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『三重に偉大な議長の優雅な生活』第33話

4 決闘


 囚われの身の者たちに戦慄が走る。
 硬いもの同士がぶつかり合う音。誰かが、大理石の床に手持ちの楽器を取り落としたようだった。それから言葉が吐き出されるまでには、更にしばしの間を必要とした。

「な、なんということだ!」
「護民卿に、実子がいたとは」
「しかもそれが、現役の、公安大臣!」

 悲鳴を上げる者。眼を見開く者。膝からくずおれる者。
 共通していたのは、いずれもその甚大なる驚きを隠せずにいたことだ。

「母も若くして死に、今や護民卿の血縁者は、わたし独りを残すのみとなったわ」
「いや、ちょっと待て。それだとおかしくないか?」

 疑問が一つ浮上する。
 エトリアが公安相の職に就いているのは、かつて革命軍に所属し多大な戦果を挙げたからだ。どうして護民卿の娘でありながら、革命の側に身を投じたのか?
 そのことを尋ねると、

「父の命令よ」と、本性を現した公安相はあっさり答えた。「わたしは〈旋風と曙光の革命軍〉……このおぞましい敵軍の中に潜伏して、ずっと内部崩壊を狙っていたのよ。素性を隠してね。でも、結局計画は失敗して、挙げ句わたしは〈救国の八英雄〉などと祭り上げられて。とんでもない皮肉よね? それはもう、身を切り刻まれるような恥辱の日々だった。いっそこのまま父の後を追って、死んでしまいたかったくらい」
「護民卿は、お前に生き残ってもらうために、そう命じたんじゃないのか?」

 護民卿の娘は僅かに動揺の色を浮かべたものの、すぐに表情を消して、

「相変わらず、思いつきばかり喋るのね」
「当たり前だ。思いつかないことは喋れないだろ」
「バカね。行き当たりばったりという意味よ」

 エトリアは鼻で嗤うと、

「でも、あなたのそういうところ、嫌いじゃないわ」
「バカなところがか」

 お前の境遇には負けるが、これはこれでとんだ皮肉じゃなかろうか。

「そうそう、あなたが革命軍に加わった動機も傑作だったわね。護民卿……父が定めた新たな公用語に馴染めず、危うく大学を留年しそうになって、それをどうにかしたくて参加したんでしょ。あなたくらいのものよ、そんな私怨で軍に籍を置いた人間なんて」

 それ、今言うことじゃないだろ。

「良かったわね。留年しなくて」
「まあな。おかげさまで単位足りなくなって、無事中退できたしな」

 破れかぶれになって言った。
 ふふふ、と口許を隠して微笑んでいたエトリアは、しかし真顔になってこっちをきつく睨み据えると、

「ライア議長、勝負なさい」

 勝負?

「なんだそれは」
「一対一の剣の勝負よ。それなら文句ないでしょう」

 そう来たか。剣術は不得手だが、細腕の女性相手ならなんとか勝てるかもしれない。

「仕方ないな。だが、女に刃を向けるのは本意じゃないぞ」
「なんでわたしが戦うのよ。相手はこのゴルバンよ」

 …………。
 ま、そんな気はしてたが。
 おいおい、まずいだろそりゃ、という文部大臣の声が囚われの一団から洩れ聞こえた。ここにきて茶化しているとも思えない。
 確かにまずい。言われなくても判る。戦闘経験に乏しい議長対歴戦の軍部大臣。

「黙りなさい、文部大臣」
「はいはい」

 エトリアに凄まれ、人々の群れに身を潜めるピート。もう少し俺の力になってやろうとは思わんのか。

「不公平ですよ、公安大臣」

 今度は労働大臣の声だ。おおフィオ! 心の友よ。

「条件が違いすぎる。これでは結果は目に見えています」
「条件は同じでしょう」
「戦いに臨む姿勢からして違います」

 フィオはなおも抗弁するつもりらしい。いいぞフィオ。もっと言ってやれ。

「ゴルバン軍部大臣は、王政時代より第一師団に属していた猛者で、我らと共に革命軍に属したのちも、その奮迅たる勢いと輝かしい戦績は言うに及ばず、諸外国にもその名が知れ渡っています」

 沈黙。遮る者は皆無。いよいよ俺を褒め称える番か。

「それに引き替え、我らが議長はいかに戦わずして勝つかを追求し、ひとたび不利となれば命乞いもいとわず、闘争ではなく逃走の中に活路を見出してきた御仁。反面、一歩間違えば卑怯とも受け取られかねない、人の弱みにつけ込むような狡智や仕打ちも数知れず。その上気分屋で服装にも無頓着。これでは勝負になりません」

 最後のは関係ないだろ。どさくさに紛れて何言ってやがる。
 気のせいだろうか、押し殺した失笑が聞こえてきたのは。いや、むしろ気のせいであってほしいんだが。
 困ったことに、時が経てば経つほど事態は悪化の一途を辿っている。好転の兆しは少しも見えない。このままじゃ、もっとまずいことになる。
 とそのとき、広場の不穏なざわめきを掻き消すように、荘厳な鐘の音が高らかに響いた。
 正午になった。大音楽祭の開始予定時刻から一時間。
 まだだ、戦うにはまだ早い。もう少し時間を稼ぐ・・・・・必要がある。

「座興はこれまでよ。ゴルバン」
「心得ている」

 ジールセンの処遇を部下に任せ、俺のほうへ躰を向けるゴルバン。革命軍時代に比して、その筋肉量は些かも減退していない。戦闘力も然りだろう。俺に勝ち目は、ないだろうな。万に一つも。
 俺が徒手であるのを見て取ったゴルバンは、居並ぶ配下の一人に顎で指示を出した。この連中も元はジールセンの私兵だったはずだが、今や全員鞍替え済みなのだろう。その男は命じられるがままに剣を収め、鞘ごと俺に投げ渡してきた。それを使えというわけか。

「剣を取れ」

 低い声で短く言うゴルバン。唇の動きに呼応して、長々と垂れ下がった顎鬚が僅かに上下する。

「お断りだ」俺は憤然として叫んだ。「てめえの部下の武器なんざ使えるか。どんな小細工があるか判らんからな」
「ほう」
「俺は自分の剣で戦わせてもらう……おい、そこのお前! お前の近くにいる、紅い服の女を連れてこい!」

 二人組の見張り役が、後ろ手に縛られたチェリオーネを引き立ててやって来た。その後ろには更にもう一人。計三人の私兵か。用心深いことだ。

「剣を持ってきてくれ。あの剣だ・・・・。第二秘書から話は聞いてるだろう」

 やつれた面持ちのチェリオーネにそう命じる。しおらしいのは悪くないが、ここまで元気がないのも考えものだ。この第一秘書には中庸という概念がないのか?

「判りました」

 両脇を私兵に挟まれたチェリオーネが、穹窿形の戸口に消えていく。俺の真意は伝わったろうか。
 しばらくして、やや幅広の刀剣を携えた私兵が秘書と共に戻ってきた。

「…………」

 敵兵らに悟られぬよう、そっとこちらに目配せするチェリオーネ。

「ふむ」

 真意は伝わっていた・・・・・・・・・。どうやらこれが例の鍛冶屋特製の剣らしい。
 首尾は上々だ。良くやったぞ第一秘書。お前は今度の給料二割増しだ。三割はちと奮発し過ぎな気がする。

「待て、ライア」

 剣を受け取ろうとする俺に、ゴルバンの声が掛かる。

「貴殿の武器に仕掛けがないとも限らぬ。その剣は我輩が使わせてもらう」
「何?」
「代わりに貴殿は、我輩のこの剣を使え。これでお互い文句はなかろう」
「むう」

 文句は山ほどあったが、ぐっと呑み込んで軽い舌打ちに留める。
 いや、こいつは少々、いや相当参ったぞ。すっかり当てが外れた。
 ゴルバンはそんな俺の様子など意に介さず、大きく振りかぶった直後、凄まじい速度で己が得物を打ち下ろした。いや、投げ下ろした。

「ひっ!」

 思わず眼を閉じ、顔を背ける。耳許で甲高い破壊音。
 何かが頬にぶつかった。

「…………!」

 刃が掠めたか?
 いや、全然痛くはない。もっと別の何かだ。
 そろそろと眼を開ける。
 手許を離れたゴルバンの剣は、俺のすぐ横の壁に突き刺さっていた。刺さった箇所から摩擦で煙が上がっている。頬を打ったのは、壊れた壁の小片だった。

「おお、すまぬな。久々の実戦で、力の加減が判らぬ」

 ニヤリと笑うゴルバン。
 おい、まさか、これを引き抜けってのか?
 右手で柄を掴み、引っ張ってみる。剣はびくともしない。左手を壁に当て、一層力を込めた。まだ動かない。
 終いには足裏を壁につけ、両手で引っ張った。どうにか刀身は抜けたが、勢い余ってツルツルに磨かれた床に尻餅を突いた。

「いってぇ……」

 玻璃はりと石細工の豪華な天蓋が初めて視界に入る。こりゃ広場から見ても壮観だろうなあ、などと下らないことを考える。
 品のない笑いが私兵どもの間から洩れ聞こえた。ふん、笑いたければ笑うがいい。膂力りょりょくじゃどう足掻いても敵わないが、もう踏ん切りはついた・・・・・・・・。こうなったら、賭けに出る以外ない・・・・・・・・・んだってな。
 ああそうさ。時間稼ぎ・・・・ならお手の物だ。
 こういうちょっとした所作の積み重ねが、後々活きてこないとも限らないんだぜ。尻餅くらいいくらでも突いてやるさ。猿の尻みたく真っ赤にならない程度にならな!
 臀部をさすりつつ、剣を杖代わりに立ち上がる。

「ならば、参るぞ」

 ゴルバンが幅広の剣を身構える。



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