『三重に偉大な議長の優雅な生活』第29話
2 噂の真相
「なあ、議長が殺されたってのは本当か?」
やっとの思いで掻き分けた人集りの中心で、そんなことを言い触らす壁塗りの男に俺は問いかけた。
「おうともよ。こりゃ一大事だぜ」
自分が殺された情報を自分で聞くというのもおかしな話だが、それを口にした当人は至って真面目な物言いである。
「誰に聞いたんだ?」
「表にいた兵士だ」
「兵士が? 本当に議長だと言っていたのか?」
「しつこいなああんたも……おっと、誰かと思えばアリルじゃねえか。手ぶらなんて珍しい。いよいよ楽師業は廃業か?」
ともすると、現実の俺はあの密輸組織の根城でとっくに死んでいて、今ここにこうしているのは死後の霊としての俺なんじゃなかろうか。ほんの一瞬だが、そんなアホらしい妄念に囚われたりもした。霊だとさ、我ながら下らねえ。
繁華街をぶらついていた小一時間ばかりの間に、宮廷のほうでとんでもない事態が勃発していたらしかった。
「いいからその話を詳しく聞かせてくれ」
「いや、それがさ。門の修繕を頼まれてたんで約束の時間に行ってみたら、なんだか様子がおかしくてさ。門番どころかえらい数の兵隊が門の周りを駆けずり回ってて、やっと一人捕まえて訊いてみたら、外務大臣のジールセンが政変を企てたんだと」
ほほう、遂に尻尾を出しやがったか、あの野郎。
てことは、例の密輸組織も動いてるだろう。黒幕ジールセンに追随する私兵として。予想以上の立て直しの早さだ。あのときの襲撃だけじゃ、さしたる時間稼ぎにもならなかったか。
だがまあ、今日が新政権樹立の記念すべき日であることを考えれば、叛旗を揚げるのにこれ以上ぴったりな日もないかもな。
「が、外務大臣がか?」
「そりゃ大変だ」
「まさか、八年前のあれがまた起こるんじゃ」
「あ、あああの悪夢の四年がか!」
「〈暴風と暗黒の四年〉が、蘇るっていうの?」
「じょ、冗談じゃねえ」
「せっかく平和が戻ったってのに」
「そうだ、まだ四年しか経ってないんだぞ」
「もう二度とあんな目に遭いたくねえよ」
口々に言い合う民衆たち。王政崩壊の悪夢を思い出してか、額を押さえて気を失う女性までいた。
王家滅亡から八年、独裁制消滅から四年。なんだこの忌まわしい周期性は。四年置きに叛逆を企てる必然性でもあるのだろうか。偉大なる三にたった一つ加えただけで、凡てが危うい方向へ転がってしまう。
「でもってさ」男は話を続けて、「宮廷の中がどうなってんのか訊いたら、自分は一介の兵卒なんでよく判らんが、外務大臣と議長の不仲は有名だから、大臣が実権を握ったらまず議長の首を狙うだろう、もしかしたらもう殺されてるかも、みたいなことを言い出したのさ」
おいおい、それってまだ未確認情報じゃないか。
そんなんで勝手に〈殺された〉なんて断定しないでくれ。紛らわしい。周りが信じちまうっての。
「なら、まだ生きてるかもしれないだろ」
「だけんども、ライア議長は八英雄の中でも武芸はからっきしって聞いてるぜ」
「そうそう、大臣が本気出したらひとたまりもねえよ」
「公安大臣にも勝てないんじゃないか?」
「言えてら」
「しかも自分勝手で」
「その上いい加減ときた日にゃあなあ」
「なんだかんだ言って、負の三拍子は伊達じゃねえってわけよ」
こいつら、議長がこの場にいないと思って好き放題言い散らしやがって。税率上げるぞ。
「お前ら」堪らず口を挟む。「あんまり議長をバカにしないほうがいいんじゃないか?」
「アリル、お前さんが議長の肩を持つのは勝手だが、別にバカにしちゃいねえよ」
「んだ。常識的に考えて、議長より弱い議員なんかいねえっての」
「いや、だけどさ。会ったこともないのに、よくそこまで断言できるな」
抵抗を試みるも、所詮多勢に無勢。
「これまでの評判聞けばそのぐらい判るわい。顔合わすまでもねえ」
「議長が勝てる要素探してたら、日が暮れちまうわ」
「おらぁ議長がやられてるほうに賭けてもいいね」
「俺も」
「俺も」
「あたいも」
続々と手が挙がる。なんか話がおかしな方向に進んでないか?
「全員じゃ駄目だ。逆に賭けるやつがいなきゃ話にならん」
「アリルがいるよ」
「でもアリル独りじゃ、金足りなくなるって」
「竪琴でも質屋に出さすか。ありゃ結構な値がつくぜ」
「だな。もっと真っ当な弾き手に渡ったほうが、竪琴のほうだって幸せだろうさ」
「あのなあ」
勝手に楽器を売るなよ。あと俺の首を賭博の対象にするな。
「今はそれどころじゃねえっての」男が脱線続きの会話を引き戻した。「でよ、こりゃ皆に報せなきゃってんで、慌てて引き返してきたわけ。宮廷の周辺はそりゃもう大騒ぎだよ」
俺が宮廷を抜け出していたのは、そう考えると不幸中の幸いだったといえる。これも神官団が下らない祭礼を提案してくれたおかげだ。なんたる皮肉! 俺は神官連中に心底感謝した。
……いや待て待て。余裕をかましてる場合じゃない。
もう祭礼も終わって、大音楽祭も始まろうという頃だろう。俺の関係者も大勢いるはずだ。ピートにフィオ、ほかの議員連中や秘書たち、マリミ姫を含む神官団の面々、そして何より演奏者の中には、
サーシャがいる。
「おい、おっさん。大音楽祭はどうなったんだ」
「ん? ああ、空中庭園でやるっていうあれか。いや知らん」
「うちの息子も行ってるはずだが、まだ戻ってきてないぞ」
「あたしこれから観に行こうと思ってたんだけど、中に入れるの?」
「そりゃ無理だろ。あの様子じゃなあ」
「どうするよ、俺たちゃ」
「どうするったって、どうしようもないぜ」
俺は。
宮廷に行かねばならない。
どうしても。一刻も早く。
だが、俺独りでのこのこ宮廷に現れたとして、一体なんになる?
ジールセン率いる武装集団に襲われ、むざむざ命を落とすだけじゃないか。壁塗りの男が言っていた伝え聞きが、結局は現実のものになるだけだ。
そうはさせるか。
俺は不安に身を寄せ合う民衆の輪から離れ、宮廷の裏手目がけて走り出した。着替えを済ませるのと、鉄仮面を持ち出すためだ。
こうなったら、〈疾風と伝説の紅翼解放軍〉の首領として乗り込むしかあるまい。真っ昼間から鉄仮面を被るのは、いつぞやの前例もあるしあまり縁起がよろしくないが、四の五の言ってる場合でもない。
十一の刻を伝える鐘の音が、間近に鳴り響いた。本来なら、大音楽祭が始まるはずの時刻だ。
と、脇に抱えていた竪琴の糸が一本、バチンと弾けるようにして切れた。
なんだよおい、縁起でもないな。信仰心は欠片も持ち合わせちゃいないが、こういう椿事は決して気持ちのいいものじゃない。
蒼天に轟くその音響に追い立てられるように、俺はひた走った。
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