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『三重に偉大な議長の優雅な生活』第4話
4 姫君と第一秘書と(承前)
「そうそう、午後の舞踏会には当然参加していただけるのよね、ライア?」
「舞踏会? いつの午後ですかそれ」
「今日に決まってるじゃない」
聞いてないぞそんな話。チェリオーネだって一言も言ってなかったはず。口は悪いがあの有能な秘書官が、午後の予定表をただの一つとて取り零すはずはない。
とすると、俺が単に聞き流しただけか。
「〈島〉の羊肉料理もたくさん取り揃えてあるそうよ。今からお腹を空かせておきましょうっと」
大広間を貸し切って行われる神官団主宰の舞踏会。一回だけ参加したことがある。音楽的感覚がそれはもう古臭い上、飲み慣れない酒まで飲まされ、ものの五分で逃げたっけか。あそこにはろくな思い出がない。
決めた。ふけよう。
「こんな所にいたんですか、議長」
背後よりチェリオーネの声がかかる。よっしゃ、この機を逸してなるものか。姫君の世話を押しつけて退散しよう。
「おお親愛なる第一秘書、お勤めご苦労」
「なんです気持ち悪い。もう酔っ払っていらっしゃるんですか」
耳に突き刺さる叱咤の声が、今や天の声に聞こえる。
何しに来たのか問うと、
「いつまで経ってもお戻りにならないから、捜しに来たんです」
「どうしたんだ? 誰かくたばったか」
「不謹慎ですよ議長」
「ねえちょっと秘書さん。邪魔しないでくださる?」姫君がこめかみを引き攣らせながら、「わたくしたちは今、お互いの将来のことを真剣に語り合っているところなのですよ」
語ってない語ってない。
「それどころじゃないんです」うちの第一秘書は神官団のご令嬢に対しても遠慮がなかった。「〈疾風と伝説の紅翼解放軍〉から、声明文が届いたんです」
「解放軍から?」
「ヌリストラァドの署名つきです。今、公安庁のほうで確認と照合を急いでいますが、どうやら今夜辺り何かしら動きを起こすようで」
なるほど。ノヴェイヨンの奴、予定通りやってくれたみたいだな。
「そろそろ公安相から周辺の警護を強化せよとの通達が来るかと」
「必要ないだろ。今までだってここには手出ししてきてないんだぞ」
「油断は禁物です。なんといっても相手は狡賢い夜盗なんですから」
「でも、あそこの親玉は美形で有名らしいじゃないか」
「嘘に決まってるでしょ」姫君に一蹴された。「その首領、仮面で素顔を隠してるそうじゃない。そんなの醜いからに決まってるわ。眼に留めた鏡が恥じて割れてしまうほどにね」
ひどいなこの姫君。偏見に満ちている。ほかの理由に思い当たってはくれないのか。
「美形だろうとなんだろうと夜盗は夜盗、匪賊に違いありません。薄汚い悪党ですよ」秘書の更に強烈な一言。続けて、「顔なんてどうでもいいんです。それより、今は誰も彼も対応に追われて大わらわなんですよ。こんな場所で暢気に庭を眺めてるなんて、議長と姫様くらいのものです」
「何それ。失礼しちゃうわ」
廷内がごった返しているのは、むしろ好都合だ。どさくさに紛れて退散できるからな。そのためには、まずこの場をなんとかしないと。
俺は勢いよく立ち上がり、秘書のほうを振り返った。
「時に親愛なる第一秘書。君は〈世界三大奇病〉というのを知っているか?」
「? 知りませんけど、それが何か」
「そうか。だったらこの機会に憶えておくといい。世界三大奇病の一つに〈遁走病〉というのがあってだな」
秘書の面持ちが即座に曇り出す。
「本当にあるんですか? そんな病気」
「ある。あるったらある。これがまたとんでもない病気なんだ。ちなみに、後の二つは知りたくないか?」
「いえ、別に」
全然乗ってこない。前フリ殺しめ。
「そうか、じゃあ最初のやつだけ症状を説明するとしよう。この〈遁走病〉に罹ると、とにかくその場から離れたくて離れたくてしょうがなくなるんだ」
「変わった病気ですね」
「ねえ、それってどんな人が罹るの?」
円らな瞳をパチパチさせて尋ねるマリミ姫。ここは正直に答えて差し上げないとな。
「例えば、評議会の議長とかですかね……ああ!」
過剰な演技で頭を抱え、甲高い悲鳴を上げる。相対する二人の様子は窺い知れないが、もはやそんな瑣事はどうでもよかった。
「〈遁走病〉だ! とうとう〈遁走病〉を罹患してしまいました。ああ立ち去りたい。ここを離れなくては。後は任せた、第一秘書。では失礼!」
踵を返し、一目散に駆け出す。
「ちょっと、ライア!」
「議長!? どこ行くんですか! 逃げるおつもりですかー!?」
逃げるつもりかだと? もちろんだとも。神官と上流階級だらけの舞踏会なぞ一切興味ないし、解放軍の声明文も読むまでもない。声明内容は既知のことだからな。踊ってほしけりゃそれが生業の踊り子にでも頼めばいいし、声明文なんて文字の読める奴が数人いれば済むことだ。俺は違うことをさせてもらう。
今日はこのまま外出だ。部屋に戻ることもないだろう。ディーゴへの説教もお預けだ。良かったな、紅き翼のディーゴ。
品行方正。
清廉潔白。
糞喰らえだそんなもん。俺は評議会議長であって、それ以上でもそれ以下でもない。会議さえつつがなく終わらせちまえば、後は誰にも拘束される筋合いはない。逃げたきゃいつでも逃げてやる。
人気のない回廊をひた走りながらそんなことをふと考え、すぐに考えるのをやめた。準備運動もなしの全力疾走に、早くも酸欠状態が始まったようだった。
こりゃあ、先が思いやられるなあ。
今夜も何かと駆けずり回ることになりそうだし。
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