いよいよか。
「宮廷の人間であるあなたに、こんな義賊の仕事は相応しくありません」
悔しいが、剣術でノヴェイヨンに歯が立たないのは判っている。向こうもそう思っているのだろう。そこが余計腹立たしい。
「だから死んでもらおうってか。そんなんで納得できるか。ノヴェイヨン、お前何故に俺を殺そうとする」
「心当たりはありませんか」
「どうせ寄付金の横流しでもしてて、発覚するのが怖くなったんだろう」
「証拠は?」
「さっき俺が〈横領〉って言ったとき、一瞬まずいって顔になったぞ。自分じゃ気づいてないだろ?」
音もなく立ち上がるノヴェイヨン。と同時に、その後方の扉がこちらも無音のまま静かに開いた。
心中快哉を叫ぶ。時間稼ぎのお喋りが功を奏したのだ。
俺は手にした剣を勢いよく投げつけた。剣は回転しながらノヴェイヨンの横を通過して。
ベヒオットの掌中に渡った。
「! ベヒオット、貴様ッ!」
気づいたノヴェイヨンが慌てて身構える。
よりも早く、ベヒオットの剣は相手の胸板を深々と貫いていた。
「かはっ! ……がっ」
口から血を吐き、剣を取り落として膝を崩すノヴェイヨン。
ベヒオットが固く握り締めた柄を少しずつ放すと、ノヴェイヨンは長椅子に力なく倒れ込んだ。
苦痛に歪んだ顔は次第に表情を失っていき、完全に動かなくなった。
瞬時に状況を見極め、剣を受け取り、なおかつ心の臓を正確にひと突きか。怜悧にして激烈な腕前。さすが猛将。
事切れたかつての参謀に黙祷を捧げると、ベヒオットはノヴェイヨンが持っていた剣を掴み、俺に差し出した。
「これを」
受け取れ、というのか。
それよりも、ベヒオットの肉声を聞くのはいつ以来だろう。もしかしたら、これが初めてかもしれない。その堂々たる巨躯に似合わぬ、存外に優しい声。
ノヴェイヨンの剣は、柄の鍔に近い部分に文字が彫り込んであった。持ち主たる参謀自身の名前だ。金貨には書かなくても、武器にはしっかり書き込んでいたわけだ。この心配症め。
「よし、行くぞベヒ」
ノヴェイヨンのことは、敵の手にかかって死んだことにしておこう。事実を伝える意義はどこにもない。黒幕の議員と内通し、最終的には俺たちを裏切ったが、この男がいなければ今日の解放軍もまたなかったのだから。
「ところでお前、よく俺の居場所が判ったな」
「…………」
ベヒオットは沈黙で応じた。早くも元の無口な男に戻ったようだ。廊下の先に、だらしなく伸びている二人の敵兵とボロボロになった赤黒い刀が見えた。刀はベヒオットが使っていたものだろう。
「皆は無事か?」
「…………」
敵兵の所持品らしい手斧を拾い上げるベヒオット。その拍子に、背中に刺さったままの白い矢が眼前に現れた。
「その矢、早く抜いてやりたいんだが、今俺が抜いちゃまずいよな」
「…………」
もし生き延びたら、急いで手当てさせよう。その前に、どうにかしてここを脱出しないと。
物陰から出てきた新たな武装兵たち。槍に棍棒、流星槌を持つ者までいる。
そいつらに猛然と切り込むベヒオットを見て、この分ならあと十数人は倒せそうだな、と漠然と思った。今のベヒオットなら、最高神が不法者を打ち据えるときに用いる〈法と西風の三叉戟〉すら敢然と受け止めるかもしれない。
〈伝説の〉勇者殿も顔負けの武神が、今、俺のすぐ間近に降臨していた。
……大音楽祭まで、あと十三日。
むろん、この死屍累々たる戦地から、無事生還できればの話だが。
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