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『三重に偉大な議長の優雅な生活』第11話

3 隠れ家にて


 どの街区にも属さない、郊外の雑木林にひっそりと建つ家畜小屋。ここが〈疾風と伝説の紅翼解放軍〉の隠れ家だ。
 軍隊の駐屯所にしては見栄えも悪いしこぢんまりしているが、かつての神官団みたく洞窟でひもじい思いをするよりはずっといい。大体、軍の呼称は便宜上のものに過ぎないし、構成員だって正規の軍人じゃない。規模も軍隊には程遠い。せいぜいが分隊程度だろう。小隊にも満たない。

「仮面公とノヴェイヨンだ」

 正面の戸口に向かい、参謀が小さく呼びかける。

「我らが旗印ディーゴは?」

 ややあって、そんな返答が返ってきた。合言葉を言わせるための符牒。

「神が飼いし賢き鳥。その翼の色は?」

 今度はノヴェイヨンが問いかける。中の者の正体を探るためだ。

「炎の如く紅い。その啼き声は?」
「ディーゴは啼かず。ただ歌うのみ」

 扉が開いた。少々まどろっこしいが、秘密組織にこのくらいの用心深さは必須だろう。
 ノヴェイヨンと連れ立って広間へ。
 長椅子や肘掛け椅子でくつろぐ同志たちと軽く挨拶を交わしたのち、参謀が部屋にいる人数を数え上げる。十三に二人加えて、五の三倍。

「全員無事だな。例の箱は?」

 独り戸口の横に佇んでいたベヒオットが、無言で中央の樫の机を指差した。

「中身を落としたりしてないだろうな」

 静かに頷く。盗品の運搬係はベヒオットに一任している。金銭をくすねるような物欲とは無縁の男だし、戦闘における生存率も最も高い。

「換金はイプフィスにやってもらう。明日で大丈夫か?」
「あいよ」
「護衛の必要は?」
「要らねーよ心配すんな。〈小姓のイプ〉じゃあ荷が重いってか?」
「そういうわけじゃないが」
「そんなに心配なら金貨に自分の名前でも書いとけよ、〈心配性のノヴェ〉。なくしてもすぐ判るぜ」

 何人かが笑い出す。不名誉な渾名あだなをつけられたノヴェイヨンが、口の端を歪めて顎を掻いた。
 俺は空いている長椅子に座り、冷水の入った洋盃に手を伸ばした。仮面を被ったままだと飲めないので、常備してある細筒を口許の隙間に差し入れチューチュー吸い込む。品はないが喉の渇きには代えられない。

「仮面公、さっき戦いに参加しようとしてませんでしたか」
「ん? ああ。まあな」
「血が騒いだんですかい。あんま無茶しないでくださいよ」

 そう言って気安く肩を叩いてきた調子のいい優男の名前を、俺はどうしても思い出せなかった。かなり古参なはずだが、失念した。ま、無理に思い出すこともなかろう。
 ここにいる五の三倍の同志たちは、お互いの職業や来歴をほとんど知らない。この軍の頭領たる俺でさえ、一人として同志らの職業を知らないのだ。偽名の者だっているかもしれない。ヌリストラァドという俺の名前みたいに。ただ、自分たちが同じ目標を共有する義賊であるという一点だけで結びついている。
 俺が名づけたこの〈疾風と伝説の紅翼解放軍〉自体、本来なら解放軍の一言で事足りるのを、〈伝説〉やら〈最強〉やら〈真の〉やら〈聖なる〉やら、胡散臭い語句を神官連中が多用することを皮肉っての命名なのである。
 しかもだ、全員それを知った上で、今日まで不平一つこぼすことなくこの下らない名称を使い続けている。弱きを助け強きを挫く信念さえしっかりしていれば、名前なんて二の次なわけだ。
 そう、名前や大義名分なんざ心底どうでもいい。問題は、俺たちがここで何を為すか。この一点に尽きる。
 義賊の仕事は想像以上にしんどいが、こいつらと一緒にいると気が楽になる。それだけでもこの組織を立ち上げた甲斐があった。志が近い上、世間体を気にする必要もない。俺なんか顔すら見られていない。一番気の置けない参謀にも、素顔は見せたことがないほどだ。

「そろそろ雑談はやめて、次の作戦を固めよう」
「ああ。例の密輸組織の件だな」
「早く煮詰めようぜ。動きがあってからじゃ手遅れだ」
「まずは決行の日時だが」

 更には、ここでの会合によって裏社会の情報をいち早く入手できる利点もある。隣国と繋がりがある武器の密輸組織の情報など、宮廷の私室じゃあ何年待っても手に入らない。万が一情報が届いても、どうせそんな頃には事態が進みすぎていて対処のしようがなくなっているのだ。
 話し合いが終わり、誰からともなく後方の壁に立てかけた軍旗に視線を転じていった。軍議の最後には、必ず旗に一礼する決まりがあるのだ。
 飛翔する一羽の鳥の意匠が中央に縫いつけられた、濃紺の軍旗。眼にも鮮やかな真紅の鳥は、今にも羽ばたかんとするかの如く浮き上がって見える。
 解放軍の象徴。いずれ宮廷の天辺に掲げようとの冗談も飛び出すくらい、仲間うちで浸透している旗だった。いざとなったらこの旗も一緒に持って行くからな、と俺も常々口にしていた。その機会が実際に巡ってくるかは誰にも判らないのだが。
 言うまでもなく、中央の鳥はかのディーゴで、俺の考案による意匠だ。そいつが実際に宮廷の俺の私室に棲まっていると知ったら、こいつら一体どんな顔をするだろうな。
 ベヒオットの敬礼に釣られるように、全員が額に手を翳し軍旗を見やった。窓のない室内にあかあかと灯された照明は、眼球の奥を痛くするほど眩しかった。



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