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『三重に偉大な議長の優雅な生活』第34話

5 大賢人


 俺は慌てて手を上げた。むろん制止の所作だ。無駄な努力であるのは承知の上で。

「ま、待て。尻が痛い」
「待つ理由としては的確でないな」
「そう焦るな。それに考えてもみろ、ここは元々音楽の祭典が行われていたんだ。戦いの前に、一つ神前に捧げる曲でも聴いて、互いの健闘を天におわす戦の神々に祈ろうじゃないか。最高神はもとより、〈戦と季節風の女神〉だろ、後は雷となんとかの神、ほかにもえーと、なんとかとなんとかの」

 早々に神名の在庫が尽きてしまい後のほうはぐだぐだになってしまったが、喋ってるうちに我ながら名案だと思った。神に捧げる曲。これなら数分は時間を稼げる。

「なんだそれは。さては怖じ気づいたか?」
「違うっつーの。お前こそ神々への配慮を怠りやがって。余裕がないのはむしろお前のほうじゃねーのか」

 頼む。乗ってくれ。

「なんだと?」ゴルバンは顎鬚を揺らして眼を剥いたが、「てっきり神官団を唾棄する無神論の輩と思っていたが、意外な一面もあるようだな。あい判った。貴殿の言葉に従おう」

 乗った。俺は臀部の痛みも忘れて心中おらび上げた。
 一旦は剣を下ろし、戦々恐々としている楽師の集団に視線を転じる軍部大臣。それから髭をしごきつつ頭を振ると、

「賛同しておいてすまぬが、皆恐れをなしていて、満足に演奏できそうな者が見当たらぬぞ」
「お前の眼は節穴か?」

 俺は剣先で集団の一点を指し示した。

「ほら、あそこに横笛を持った小娘がいるだろう」

 震え戦く人々の間で、サーシャは独り背筋を張り、俺を直視していた。その真摯しんしな眼差しと引き結んだ唇に宿る決意を、師匠たるこの俺が見逃すはずはない。

「あの見慣れぬ服の少女か。しかし、まだ若いぞ」
「年齢は関係ない。ほかに適任者がいるか?」
「……いや。いそうにないが」

 公安相のほうを窺い見るゴルバン。
 まあいいわ、と呆れがちに首肯するエトリアに目礼して、ゴルバンは楽師たちの集まりへ足を向けた。

「評議会議長ライアの命である。娘よ、その横笛、吹いてくれるか」

 他を圧する魁偉かいいな軍部大臣を見上げ、我が弟子は強く頷いた。
 ゴルバンは少女の上着に留められた番号札を見て、サーシャと申すか、珍しい綴りだがいい名だ、と呟いた。

「では、サーシャよ。神々の御前にその音色を捧げるがよい」

 舞台の最前へ出るよう促され、サーシャは靴音を響かせぬよう注意深く歩いた。
 舞台上の、そして舞台下のあらゆる者たちが、年端も行かぬ少女の一挙手一投足を注視する。あの強情な姫君でさえ、悲愴感を湛えた眼でサーシャの後ろ姿を見つめていた。
 静々と一礼をし、唇の前に笛の歌口を翳す。

 それから程なくして奏でられた、〈正午の半魔神のための前奏曲〉の流麗な笛の音は、舞台を瞬く間に和やかな空気で包み込んだ。譜面と寸分違わぬ、それでいて生身の音楽が放つ躍動感を伴う妙なる調べに、人々は身動ぎすら忘れてその笛に聴き入った。
 動くものはといえば、曲に合わせて肩を揺らす演奏者自身と、涼風に舞う一片の花びらばかりだった。

 やがて曲は終わり、訪れる静寂。

 舞台のここそこから、深い溜め息の積み重なった、空気の振動めいたものが低く轟いた。足下の広場も同様だ。万雷の拍手が沸き起こってもおかしくない名演だが、時節柄そんなことをする者はいなかった。小生意気な文部相と若造の労働相と、あと少女を目の敵にしていたはずの姫君を除いては。
 それら三人の疎らな拍手を浴び、コクンとお辞儀をしてサーシャは振り返った。照れ臭そうに鼻を摩るその笑顔が眩い。

「ご苦労であった。ならば、改めて参る」

 剣を構えるゴルバン。
 お前、気持ちの切り替えが早すぎるぞ。そんなに俺を斬りたくてウズウズしてやがったのか?

「ま、待て。あれは前奏曲だ。まだ本楽章が」
「見苦しいぞ。既に演奏を終えているではないか」

 と、そのとき。
 舞台の奥で場違いな笑いが響いた。かなりの年輪を経たしゃがれ声。嗄れてはいるが不思議とよく響く声。

「何奴だ!」

 視線を巡らせ、ゴルバンが叫ぶ。
 俄にざわめく舞台周辺。それらに混じって未だ聞こえる笑い声と、硬い床をコツコツ叩くもう一つの物音。
 出入り口の穹窿の下に、まずは一本の杖が現れた。続いてそれを手にした、独りの小柄な老人の姿。
 外衣。禿頭。そして決して開かれることのない、双つの眸。

「じいさん……」
「フォッフォッフォッ、見事な笛だったのう」

 物置で雨宿りをしていた、あのじいさんだった。

「誰だ貴様ッ!」
「断りもなく舞台に上るな!」
「引っ捕らえろ!」

 ゴルバンらの命令に、出入り口を塞ごうとする私兵たち。

「どうしたことじゃ? 儂は大音楽祭に招待されてここに来たんでの。演奏を褒めて何が悪いのだ」

 じいさんは敢然としてそう主張した。
 そうか、あんただったのか・・・・・・・・あんたがあの・・・・・・
 じいさんの立ち姿が、俺には未曾有の危機を取り除くべく来臨した、救い主の如く大きく見えた。随分待たされたが、それでも待った甲斐があった。ああ、あったってもんだ。

「やめろ!」俺は無礼な私兵どもに向かって叫んだ。「そこにおわすは慈雨と、ええとなんだっけな……交際、じゃない、そうそう、光彩の大賢人なるぞ! 大・賢・人! 控えろ!」
「な、何ィ?」
「慈雨と……」
「光彩の……」
「大賢人!?」

 効果は覿面だった。
 名立たる大賢人の登場に連中は浮き足立ち、狼狽え慌てるばかり。驚愕の波は老人を軸に見る見る外側へ伝播していき、神官団に行き渡ったところで最高潮に達した。

「あわわわわ、コ、コニシャスハール様!」
「い、い、生ける伝説が!」
「こ、このような場所に、お出でになるなんて!!」
「ぶぶぶ無礼者どもがっいいい医療と休息の神のけけけ顕現に向かってななななんたることををを!!」

 泡を喰って戸口のほうへひれ伏す神官長。それに倣う神官たちも続出し、舞台は益々騒然となった。
 そんな中、冷静に振る舞う抜け目ない議員が一人。

「お初にお目にかかります、〈慈雨と光彩の大賢人〉コニシャスハール殿」片膝を突いてエトリアが最上級の礼をする。「わたしはこの国の公安大臣にして評議会議員のエトリアと申します」
「ふむ。公安大臣とな」
「はい。しかしながら、今現在この場は少々取り込んでおります。お畏れながら、しばらくの間外でお待ちいただきたいのですが」
「のう、公安大臣とやら」
「なんでございましょう」
「取り込んでおるのはお前さんの都合だ。儂には関係ない」

 有無を言わせぬ口調でじいさんは言った。その小さい声量を補って余りある風格と年季。幾星霜を経た人生の大先輩にしか出せない味。

「儂は議長に用があるのでな。好きにさせてもらう」
「お待ちください」
「儂を呼んだのはお前さんではない。お前さんに用はないのでな。好きにさせてもらうぞ」
「…………」

 エトリアをやり込めると、大賢人のじいさんは杖を打ち鳴らしながらのんびりした足運びで俺の前に来た。



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