見出し画像

『三重に偉大な議長の優雅な生活』第8話

4 歴史(承前)


「どうしたんだい? 浮かない顔して」
「なんでもねー」

 誰が言い出したか知らないが、〈死神と不信任案には夜と影の国の大魔王様も舌を巻く〉とはよく言ったものだ。しかし、死神も件の国も実在しない以上、恐怖の頂点に君臨するのは結局不信任案の可決ということになる。おー怖い怖い。思わず身震いしそうになる。

「でも、お隣の〈緑と暁の王国〉やその属国の〈楓と大河の公国〉、あるいは〈深き森の公国〉といった近隣諸国だと、より一般的な政治形態、数百人規模の議員制が採られている。三の三倍に満たない数で、なおかつ基本的に任期のない議員なんて、ここぐらいだろうね」

 俺もそう思うが、こればっかりはどうしようもない。人数を増やすのは何より財政的に厳しい。増員すれば当然手順が増え、人件費その他諸費用も増える。政治形態の大きさと支出は正比例の関係にあるのだ。
 任期についても同様、選挙や引継ぎ時に発生する大幅な出費を考えると、当分は任期なしのままだろう。未だに集権化と批判されるが、これは不当な言いがかりだ。何故なら復興後間もない、生まれ立ての赤子にも似たこの国で、権力を分散させることは国力増大になんら益するところがないからだ。それほどまでに、護民卿が僅か四年の間にもたらした経済的混乱は深刻だった。
 ただ、ロッコムが言った諸外国のほうが円滑に政策が進んでいるのかというと、決してそんなことはない。国家規模、予算の大小に拘わらず、どの国だって抱える悩みは似たり寄ったりだ。
 力ずくで法案を押し通せば独裁だと非難され、妥協すれば一転して骨抜き呼ばわり。民間に任せると丸投げだの責任転嫁だの言われ、こっちで命じればこれまた独裁扱い。早期決断も保留も、どのみち民衆からは批判される運命にある。
 真に満ち足りた国民なんて、神の降臨に居合わす程度の確率でしか存在しない。いや、可能性はもっと低いか。幼児向け絵本に出てくる教訓めいた想像上の巨人や、肩から蛇を生やした忌まわしい悪王のほうが、よっぽど信憑性があるというものだ。
 評議員たちの背後にほの見える、そうした恐るべき連中どもを相手に、毎月のように渡り合う。内情を知らないロッコムは、単なる〈暗記事項〉として暢気に語っているが、そんな骨身を削るが如き芸当、並大抵の神経じゃやっていけない。いや本当に。俺みたいに強靱な精神力がなければ。
 こめかみの辺りが痛くなってきた。柄にもなく真面目に考えすぎたか。

「人名だってしっかり頭に叩き込んであるよ」暢気なロッコムは指折り数えて、「円卓の東側から時計回りに、議長ライア、軍部大臣ゴルバン、僕の兄で法務大臣ロクサム、財務大臣ギャンカル、外務大臣ジールセン、労働大臣フィオ、公安大臣エトリア、文部大臣ピートの計八人。彼らが生ける伝説〈救国の八英雄〉、僕らの誇りさ」

 頭皮がむずがゆくなる。俺は頭を掻いてうーんと呻いた。

「大丈夫かい、アリル。さっきからなんだか調子悪そうだけど」
「いや別に」

 心の中で補足させてもらうと、親議長派は前にも言及した労働相フィオと文部相ピート。中立派が軍部相ゴルバン、法務相ロクサム、公安相エトリアの三人だが、ロクサムはやや俺寄りな気がしないでもない。まあロッコムのことで少々先入観が働いている可能性はあるにせよ。
 財務相ギャンカルと外務相ジールセンは憎き反議長派だが、幸いにもこの二人は公私共に相当な不仲なので、俺を脅かす一大勢力の形成には至っておらず、派閥争いも微々たるものだった。偏りのない車座に相応しく、力の均衡は割と保たれている。

「あと、極端な少人数制や任期のないことと並ぶ、この評議会ならではの特徴として、議員の年齢が極端に低いことが挙げられるね。〈世界一幼稚な評議会〉なんて揶揄やゆされることもあるけど、確かに歴史は浅いし構成員も若い人たちばかり。諸外国の平均年齢の、実に半分以下だからね。そういえば、君はライア議長と同い年なんだろう? 三の三倍の三倍、凡てが三ずくめの栄えある二十七歳」
「まあな」

 同い年も何も。

「国によっては、政界に入ることもままならない年齢なのにね。文部大臣ピートが同い年だっけ」
「ああ、年齢も生まれた月も一緒だ」
「やけに詳しいね」
「ん? あ、いや、同い年だからな。印象に残ってたんだ」
「へえ。しかも、二人の女性大臣、フィオとエトリアは更に若いし、最年長の財務大臣ギャンカルからして四十そこそこだから、幼稚と言われても仕方ないのかもしれないけどね」
「口調は齢の三倍ねちっこいぜ」
「ギャンカルのこと? 演説でも聞いたのかい」
「お、おう、まあな」
「羨ましいなあ。僕なんか顔も見たことないのに」
「大した面構えじゃないぞ」
「へえ。だけど、それでもれっきとした八英雄の一人だろう」

 そいつは美化のしすぎだ。
 〈救国の八英雄〉と持てはやされたのも今は昔。ロッコムはえらく持ち上げるが、数年経てばそんな輝かしい経歴はすっかり色せ、心ない国民から単なる政治屋とおとしめられるのが現状なのだ。
 ああ、全く嘆かわしいことである。

「とまあこんな感じだね。どうだい、直すところはなかった? 名前の間違いとか、事実誤認の箇所とか」

 現代史講義を終え、そう尋ねかけるロッコム。
 最後の八英雄に対する過大評価さえ除けば、修正点などどこにも見つからない。給料が安いという指摘は図星な上に甚だ遺憾いかんだが、今の倍貰ったとしても別に使い道はないし、どうせ試験には出ないだろう。ロッコムの認識は完璧だ。多分。

「司法官が無理でも、歴史の先生にはなれるな」
「教職なんて僕には向いてないよ」

 俺は残ったリンゴの芯を波打ち際に投げ捨てた。ロッコムは掌中の芯をじっと見つめたのち、己の懐に仕舞い込んだ。

「お前の兄貴、リンゴ嫌いなんだよな」
「うん。よく憶えてるね」
「まあな。兄貴は正月も戻らずじまいか?」
「そうだね。もう二年近く会ってないや。別に心配もしてないけど。生まれつき頑丈な人だから」

 ていうか、俺は今日顔を合わせてるんだよな。きっと。なんだか複雑な心境だ。

「ところでさ、ロッコム。なんとかとなんとかの大賢人って聞いたことないか?」
「片方ぐらい憶えていてくれよ」いきなりの質問にも青年は動じず、「多分〈慈雨と光彩の大賢人〉のことだよね」
「知ってて訊いたんだよ」
「勉強の手助けのつもりかい? 気持ちはありがたいけど、試験の範囲外だよ。誰かが話してたのを耳にしただけだし、詳しいことは僕も知らない」
「どんな傷も一瞬で治しちまうらしいぞ」
「今日は不思議な日だね」ロッコムはまじまじと俺を見て、「君の口から夢語りふうの虚言が出てくるなんて」
「悪かったな」
「確かこの国に来てるんだろう。会いたいのかい、アリル?」
「違うっつーの」

 ロッコムの耳にも入っていたか。こりゃあ大賢人の噂を知らなかったのは、本当に俺だけなのかもな。

「そろそろ行くよ。練習の邪魔して悪かったね」

 立ち上がるロッコムに、俺は待てと制して竪琴を掴んだ。

「お別れに一曲歌ってやるよ。悲運の歌聖キコノヒー作〈別離と碧空の唄〉だ。ぴったりだろ?」
「いやいや、それはその、また別の機会に頼むよ」

 ロッコムは手と首をブンブン振って全身で拒否の意を示した。なんだよおい、人の厚意を無にしやがって。

「じゃあね、また会おう」

 そう言うと、ロッコムは脇目も振らずに走り出した。両手で二つの耳をがっしり押さえながら。
 あいつは本当にいい奴なんだが、たまにおかしな言動をするんだよな。
 再び浜辺に独り。改めて〈別離と碧空の唄〉の旋律を奏でる。
 海面の魚を捕らえるかに見えた海鳥が、錐揉きりもみ状に急降下して海に落ちた。
 おい、何やってんだ。ちゃんと飛べよ。俺が弾いてるのは死別の唄じゃないぞ。



↓次話

↓前話


いいなと思ったら応援しよう!

ノイノイノイズ
ここまでご覧いただき、まことにありがとうございます! サポートいただいたお礼に、えーと、何かします!!