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『三重に偉大な議長の優雅な生活』第38話(最終話)

最終章 三重に偉大な議長と籠の中の真紅の英雄


1 会議の前の雑談の前の静けさ


「めんどくせえ」
「何をおっしゃるんですか。いいから眼を通しておいてください」

 会議直前の控えの間。
 中にいるのは俺とチェリオーネとディーゴのみ。
 今日こそ暫定予算を、ということで作成された見積書は記録的な分厚さだった。こんなもん速読の達人だって無理だぞ。前回流れた大音楽祭の代替日も、今日決めなきゃならんというのに。
 ちっとも進まない会議のツケが、今になってどっと押し寄せてきた形だ。

「サーシャさんのことも議題に盛り込まれてるんですからね」
「ん、ああ歌姫がどうのってやつか」

 一枚目の角で頬を掻きながら、興味なさげに欠伸を放つ。
 大音楽祭の一件でマリミ姫にすっかり気に入られたサーシャの身柄を、神官団が引き取ろうという話が持ち上がったのだ。横笛の勝負で追い出そうとした企てなど、姫君の脳裏にはもはや微塵も残っていないようだ。
 のみならず、長らく不在が続いた〈歌姫〉の座に、サーシャを据えようという計画が急浮上しているらしい。一族以外からの選出という異例の抜擢である。それだけ彼女を高く評価しているのは判るが、あまり気持ちのいい話ではない。
 事態は更に発展し、今ではサーシャが歌っていたあの唄を国歌に制定しようという動きまで起こっていた。
 いやいや冗談じゃない。音楽で政治を変えようというのならまだしも、これはその真逆だ。第一、あの唄は〈羊と真珠の島〉で歌い継がれてきたものじゃないか。これは伝統芸能の剽窃にほかならない。言語道断、虫がよすぎるわ。

「サーシャもサーシャだ。歌うのが好きだからって、連中の提案にえらく乗り気だそうじゃねーか」
「いいことじゃないですか。それとも島に返すおつもりですか?」
「いや、そうじゃねーけどさ」
「サーシャさんが乗り気なのは、議長のせいでもあるんですよ」
「俺が? どういうこった」
「神官団の一員になれば、当然この宮廷に住まうわけですから、必然的に議長とお会いできる機会が増えるとお考えなのでは。聞いた話では、とても議長に逢いたがってるそうですよ」
「ふーん、まあ俺も何かと忙しいからなあ。なんてったって評議会の議長だし」
「逢ってあげればいいじゃないですか。何を照れてるんです?」
「いちいちうるせーぞ」

 忙しいことに違いはない。今だって物凄く眠いし。暇さえあれば午睡でも取っておきたいところだ。
 真新しい真鍮製の鳥籠を見る。
 後頭部の先に小指の爪ほどの大きさをした昆虫が止まっていたが、熟睡中のディーゴはそれに気づかない。暢気なもんだ。完全な束縛さえ苦にしなければ、こんなにものんびりと生きていけるんだな。俺には一生真似のできない生活だ。

「冤罪のドルクは元気か?」
「診断書ぐらい見てください」

 困り顔の秘書官は一枚の紙片を取り出して、書類が山積した机の空いている箇所にそっと乗せた。

「お腹を斬られて元気な人なんていません。伝説の勇者様でもあるまいし」
「陰腹の忠臣ドルク、凶刃に斃れるとな」
「何適当なことおっしゃってるんですか。カゲバラってなんです?」
「遠い異国の言葉だとさ」
「独裁制時代の言葉ではないようですね」
「お前、当時の言語にも詳しいんだっけ」
「ドルクもです。そもそも語学は秘書の採用における必須事項だったと伺っておりますが」
「あ、そう。俺はそっち関係にはてんで疎くてね。落第者だし」

 溜め息ののち、チェリオーネは非難に満ちた眼つきで、

「落伍者でもなんでもいいですけど」
「そこまで言うか」
「病室に伏せっているドルクをからかうのはやめてほしいものですね。議長と違って、彼は生身の人間なんですから」
「どういう意味だ。俺と違うって」
「ご存知じゃないんですか? 先日のあの事件・・・・以来、議長が人々になんと呼ばれているか」

 知らない。

「陰口か?」
「我が国の民はそんなに悪質じゃありません。それこそ往来で大っぴらに言ってますよ。〈生き返った議長〉だの〈殺されても死なない議長〉だの」
「は? なんだそりゃ」

 生き返ったも何も、一度も死んでないだろう、俺。
 さては、あの騒ぎ・・・・の後広場に来た連中が、議長殺害の話を真に受けて変な噂を流しやがったな。

「陰口じゃないかもしれんが、ちっとも嬉しくないぞ。こないだの名裁判は早くも忘却の果てか。ひでえな」
「名裁判官ぶりを加味しての評価だと思われますが」
「だったら、もうちょい俺を崇めるというか、神格化してくれてもいいだろうが。お話の中の勇者どもだって、いっぺん死んだらお終いだろ? 少なくとも俺はその上を行ってるわけだし」
「ええ、この程度じゃ死なないと思って、空き瓶を投げてきたんでしょうね。この前も・・・・
「…………」

 連日〈公開処刑〉が行われている空中庭園は、弁当を持参した暇人や自ら伴奏を買って出る楽師たちで、観光名所のような賑わいを見せていた。
 多数の聴衆を前に恥じ入るばかりの公安大臣エトリアや、歌唱経験に乏しくろくに声も出ない軍部大臣ゴルバンに対し、意外にも外務大臣ジールセンの歌声は堂々たるものだと専らの評判だ。場内の掃除や区画整理にも積極的に参加し、新官邸のための資金を目下広場全体の維持費に回しているらしい。
 しかも、一度は己に剣を向けたゴルバンらに、歌うことの素晴らしさを常々説いているというのだから驚きだ。この男もまた、サーシャの唄にすっかり感化された一人なのだろう。
 そんな折、俺も一度だけ庭園に顔を出し、お手本として美声を披露しようとしたのだが、結局出だしの一部しか歌えなかった、なんてことがあった。近くにいた無礼な酔っ払いに、引っ込めーという蛮声と共に酒の空き瓶を投げつけられたのだ。俺の反射神経が研ぎ澄まされていなければ、危うく打撲傷を被るところだった。

「次の議題は禁酒法の制定にするか」
「〈プロウヒビション〉ですね」
「なんだそれ」
「議長が習いそびれた言語です。この場合は固有名詞としての用法がほとんどなので、定冠詞の〈ザ〉は不要かと」
「冠詞? なんだそりゃ」
「わたしに訊かないでください。第一、禁酒法は遠き別大陸で大昔に廃止された、天下の悪法ですよ。そうやって我が国を悪法だらけにして国内外に悪評を轟かせるおつもりですか」
「ふん、評判なんざどうでもいい」俺は開き直って、「結局何やったって悪い噂しか立たないんだ。損な役回りだよ。もうどうにでもなれってんだ」
「でしたら、わたしが民に成り代わって、新しく名づけて差し上げましょうか。〈天才楽師を気取る勘違い議長〉とか〈夜盗の片棒を担ぐ救いようのない議長〉とか、いくらでも思いつきますが?」
「いや、チェリオーネ、そりゃお前」
「もっと気の利いたものがお望みなら、〈女性ものの服を盗もうとしたいやらしい議長〉も付け加えましょうか、三倍破廉恥な議長どの?」
「うぬぬ」

 言い返せない。くっそーなんて秘書だ。情け容赦の欠片もありゃしない。
 ああドルク、どんなひどいケガなのか知らんが、早く治して戻ってきてくれ。こんなに嫌味を言われ続けたら、気が滅入るどころか躰まで壊しちまいそうだ。

「道楽に興じるのも結構ですが」

 第一秘書の声は、凍傷を起こしそうなほど冷たい。こいつがひとたび歌えば、この肥沃な地は北の果て同様永久凍土と化してしまうだろう。神も伝説の英雄も嘘臭いが、〈夜と魔の国〉の魔術師だけは、ここに実在したのだ!

「今後はこれまでみたいな身勝手な真似は控えてもらいますよ。大体ですね、ドルクは祭礼に出席しなかった議長を捜している最中に、敵に襲われたんです。わたしだって神官長猊下に大目玉を喰らって長々と……」

 恒例の説教が始まった。もはや日課だ。ネタには当分困らないだろうし。淀みなく出てくる秘書の文句に、俺は神官長の姿を重ね合わせてぞっとした。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 真実は凡て白日の下に晒され、天才楽師アリルも仮面公ヌリストラァドも、この先姿を見せることはなさそうだ。仮面は回収され、解放軍の面々は人手不足だった消防団に編入されることとなった。
 ただ、元解放軍の矜持きょうじからか、正規の官吏としてではなく〈疾風と怒濤の紅翼消防隊〉なる遊軍としての参加ではあった。

「……サーシャさんの件だってそうです。どうして最初からわたしなりドルクなりに相談してくださらなかったんですか。寝室や食べ物なら喜んで提供しましたのに」
「お前がそんなことに協力するとは思えないんだよなあ」
「何をおっしゃるんです水臭い。人助けじゃありませんか。わたしを〈夜と魔の国〉の魔術師か何かだと思ってるんですか?」

 その通りだ。第一秘書の自己分析は完璧だった。
 こりゃ早いとこロッコムに出世してもらって、専属の弁護官に任命しておかないと本格的にまずいな。相手は魔術師。俺独りじゃ歯が立たない。夢から醒めるのを、雨がやむのを悠長に待っているわけにはいかない。

「とにかく、これからは議長としての自覚を持って、職務のほうに集中してください。よろしいですか?」
「まあ一応検討はしてみるが」
「即実行してください」

 言いたいことだけ言い、さっさと隣室へ歩いていく魔術師、もとい第一秘書。
 かと思いきや、あ、と声を上げ足を止め振り向いた。
 なんだよおい。もう充分喋り尽くしただろう。まだ言い足りないのか。

「午後に舞踏会がありますので、忘れず出席してください」
「またやるのかよ」
「前回すっぽかしたじゃありませんか」
「口が悪いな第一秘書。ご欠席なされた、だろ? 呪いの言葉を浴びせすぎて恥ずべき卑語の類いしか言えなくなったか」

 荒々しい音を立てて扉が閉まる。
 取り残された俺は、説教の声に眼を醒ましたディーゴにやれやれと話しかけた。

「面白い諺を二つ思いついたぞ、ディーゴ。〈夢は必ず醒めるとは限らないし、雨がやむとも限らない〉。もう一つは〈共和国議長の第一秘書と不信任案には、夜と魔の国の大王様も舌を巻く〉。どっちも現実的だし的確だろ? これからは諺でも憶えてみるか、なあ」

 毛繕いをしていたくちばしをふと止めて、ディーゴは開口一番、

「メンドクセーナー!」
「…………」

 真紅のディーゴよ。お前までバカにするか。

「あんまり生意気言ってると、公安相に引き渡しちまうぞ」

 まさかとは思うが、自分の姿を模した旗が黒焦げになったのを、今も怒っているのか? だとしたら相当執念深いやつだな。素晴らしい記憶力ともいえるが。
 暗澹たる気分で頬杖を突く隙間もない書類だらけの机に突っ伏していると、扉の向こうから小さな、それでいて明るい歌声が聞こえ始め、部屋の重い空気を撹拌し始めた。

「ギチョー、サーシャー」
「よく判るなお前。声が聞き分けられるのか」

 こんな時間に来やがった。もう会議が始まるってのに。こっちの都合はお構いなしだな。
 ……しょうがねえ。書類の下調べはお預けだ。議会の前に、少しだけ雑談の相手でもしてやるか。
 あの困った姫君がいなけりゃもっと長話してもいいが、どうせ今日も同行してるだろう。今や仲のいい姉妹みたく、あいつにつきっきりだ。教育係でも気取ってるのかねえ。その分、俺に自由が戻ったのはありがたいことだが。

「サーシャー、サーシャー、サーシャー!」

 靴音も高らかにもうじき開くであろう扉を予想しながら、三倍賢い俺は妙案を思いついた。そうだ。ディーゴにあいつの唄を憶えさせるか。発声の段階で苦戦を強いられている罪人たちに比べれば、上達も数段速いだろう。どれだけ再現できるか楽しみだ。

「ディーゴは啼かず。ただ歌うのみ、ってな。なあ?」

 そんな思惑を知ってか知らずか、狭い鳥籠に身を置くかつての空の英雄は、左右に滑っていく廊下の扉を見ながら、未来の音楽教師を飽くことなく呼び続けるのだった。
                                           (了)



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